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現代では様々な撮影をズームレンズ一本で済ます事ができるかもしれませんが、昔はズームレンズが一般的ではなかったので、各焦点距離別のレンズが中心でした。現代は様々な高性能ズームだけでなく、単焦点、マクロ、魚眼など多彩なリストを持つ光学メーカーは幾つもあります。スペックに大きな差異はなく、どこも同じようなラインナップになっているのは、時代を経て洗練されてきた結果かもしれません。
光学レンズ黎明期の19世紀にはいろんな技術上の制約から主に人物用と風景用に大別され、この2本立てのラインナップになっていたようです。20世紀に入ると映画撮影用のレンズも量産され、これによるレンズの小型化がスチール撮影にも還元されてさらにバリエーションが豊かになってゆきました。こうした過渡期においてもレンズメーカーは顧客のあらゆる要望に応えたいと考えますから、優れたラインナップを保つ努力をしてきましたが、100年前と現代では観点が異なり、現代ではスチール写真家の要求を満たすというシンプルな、そして当たり前とも思える主観からレンズが作られていますが、100年も前になりますと娯楽が少なかった時代背景もあって映画用レンズが主力で、その傍らスチール撮影用も用意する光学メーカーは幾つもありました。19世紀以来の伝統も混じり合ったりして、混沌としているように見える光学発展過程の中で、一つの完成形に達していたのではないかと思えるのは、ドイツのアストロ・ベルリン Astro Berlin社のリストです。
もちろん、アストロ・ベルリン社と同様に多彩で魅力的なレパートリーを誇る会社は他にもあります。ツァイス Zeissやメイヤー Meyerは様々なレンズ構成を採用した個性豊かな選択肢を持っていました。これらのメーカーも独特の魅力がありますが、アストロ・ベルリンのような洗練に達していたかどうかというといささか疑問が感じられます。おそらくその理由はアストロ・ベルリンが新規開発の面で光学界をリードしていた存在ではなく、すでに既成の設計から取捨選択を経た後、必要なものを見極めて練り上げたからだろうと思います。一方でこれまでなかったものをラインナップに加える冒険や顧客の特注にも対応してそれを市販するなど違った面もあり、この二面性が独特だったのは、すべての製品が顧客本位で決められていたからだろうと思います。それまでは性能競争と新規開発からの特許による囲い込みが光学会社の進む道だったように思いますが、そこから少し距離を置いた立ち位置がアストロを他と異ならせていたように思えます。アストロの方針は当時としては新しい考え方だったと思われるので、他のメーカーにも影響を与えた筈です。
ライツ Leitzはこの点でアストロと同じ姿勢を保ったメーカーの一つと考えて良いと思います。アクセサリーはアストロと比較にならないぐらい多くておもしろく、レンズ構成についても旧来のものを練り上げる形で昇華させる方法を採っていました。アンジェニュー Angenieuxは焦点距離毎に最適なレンズ構成を選択することによってシンプルで明確な結論を提示しましたが、この絞り込みはアストロ的です。もっと絞り込んだのはキノプティック Kinoptikで、ダブルガウス型のみを使ってブラッシュアップすることによってフランスレンズとしての最終結論を提示しました。この結論の提示も元はアストロが志向していたものでした。
このようにアストロが生んだ概念の影響を受けたと思われる光学会社が幾つもある中で、洗練度と遊びのバランスだけを取り入れたと思えるのは、アルパ ALPAのレンズリストです。アストロとアルパは個性が全く異なります。アルパはピニオン社によって作られるカメラメーカーの製品であってレンズは製造していませんでしたが、20世紀半ばの新しい感性で作られているレンズのみをアルパのために選別している点で興味深く、これによって旧時代の感性で作られたレンズ群との対称を見せるという意外な観点を楽しめます。その"旧時代"の中にアストロ・ベルリンも含まれそうですが、アストロはレンズメーカーだったため、全欧のレンズ資産の中から選別するに留まるのではなく、レンズのレパートリーに嵌め込むピースを自社で製造していました。それゆえ、アルパのようなモザイク的な魅力ではなく、より芯が通った一貫性の強い個性を放っている点で、そしてすでに完成に達していたという点で興味深いものがあります。
