英クックは、ガウス型の設計をオピックと命名し、そのうちの1つを映画用に適用したスピード・パンクロ シリーズ0を発売しました。しかし評判が悪く、ハリウッドへ出向いての考証を経て、新しいスピード・パンクロに至りました(ハリウッド標準 スピード・パンクロ「香箋」G1 50mm f2参照)。戦中にカラーフィルムに対応したシリーズ IIへと設計変更されるまで好評を得ていました。今回復刻したものは、シリーズ Iとはされていませんが、事実上Iとなる設計です。(すべて写真をクリックしたら拡大します)。
例えば三枚目の画を見ますと顕著ですが、対象の縁にパープルフリンジが出ているのが確認できます。これは以下「宝塚」から「備前」まで続いています。米国のクライブさんの作例でも発生しています。結構昔のレンズはここまで踏み込んでいるのだなと思ったものですが違ったようで、寿命が限界に近づいているメモリを使うと発生することが判明しました。そのため「銀座の古いビル」以降では直っていますが、それでも相当極端な逆光では紫色の収差が出ています。色収差を大きく反転させて紫外線を増しているので独特の色彩感があります。肖像用で人肌を綺麗に写すためだったようです。これを問題視したのか、4年後には反転させない改良を行なっています。ところが特許に「苦情があった」との記述があり、3年後にまた反転させています。スーパー・シックスです。5年後にはカラー対応でまた戻しています。これはシリーズ IIです。しかしダルメイヤーから発売されたスーパー・シックスはカラー時代に入っても反転させたままでした。ですが色収差は減らしています。
つまり、シリーズ Iは多くのバリエーションがあり、しかもスーパー・シックスが混じっています。色収差に関しては相当な議論となっていたことが特許を見るとわかります。「銀座の古いビル」以降をご覧になり、本当に収差を消すべきだったのか考えてみて下さい。消せばかなり普通のレンズとなるでしょうから、商業用途ではその方が使いやすかったでしょうが、魅力は大きく後退するので不満が出て、そこでまた反転させてみたのですが、それだけでは元に戻るだけなのでダゴールを研究して反映させたのがスーパー・シックスです。ハッセルブラッドも大きく反転なので、商業用途でもこの方が良いようです。
仄かな光を捉えることができるのは初期のシリーズ Iに限られ、次いでスーパー・シックスがそのDNAを引き継いでいると言えそうです。スピード・パンクロを傑作だと評価する人は少なくありませんが、どのモデルを指して評価しているのかはそれぞれと思われます。シリーズ IIはライカ クセノンの画角を絞ったものと思われます。この流れを見るとダルメイヤーがなぜスーパー・シックスを選んで「究極の六枚」としたのか理由がわかります。スピード・パンクロで一番良いモデルはおそらくこれです。しかし最も味があるのは初期型でしょう。人物を撮る場合も初期型の方が良いでしょう。人工光も初期型です。この2モデル以外は復刻の価値はないように思います。シリーズ IIも傑作ですが、この設計思想は後代の多くのメーカーに影響を与えていることで類型が多いということと、これならスーパー・シックスの方が良さそうです。なぜか最初のものが一番良い、それならシリーズ IIもカラー対応の初子。どれも良いのですが、それは全て最初の作なのです。
完成して受け取ってすぐの2023.03.01に、宝塚大劇場方面へ向かい撮影いたしました。ライカM9で注記がない限り全て解放です。
スピード・パンクロのオリジナルは映画用のフォーマットなのでフルサイズで撮影すると暗角が出ます。しかしガラスの直径にはかなりの余裕があるので、単に大きくしただけで十分なイメージサークルが得られました。この図では明暗の対照が強いので、露出が中央の明るいところに合わせられると暗いところでは光量不足となるのですが、それでも左下角には暗角は出ていません。
阪急宝塚駅の改札を出ると正面に阪急百貨店があります。入り口中央の上部にこの表示があります。暗いところに掲げてあり、光を当てています。露出が強い光中心となり、周囲は暗く沈んでいます。明から暗へ急峻なグラテーションです。ここで見られる微妙なボケ味は、これはまさにスピード・パンクロならではのものです。なだらかに、ではなく、少しゴワゴワしています。収差があってこうなるので通常は見苦しくなりがちなのですが、品があるからこそ傑作とされているのでしょう。
スピード・パンクロは、そんなに簡単にグルグルボケは出ませんが、これぐらいの構図だと出ることもあります。対象を引きつけ、背景を大きく奥に追いやると出ます。距離があるわけですから、映画のような動きのある構図において、対象と奥が対等に近いイメージで扱われると焦点がボヤけます。流れる背景は動きが出るし、映画向けの収差です。
銅像の後ろ側から迫りますと、宝塚駅は距離が近いのでグルグルは出ていません。背景の硬質のボケはスピード・パンクロの特徴です。
手前から奥へのボケは距離がなだらかなので、硬質感が目立っていません。それほど癖はありません。あまりにキツイ収差が現れて困惑するようなことはないように抑えてあるため、映画用とは言え、ボケ玉には当たらないと考えられます。映画用としては、ですが。