アストロ・ベルリン社は正式には、アストロ・ゲッゼルシャフト・ビーリケ社 Astro-Gesellschaft Bielicke & Coといい、ヴィリー・F・ビーリケ Willy F. Bielicke (或 ウィリアム・フリードリッヒ・ビーリケ William Friedrich Bielicke) によって、インド人のフーゴ・イバン・グラマツキ Hugh Ivan Gramatzki、フリッツ・ヨアキム・オットー Fritz Joachim Otto(経理)の3名で共同設立されました。しかしレンズの全面の記載にはビーリケの名をクレジットせず、Astro-Gesellschaft Berlinと刻印されていました。ビーリケは20代の頃にロンドンのロス Ross社で設計を始め、ロスから1913年に1つ目の特許を出願しています(US1073950) 。この頃のロスはツァイスのロンドン代理店を務め、多くのツァイスレンズのライセンス生産を行っていたので理想的な学習環境だったと思われます。その後ニューヨークに渡りますが、米国移民管理局の記録ではドイツ出身と記載があるようです。そしてボシュロム Bausch & Lombに入社してここでも1つの特許を出願しています(ペッツバール型 US1202021) 。これらの見習い期間を経た後にベルリンに移り、1922年にアストロ・ベルリン社を設立しました。「アストロ」というのは星や天体を意味する言葉で、設立当初は天体用の望遠レンズ専門でした。やがて徐々にレパートリーを増やしていきましたが、それらのレンズの多くには英国のホレス・ウィリアム・リー Horace William Leeが発明したものが採用されました。ビーリケがロンドンにいた頃に、リーはレスター州のテイラー,テイラー&ボブソン Taylor, Taylor & Hobson社に勤めていたので、どれほどの接点があったのかわかりませんが、高く評価していたのは間違いありません。クック Cooke(テイラー社とは別会社ですが、レンズを鑑賞する場合には同じ会社と見なして問題ありません。密接な関係があり後に合併しました。)が設計したレンズとアストロのレンズには描写の方向性も似たものが感じられます。
アストロ・ベルリンについては、文献が少なく、情報がたいへん少ない傾向があります。それで不明確な部分も混じっています。その場合はそう明記しておき、追加情報が発見され次第追加していきたいと思います。焦点距離についても見つかったものを記載し補充していきます。
英国の設計師リーによって開発された4群4枚のスピーディック型を採用しています。(1924年に発表され、特許は改良を重ねて英国で計3回取得されたようです。GB224425 GB299983 GB372228)アストロと言えばパン・タッカーと言われるぐらい重要なマストアイテムです(DE440229 US1540752)。(豆知識:「タッカー」はパソコンソフトで読み上げさせますとドイツ語で「タッハー」です。しかし実際の発音は"ハ"に少し"カ"が混じっています。ここでは慣用的に親しまれているタッカーで統一しておきます。)描写については写真の中に桃源郷は見いだせるか8を参照して下さい。
Pan-Tachar | f1.8 | 25 28 35 40 50 55 75 100 125 150 155mm |
f1.9 | 155mm | |
f2.3 | 25 28 32 35 40 50 60 75 100 125 150 165 200 255mm | |
f2.7 | 50 75mm | |
f4.5 | 300mm |
オピック型(これも英国のリーが開発したもので前後非対称のダブルガウス型)のレンズ構成です。(英特許 GB157040 GB298769 GB377537 GB427008 GB435149 GB461304 GB474784)パン・タッカーと共にアストロ・ベルリンの根幹を成すものです。描写については写真の中に桃源郷は見いだせるか9を参照して下さい。
Gauss-Tachar | f2 | 15 20 25 32 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85 100 250mm |
ガウス・タッカーの精度を高めマクロ仕様にしたものと思います。映画に使うわけですから自然関係のドキュメンタリーで特撮っぽい感じになるのでしょうか。動画でマクロとなるとさすがに特殊だと思われます。スチール用のマクロレンズで最初のものは、キルフィット Kilfitt社のマクロ・キラー Macro-Kilarですが、それはテッサー型だったものの、焦点距離が40,90mmの二種でした。アストロは40,75mmの2種ですが、なんとなく近いものを感じます。
Makro-Gauss-Tachar | f2 | 40 75mm |
高度に補正された優良なものは単に「タッカー」とだけ命名されたようです。f1.5とf1.8にはガウス・タッカー、f2.3にはパン・タッカーを使っています。パン・タッカーはもっと明るいものもあるので、f2.3が理想ということなのかもしれません。ガウス・タッカーは本来f2です。ここからさらに踏み込むと難しくなるので精度に細心の注意を払って明るくしたものをラインナップすることにしたと考えることができます。そうであればガウス・タッカーに関してはf2が本来理想的なのかもしれません。
一般的な認識では標準レンズに2つの構成を採用する場合、ガウス型は選ばれますが、もう1つはテッサー型を採用するものです。しかしそうしなかったのは、リーの設計に対する評価が並外れていたということもあったかもしれませんが、明るさの問題はあったと思います。f2越えを狙うのにスピーディック型とガウス型の両方を使っています。この攻め方を好んだのではないかと思います。なぜなら、ビーリケは1925年に古巣のボシュロムから3つのアメリカ特許を申請していますが、その内訳は、スピーディック型2種(DE440229 US1540752)、そしてもう1つはテッサー型(US1558073)でしたので、テッサーについてもよく研究していたと思われるからです。よく理解して、しかも特許まで取るぐらい深めていたにも関わらず、これを切り捨てています。その理由はわかりませんが、おそらくライツのベレクと同様の理由で、明るさが稼げないので断念したと考えるのが自然なように思います。しかしテッサー型は後にアストラー Astrarに採用しています。
Tachar | f1.5 | 35 40 50 75mm |
f1.8 | 40 150mm | |
f2.3 | 35 50 125 150mm |
アストロのレパートリーにおいて、パン・タッカーとガウス・タッカーは、双子の大黒柱です。それらを基本にしておそらくユーザーの要望を聞いて手を加えたと思われるタッカーがあって幾つかはどういう用途のためなのか不明です。
Contrast-Tachar コントラストを高めたもの? | f2.3 | 35 150mm |
Pictorial-Tachar 不明 | f1.8 | 35 75mm |
Polyphot-Tachar 不明。形状からプロジェクター用に見える。 | f2.3 | 50mm |
Farb-tachar カラー映画用? カラーフィルター用途? | f1.9 | 35 40 50mm |
Quarz-Tachar 紫外線(UV)映画撮影用 | f2.5 | 44mm |
Projektions-Tachar 映画プロジェクター用 | f1.9 | 6.5mm |
Kopier-Tachar 複写用 | f3.0 | 50 60 100mm |
Sinegran-Tachar 農業用?の拡大レンズ | f2.3 | 75mm |
TV-Tachar 撮影用はテレビ局仕様か? プロジェクター用と思われる形状のものもある。 | f1.5 | 25 35 40 50 75mm |
f1.8 | 100mm | |
f1.9 | 28 40 62 75 90 100 110 140 160 240mm | |
f2.0 | 150mm | |
June 1925. パン・タッカーのプロトタイプか? British Journal Photographic Almanacに記載があり「シャープでポートレート向き」とある。 | f1.8 2.3 |
ビーリケがプロジェクター用という謎の設計の特許を出願しています。(DE393652) このシリーズの一部に使われた可能性があります。
アストロ創業10周年にあたる1932年に(ベルリン人は何周年とか見栄を切るような演出はしなかったと思われるが)ついに3本目の大黒柱が発表され、それは驚異的なスピードを備えたタホンでした。この原形となった特許は1930~31年にわかっているだけで、ドイツ(DE538872)、フランス(FR716168)、英国(GB367237)、米国(US1839011)の少なくとも4カ国で出願されました。かなりの自信の程が窺えます。ゾナー型を改良した複雑な構成で、製品化されたのは空気間隔を充填した4群8枚というものでした。フランジバックが狭く用途が限られていました。産業用に供給されたものもあります。社内にインド人がいたから計算できたと思えるような驚異的な明るさです。(今時はコンピューターを使いますので、インド人は要らないでしょうか。世界のソフトウェアはインドの輸出で成り立っており、プログラミングはインドの最重要産業です。インド人の驚異的な計算能力はまだ必要なようです。)
Tachon | f0.75 | 65mm |
f0.95 | 25 35 52 75mm | |
f1.2 | 35 75 120 180mm | |
f2 | 25mm |
同じくゾナーの変形でタホンの亜種です。Cマウント。
Tachonar | f1.0 | 25 35 40 50 75mm |
タッカーの安価版。きちんと物を作るドイツ人が安価版を出しても残念な質のものはできないと思うので、どういうものか気になります。意外とこういう緩いものの方が味わいがあったりすることもあるので侮れません。探すのは難しいので意外と所有者が手放したがらない類いのものである可能性はあります。15、20mm以外は単なる検品落ちの可能性が高いですが、そうであれば1本1本味が違うというヤバすぎる沼が待っているということになりますので、厳重な注意が必要です。安全の為、虎柄のテープで囲っておきます。
Tacharett | f1.5 | 20 25 50mm |
f1.8 | 15 20 25 50mm | |
f2.3 | 15mm |