映画というのは多くの場合、女優を撮ります。対象を浮かび上がらせると同時に、肌の欠点を消さねばなりません。そうするとこういう描写になる、儚くも凛とした表現になります。こうした狙いで設計されている映画用レンズは少なくありません。それはこの玉だけではありません。
建物の構造の陰に掲げられている作品のため、肉眼では少し暗いところにあります。右方向から外部の日光が差しています。奥行きがない構図なので自然ですが、かなり微妙な柔らかさも感じさせます。
ピントは左側の雨樋です。奥へは比較的距離がありますが、それほど強くボケるでもなく安定しています。暗い部分をじっとりと彫り深く描き、明るい背景は自然です。ここで明るい部分が騒がしいとうるさくなりますがそのようなことはありません。
今度は逆で、対象が明るく背景が暗い。暗い部分は少しボケが強く、主張を抑えています。
また逆で、今度はよりコントラストが強い構図です。このような構図は基本、避けねばならないものです。対象が暗いので埋没してしまいそうですが、それを補う彫りの深さで描き切っています。
同じ階段でも屋外なので光量は全面で安定しています。この場合、ボケが顕著に現れます。対象をよりフォーカスするためにこういうボケは必要です。
平面、上から人工光ですが、建物の構造の陰とはいえ屋外です。硬い物質の撮影ですが、決して硬い印象にはなっていない、人物撮影を意識してのことですが、しかしそれにしても匙加減が秀逸です。傑作とされてきたのはこの辺りではないかと思われます。
彼を横からも見たい、大抵の玉は前ボケが汚いのですが、これだと気にせずに使えそうです。ですが優れているわけでもありません。まずまず無難に纏めている感があります。
説明のし難い光のコンディションで、このような状況は建物の配置に関連して結構ありそうです。対象は明確であれど鮮明ではない、おそらく映画用のレンズでこれが最も重要なのではないかと思います。
これも何とも難しい光の状態で、写真は光で撮るので、これは誰もが必ず考えるところ、手前のシャンデリアを活かしたいのでそこへ露出を合わせるべきなのか、少し考えてしまうような構図です。青と影の対照にシャンデリア、全てを活かしたい、現代のレンズなら優秀なコーティングでそれなりに撮れてしまうのですが、それでは人工臭がする、幻想的なボケ味、全てが欲しいところでこれは、何もやっていません。普通に撮っただけ、テストですから当然ですが、何もしていません。実にバランスが良い玉です。
単純なようで難しい構図です。なぜなら、階段と欄干、これは手前から奥まで等価なのです。つまり、全部が対象、だから絞ります。ですが、映画の撮影でありそうなこの図では、あまりに照明を明るくし過ぎることはできない、人物が動く、階段を降りるので通常の歩行より揺れます。ブレやすくなります。しかし、あまり難しく考えてはいけない。ここでは開放で手前の白いカーペットに焦点を合わせています。それでも背景のボケはほとんど主張していません。この辺りのバランスもさすがと思わせます。
硬いのか柔らかいのかよくわからないボケ味です。いや、これはコントラストのある柔らかさなのでしょう。
先ほどの階段を踊り場まで上がって振り返ったところです。さすが宝塚ホテル、劇場愛を感じさせる演出です。カフェでは貴族趣味を反映したアフタヌーンティーにおいて、タワーに積み上げられたたくさんのケーキが提供されます。
ホテルというより、むしろ結婚式場、武庫川沿いのテラスを中から見たところです。メルヘン的だがディズニーとは違う、大正時代ぐらいの日本人が考える欧州文化、独特の世界観を感じさせます。バウハウスとアールヌーボーにメルヘンを混ぜて東洋人が表現するとこうなる、という見本のような印象です。
有りそうで意外となさそうなクリスタルの配置、まさに「神は細部に宿る」を体現、全体としての表現も宝塚独特のものを感じさせます。清楚で有りながらゴージャスです。
この描写、捉え方には、決して歴史を蔑ろにはしないという決意のようなものを感じさせます。そして、優しく包み込むように表現します。スピード・パンクロの特徴と言えそうです。
空なので分かりにくいですが、グルグルボケが出ています。そのため中央のマンションはどこか幻想的です。この特徴を有効活用できそうな場面はありそうです。
肉眼で見るのとは印象が違います。模型のような見え方です。だが、建物が表現したいのも同じ、表現がマッチングしている、リアリティ重視だと少し汚く見えてしまいますが、そういうことはありません。
宝塚の世界が表された柵も見応えがあります。柵は細いので、ともすると背景のボケが妨害しそうですが、そのような感じではありません。
こういう構図では決してボケ玉ではない、そもそもスピード・パンクロをボケ玉と見做すには無理がありますが、このボケ方は現代のレンズにも通じるものがあります。
2023.03.04 ヘリコイドを全て繰り出し、レンズを外してフランジの前に抑えるやり方で簡易にマクロ撮影をやってみます。撮影距離は40cmほど、レンズの先端からは35cmぐらいとなりました。ライカM9です。トリミングはしていません。本レンズは色収差を足してある設計なのでマクロには基本不向きですが参考として。