8mm用の小型のレンズで一種のみ知られています。レンズ構成はパン・タッカーと同じのようです。
Tacharon | f1.8 | 12.5mm |
パン・タッカーのレンズ構成のまま、望遠レンズにしたもののようです。f3.5の2本はトリプレットでTelastonと表記されたものもあり、60年代にはAstanに変わりました。
Telastan | f3.5 | 200 300mm |
f4.5 | 500mm | |
f10 | 2000mm | |
Apo-Telastan | f5.6 | 300 450 600mm |
f11 | 2000mm |
アストロは元は天体レンズ専門で、これらの望遠レンズはアストロが初期から作っているものです。見方を変えるとファーンビルドリンゼこそ、アストロのマストアイテムと言えるのかもしれません。出発はここからです。f2.3はレンズ2枚色消し貼り合わせ, f5.0とf6.3は単玉と極めてシンプルです。リーがこういう特許(GB377036)を取っていますが因果関係はあるのでしょうか。1936年ミュンヘンオリンピックでも使われた由緒正しきドイツ帝国主義のレンズです。ドイツ語の「リンゼ」とは髪に使うリンスと同じ意味で「レンズ」のことです。
Fernbildlinse | f2.3 | 250 350mm |
f4.5 | 500mm | |
f5.0 | 75 100 150 200 250 300 400 500 640 800 1000mm | |
f6.3 | 400 1000mm |
戦後、西ベルリンで設立されたティーヴェ Teweという光学会社の製品は少なくとも外観はアストロにそっくりです。アストロからOEM供給を受けていた可能性が高いと思います。望遠ムービー専門の会社で、テラゴン Telagonのレンズ構成はペッツバール型でした。アストロが単玉か貼り合わせのファーンビルドリンゼからテラスタンに昇格させる時にトリプレットかスピーディック型を使ったのとは方向が異なっています。ビーリケはボシュロム在籍時にペッツバール型の特許を取得していますので(US1202021)、そこから発展したものをティーヴェに供給した可能性が高いと思います。さらに興味深いのは、このテラゴンと同じ設計を「ポートレィ Portrait」にも採用していることです。こちらは150,200mmの2本のみを用意して、明るさはf2.3でした。この相違をどのように理解すれば良いのかわかりませんが、テラゴンはファーンビルトリンゼとポートレィの中間のスペックということになります。ティーヴェのリストは以下に掲載しておきます。
Telagonのレンズ構成図
テロン Telonは、天体の撮影に最適だと言われているようです。中でも長い物はコントラストが鮮明だとされています。これはファーンビルドリンゼと同じものだろうと思います。
Telisar | f3.5 | 135mm |
Telagon | f3.0~5.0 | 150~500mm |
Telon | f5.0 | 400~800mm |
f6.3~10 | 1000~2000mm |
注:リスト中の表記はズームではありません。この値の範囲で幾つもラインナップしていました。
ロングジット LongsidtというCマウントの望遠レンズが一本見つかっています。細長いですが非常にコンパクトです。もう1つ、ポリフォーター Polyfotarというのもあり、外観はタッカーに似ています。
Longsidt | f5 | 150mm |
Polyfotar | f4.5 | 210mm |
"裏三本柱"です。アスタンはトリプレット型(英クック Cookeのデニス・テイラー Dennis Taylorによる特許 GB22607)、アストラーはテッサー型(US1558073)と5枚玉(DE634843 GB375723 US1888156)の2種が混在、カラー・アストラーはオピック型を採用しています。コンパクトカメラやコンシューマー向けのムービーにつけられたレンズだったようです。トリプレット型のアスタンはライカマウントでも発売されましたが、できればプロの映画用として供給されていたパン・タッカーを使いたかったのではないかと思います。しかしパン・タッカーはイメージサークルが小さいので使えなかったのだろうと思います。そこで改めてパン・タッカーのパテント(DE440229 US1540752)を参照しますと、2種類の記載があります。f2.3、f2.0の二種です。f2.0の方であればイメージサークルは結構あるようなので使えますが、そうするとコストの問題があったのだろうと思います。ロウ・オプティックモデルでもスチール用にf1.8のパン・タッカーが使われていて、これはパテントではf2.0の方だと思われ、実際確認すると使えそうですのでこの見方は正しいと思います。他にもアストラという古いレンズも発見されています。後に新ガラスを採用するなどでアストラーに変わって明るさも少し向上したのかもしれません。アスタンの描写については写真の中に桃源郷は見いだせるか10を参照して下さい。
オピック型はリーの設計ですが(英特許 GB157040)、トリプレットはどうでしょうか。これもやはりリーが幾つか特許を申請しています(GB155640 GB422246 GB438605 GB612757)。これら以外にトリプレットとテッサー型のガラスの厚みについての特許(GB474815)もあります。リーによるこれらの考察を参考にしてビーリケがアスタン関連のシリーズで採用するレンズ構成を決定した可能性はあります。5枚玉はどうでしょうか。これもやはりリー(GB299983)とビーリケは同じ5枚の構成で特許を取っています。ビーリケはこの5枚玉とテッサーも特許を取っていますが、いずれもアストラーに採用されたようです。
Astan | f2.8 | 20 75mm |
f2.9 | 37 47mm | |
f3.0 | 33mm | |
f3.5 | 25 50 125 135 200 300mm | |
f6.5 | 1000mm | |
Astrar | f2.7 | 25 30 40 50 52 75 110 150mm |
Astra | f2.8 | 50mm |
Color-Astrar | f2 | 100 150mm |
Astrax | f4.5 | 210 500mm |
謎の多い「Astra」については、戦後西ベルリンにあったこれも謎の光学メーカー ピエスカー Piesker社から以下のレンズが発売されていました。アストロのレンズ群の中で250mmでf5.5というのはありません。ファーンビルドリンゼですらf5.0です。
Astra | f3.5 | 100mm |
Tele-Astra | f5.5 | 250mm |
ピエスカー社のレンズリストの中で描写から他にもアストロ製造と疑われるものがあります。しかしVコーティング入りであることが明記されているものは恐らくメイヤー Meyerの製造と思われます。ライカM39マウントは別にリストしています。以下のリストではアストロの製造である確証はありませんが、ピエスカー社から販売されたレンズで確認できたものを参考のために掲載します。
Picon | f2 | 85mm |
f3.5 | 100 135mm | |
f4.5 | 400mm | |
Piconar | f4.5 | 40mm |
Tele-Picon | f4.5 | 250mm |
f5.5 | 180 250mm | |
Voss | f2.8 | 35 100mm |
f3.5 | 135mm | |
f5.5 | 400mm | |
Votar | f2.8 | 100mm |
f3.5 | 135mm | |
Tele-Votar | f5.5 | 180 250mm |
Kalimar | f3.5 | 135mm |
「キノ」とは映画のことですが、その名の通り映画に使うレンズです。しかし映画用レンズは"三本柱"やら"裏-"やら、もう十分にあったのでは? しかもこれもオピック型です。これはシーメンス Simensや他のドイツメーカーのムービーとプロジェクター用にOEM供給していたものです。おそらくコンシューマー用にコストダウンした設計なので「Kino」とすることによってタッカーと区別したのだろうと思います。レンズの全面外周には各ムービーメーカーの表示ではなく、Astroと銘打たれていました。プロ用の光学機器を製造するアストロからの供給というところに価値があったのかもしれません。
Kino | f1.4 | 18 35 36 40 52 65 75 85 100 120mm |
f1.6 | 50mm |
Kinoはプロジェクター用もあります。絞りやヘリコイドがないので外観で見分けられます。後代のものと思われる「Kino-Color」もあります。描写については近接界というもう一つの世界6を参照して下さい。
Kino | f1.4 | 35 36 40 52 65 75 85 100 120mm |
Kino-Color | f1.2 | 25 50mm |
f1.4 | 35 50 85mm | |
f1.5 | 22 25 50 65mm | |
f1.6 | 35 50 75 85mm | |
f1.8 | 100mm |
ライカからはビゾフレックスという商品名で販売していたものと同じ機構のもので、カメラを一眼レフ化するものです。様々な機器に取り付けられるようにマウントを数多く用意していたようです。アストロの望遠レンズにはこれが使われました。それ以外のメジャーラインナップ以外のレンズでは、Ostarというレンズが1つだけ見つかっています。詳細はわかりません。他に全く刻印がないレンズが幾つも見つかっており、いずれも第二次大戦でドイツ軍によって使われました。
ビーリケが1926.08.18に一眼レフのミラー反射に関する特許を出願しています。(DE479755) これはイデントスコープに使われたものだと思います。他にもグラマツキが1930.12.31にプリズムの特許を出願しています。(DE556676) ドイツ語なのでよくわかりませんが、映画用に使われるものだという記述は確認できます。これはイデントスコープに組み込まれたものかどうかはわかりません。イデントスコープはライカマウントでも作っているので両社の関係はある程度あったのかもしれません。ライカにもビゾがあるのでイデントスコープを販売したのは不自然ですが、ビゾ I型のデザインがアストロのレンズのそれと合わないからか、イデントスコープは他の機器用にもマウントを作っているので、ライカ用に提供するのは負担にならなかったのかもしれません。
Ostar | f3.5 | 125mm |
無印 | f1.25 | 85mm |
f2 | 200mm | |
f2.3 | 180mm | |
f2.7 | 400mm | |
f3.5 | 800mm |
ビーリケが1930.05.24にレンジファインダーについての特許を出願しています。(DE565016) アストロからカメラは発売されなかった筈なので構想だけで終わったようですが、検討はされていた可能性は高いと思います。ビーリケによるレンジファインダーの二重像を合致させる方法は画期的な発明だったのかもしれません。ライカに距離計連動が組み込まれたのが1932年で、そのライバルのツァイス・コンタックスも同年の発売なので、この2社にライセンス供与していた可能性はあります。ファインダーに関しては正像ズームも開発しており、こちらは単体ファインダーとして発売しました。それがモルチフォーカルズーハーです。28~150mmという驚異的なレンジを誇っており、三段階の視力補正機構まで付いています。より後代に発売された日本ワルツ社のズームファインダーも28mmに到達しているモデルがありますが、これが実際には35mmに過ぎないことを考えると、いんちきなしに本当に28mmに届かせていたのは凄いことだと関心します。それに画像を覗くような感じではなく、目に吸い付いてくる感じがアストロの光学設計の優越性を示していると感じられます。ライカのファインダーはアストロによる支援があった可能性は有りますが、さすがにそこまでは考えすぎかもしれません。このような質のファインダーが後代に作れなくなったことを考えると、一握りの天才の関与、とりわけグラマツキの影響が強く推測されます。
サイレント映画時代にハリウッドの女優を美しく描くために使われたレンズです。2群4枚 ペルシャイド型です。詳しくは幾何学計算に基づいた世界初のレンズ3を参照して下さい。(本レンズの発音は北ドイツなので「ゾフト」と致しました。こうしておかないと識別しにくいのでわざわざ変えてみました。南ドイツでは濁音がなくなりますので普通に「ソフト」と発音する筈です。)
Soft-Focus | f2.3 | 25 50 75 100mm |
f2.3のレンズはイデントスコープを使って、写真機や映画撮影機に付けて撮影されていました。レンズ構成はペッツバール型で、ほぼ同じ構成で明るさが違うものをティーヴェ Tewe社のテラゴン TelagonというレンズのためにOEM供給していたようです。おそらく味は違うと思います。f2.7のレンズは、トリプレットでした。幾何学計算に基づいた世界初のレンズ4を参照して下さい。(一般のポートレート肖像用レンズと区別がつきませんので、ドイツ語の発音と致しました。)
Portrait | f2.3 | 150 200mm |
f2.7 | 100mm |
アストロのポートレート用レンズとしては、製造には至らなかったものの特許を取るまでに練り上げられていた構成もありました。ビーリケがロンドンのロスに在籍していた時に取得されたものは、前群が3枚、後群2枚張り合わせのペッツバール型発展形でした。(GB2347 US1073950 出願1912.01.29) ベルリンで取得されたものはアストロ共同設立者のグラマツキが取得した2種のレンズで、これは前群2枚、後群3枚張り合わせで特許にもペッツバールレンズと明記されています。(DE535883 DE552789 出願1929.06.30) それぞれf1.25,f1.4という大口径のものでした。しかしそのいずれもが採用されず、ペッツバール基本形とトリプレットに行き着いた、ソフトフォーカスには2群4枚が使われたという事実は興味深いと思います。
ペッツバール型の後玉の1枚(下図・赤)が交換できるようになっていて、交換パーツガラスは3枚セットになっています。交換によって収差を三種から選択します。交換エレメントは1~3の番号が振ってあり、図の黄色の部分の間隔が変わります。数字が大きくなる程、間隔が広くなります。1はソフト・フォーカス調となり周囲が円形に流れる特徴が出ます。2,3と間隔を広げれば、中心の鮮明さは増しますが周囲は霧のようにボケていきます。エレメントの間隔を変えるだけだったら、回して調整できるようにした方が良かった筈です。現代のソフト・フォーカスレンズはそうなっていますし、世界最初に作られたとされるソフトレンズ、ダルメイヤー Dallmeyer ベルグハイム Bergheimもそう作っています。グラーフ Grafの特許(GB198569 US1463132)は、ダイアーリト型とスピーディック型を使って同じことができるというものです。しかしこの調整機構は描写の評判が悪かったのでまもなく姿を消し、すべて固定式、絞り調整型になって、調整機構を日本が復活させるまで復権することはありませんでした。ロシャー・キノがそうしなかったのは曲率を変えて各効果毎に固定したかったからだろうと思います。画像の質に拘ったものと思います。まさにアストロ的ですが、その結果、使い勝手は悪くなっている点は考えないというのもアストロ的です。使用と使いこなしにおいてもゲルマン魂を語る必要に迫られるレンズです。
これはハリウッドのASC(アメリカ映画撮影監督協会)の創立者で第一回アカデミー撮影賞の受賞者 英国人のチャールズ・ロシャー Charles Rosherが設計したものです。1926年にドイツで撮影された「ファウスト」の顧問を務めた時にドイツに一年滞在して撮影技術を学び、その時にアストロ・ベルリン社に発注したようです。様々な撮影状況に対応するために効果を変えられるレンズが欲しかったのかもしれません。開放では、画像中央と周辺の落差が大きいので絞りでうまくコントロールする必要がありますし、フルサイズで使うのは周辺のボケがきつ過ぎて使い難いかもしれません。本来は16mm映画用ですからAPS-Cであればちょうど良いと思います。そうすると焦点距離が長くなり過ぎるような気もしますので難しいところです。映画の撮影ではこれぐらい長くないと満足する効果が得られないのかもしれません。映画制作人が求め、映画制作人が設計した映画撮影用のレンズであって、それとアストロの合作ですから、アストロ的純度を求めるのであれば、ゾフト・フォーカスの方が良いだろうと思います。ロシャー・キノは、映画において人物を際立たせることに特化したレンズと思います。贅沢な逸品です。
Rosher-Kino-Portrait | f2.3 | 75 100mm |
大判用のレンズです。後にレトロフォーカスタイプと言われるようになった構成の原始タイプで、この構成は元々ハリウッドの映画カメラマンだったジョーゼフ・ベイリー・ウォーカー Joseph Bailey Walkerが1932年に特許(未発見)を取得したものです。この人物の依頼で作られた可能性があります。レンズにシャッターがついています。尚、このウォーカーのレンズはエレメントの間隔を移動することによってズームレンズになり、実際にこのようなレンズを制作して映画を撮影していたようです。そのレンズがトランスフォーケーター Transfocatorであったかどうかはわかりません。後にウォーカーはズームレンズの改良をさらに進め、ついに世界で初めてレンズ内部にモーターを組み込むに至りました。
Tasman | f1.4 | 180 240mm |
f1.5 | 140 158mm |
世界大恐慌時代にズームレンズが幾つか開発されるようになり、これら戦前の数少ない本格的なズームレンズのうちの1つがトランスフォーケーター Transfocatorです。単体レンズの全面に取り付け、焦点距離を変えることができるというものでした。パン・タッカー Pan-Tachar 50mm f2.3に取り付ければ焦点距離は36-72mmの間で可変可能でした。単体で使うと15~30mmだったようです。設計はグラマツキです。(特許 DE622046 DE650907 DE667375 DE676946 GB449434) ズームレンズは複雑な計算が必要ですので、原理的には可能であることは随分前からわかっていたものの、実用として使えるものに製品化するのは困難でした。1880年頃にはオランダの眼科医 F.C.ドンダース F.C.Dondersが、エレメントを複雑に前後に動かす現代のズームレンズの最初期のものを望遠鏡用として発明し、1931年になってようやく撮影用のズームレンズがブッシュ社のヘルムート・ノイマン Helmut Naumannによって、翌年にはテーラ・ボブソン社のアーサー・ウォーミシャム Arthur Warmishamによって発売されました。こういう流れの中で1934年にレンズを3枚のみとするドンダースの設計を採用し、中央のエレメントのみを動かす単純な方法でズームを実現したのがアストロの本レンズでした。その代償としてだいぶん大柄なレンズとなり、倍率も2倍程に制限されましたが、この複雑な計算をこなしたのが数学大国のインドからやってきた人物だったという事実は興味深いと思います。しかし全く興味深くない遺憾な事実としては、このレンズが極めて入手困難であるということです。其他のアストロレンズの優秀性についても、特にタホンのようなレンズの場合は、このインド人の功績に拠るところが大きかったのかもしれません。
Transfocator | 15~30mm |
望遠レンズは持ち運びに不便です。それでレンズとカメラの間(リア)にチューブを各種用意して組み合わせることによって焦点距離を変えることができるようにしたものです。ズームの代りになり得るものとして開発されたようです。ズームは描写の点で不満があったのかもしれません。以下のリストはチューブパターンの変更で実現できる4つの焦点距離を示しています。
Telestigmar | 175mm | f3.5 |
225mm | f4.5 | |
250mm | f5.0 | |
315mm | f6.3 |
長い筒の先端に顕微鏡レンズのような外観の小さなレンズがついたマクロ専用レンズです。マクロはガウス・タッカーで用意されていますし、これは距離も絞りも固定なので一般の撮影で使いにくいですから産業用だろうと思います。
Feuerraumobjektiv | f? | ?mm |
アリフレックスマウントのアナモルフィック Anamorphicレンズです。一般撮影と切り替えることができるのか、距離リングは白と赤の2種示してあります(独特許 DE624178)。英クック Cookも同様の特許があります(米特許 US2821110, 独特許 DE1199015)。
Ultrascope | f4 | 400 600mm |
紫外線(UV)写真用です。
Quarz-Anastigmat | f5.4 | 135mm |
レントゲン撮影用です。
Röntgen-Kino | f1.25 | 25 40 50 75mm |
何に使うレンズなのか不明です。全面はフードのようにまっすぐ伸びており、そこにスリットが1つ入っています。何かの機器に固定するためのものでしょう。ヘリコイドはありません。産業用と思われます。
Widar | f2.7 | 52mm |
アストロ・ベルリンのレパートリーを最後に整理しておきます。入り口に象徴的なファーンビルドリンゼという旗が掲げられており、建物は3本の大黒柱で支えられています。2本の巨大な側柱はパン・タッカーとガウス・タッカーで一際目立っています。そして正面にタホンです。周辺には亜種やタハレッテ、テラスタンといった小さな柱もあります。中庭の東屋も3本柱で、アスタン、アストラー、奥にカラー・アストラーです。それ以外にも幾つもの小部屋があります。
双子から発展させて何かを生み出すというスタイル、これがアストロの特徴かもしれません。パンとガウスの2つのタッカーからの幾つもの亜種、その延長にあるタホン、これが1つの形。そして、ガウス・タッカーとそのマクロ、そしてその延長にあるキノ。アスタンとアストラーの多くのレパートリーの最上級にあるカラー・アストラー。ファーンビルドリンゼの2種のレンズ構成からイデントスコープ用の幾つもの望遠シリーズに発展。人物撮影は、ゾフト・フォーカスとポートレィの2本立てにロシャー・キノ・ポートレィ。同じ出自のタスマンとトランスフォーケッターからテレスティグマー。スタートは1つではなく、2つの原子から成る分子のように構成する、そこに1つ足して水の分子のようになる、この神慮に近い概念が他では見られない独特の構想であって、これがアストロのリストを品格あるものにしているのかもしれません。
ライツの本拠地・ウェツェラーにあった光学会社です。アストロからライセンスを受けてレンズを製造していたと思われます。レンズ名を見るとアストロ製であることが明確にしてあります。マウントはM36かM37でFecaというイエナにあった無名の会社が販売していた小型カメラ(実際の製造はツァイスか?)に付けられていたようです。アダプターも用意されていてM42でも撮影できたようです。
Astro-Astan | f2.9 | 47mm |
Astro-PanTachar | f1.8 | 55mm |
現在、この2種のレンズの存在が確認されていますが、とりあえずこの2本しかなかったという前提でいろいろ推測してみたいと思います。(8mm用であれば、Optar 20mm f2.8のみ1本だけ確認されています。)まず、明るさが異なる(価格が違う)2種類の標準レンズが必要だったということが想定されます。しかしどちらも50mmではありません。アストロのメジャーラインナップで最も明るいレンズはパン・タッカーf1.8となりますので、これを選択するのはわかりますが、50mmはあるのにわざわざ55mmをチョイスしています。アスタンは47mmを選ばないのであれば、50mm f3.5になります。半段程明るいレンズを選んだ事になります。ガウス・タッカーは選んでいません。もしこの2つの選定に意図があるのであれば、アストロの標準レンズはすべて調査した筈で、それ以前に光学会社の選定でも他社の標準レンズは調査している筈です。多くの選択肢の中からこの2つを選んだ事は注目に値すると思います。何も考えていないのに、こういう結論にはならないと思うのです。アストロの標準レンズを精査したら、この2つが残るかもしれないという事実は頭の片隅に置いておきたいところです。それにしてもどうしてロウ・オプティック名義で販売しなければならなかったのかはわかりません。フェカ向けに製造するレンズが負担になったので、アストロが外注したのかもしれません。