アストロ・ベルリン Astro Berlinには「ポートレィ Portrait」というラインナップもあります。f2.3の150,200mmが確認されており、いずれもイデントスコープ Identoskopというレフレックスハウジングを使って様々な機器に取り付けられていました。ポートレート肖像用のレンズです。イデントスコープはライカにも使われましたが、人物撮影に及ぶのに短いもので150mmは少々長過ぎるような気がします。映画であればフィルムが小さくなるのでなおさら長過ぎる気はしないでもありませんが、映画は結構これぐらいのものを使います。f2.3という明るさを獲得するためにライカが見えなくなるぐらい巨大なものなのでイメージサークルも大きく、レフを外せば大判でも使えたのだろうと思います。それでも主な用途はスチールではなく映画だったと思います。この長さでf2.3であれば、ごく薄いパースペクティブになりますが、映画は静止画ではないのでスチールとは考え方が違います。人物は霧に包まれた感じになりますが、焦点の合った眼だけは精度を保っているという、そういう効果になります。しかし、ゾフト・フォーカス Soft Focusとは違います。アストロ・ポートレィは大判写真の効果を動画に応用する意図のものだと思います。
そう考えると、外径42mmと常識的な大きさでスペックを抑えてf2.7とし、焦点距離も短く100mmという本レンズはより使いやすいと思えます。ところがこの形状では、どのようなカメラに取り付けられる想定なのかわかりません。絞りを調整するためのスリットがありますが、中の絞り機構が壊れて捨てられた模様で、本来はスリットから突起が出て、それで絞りを調整していたと思われます。スリットの反対側にも穴が開いていてネジが差せるようになっていますので、元はこのフレームの外側を囲むようにシャッターが付いていたと思われます。スチール撮影のみの用途で設計されたものと思われます。
レンズ構成はトリプレット型です。前群2枚の曲率、間隔はパン・タッカー Pan Tacharと酷似しています。そして後群は1枚です。前稿のゾフト・フォーカスでニコラ・ペルシャイド Nicola Perscheidのレンズ構成について触れていますが、20年近く生産されたと思われるこのレンズは途中で設計変更されており、前期型は2群4枚でしたが後期型はトリプレット型(3群3枚)となっています。前期型は像面湾曲が出ますがトリプレットに変更するとより安定するためだったようです。トリプレットは製造が難しいのでかなり意欲的な変更だった筈ですが、しかしこれが販売中止に至り、その後の受注生産では変更前の4枚編成のものに戻しています。このことから戦前では、ソフト・フォーカス或いはポートレート用レンズとして、ペッツバール系からトリプレットが採用されていたことがわかります。アストロにおいても、f2.3のポートレィがペッツバール型で、本稿のf2.7はトリプレットが使われており、この使い分けはシネとスチールの違いだと思いますが、互いの特徴を掴んだ上で区別していたのは興味深いと思います。一本化せず双子にするアストロ的方法論はここにも見て取れます。
ポートレィというレンズですから、さっそく人物を撮影してみます。距離は2m程です。絞り値開放のf2.7ですが、このレンズは絞り羽はすべて失っているものの、羽を収めるフレームが残存していますので開放で表示値通りと思います。それで設計値以上に広げたりしている訳ではありませんので、ピントが合ったところの柔らかな写りはデフォルト仕様と考えることができます。アストロ・ベルリンのトリプレットと言えばアスタン Astanがあります。アストロとしては安価なモデルの玉だろうと思いますが、保証できる性能としてせいぜいf2.8が限界でした。他にf3.5,f3.0,f2.9とありましたが、最高スピードのf2.8には75mmが用意され、これはポートレート使用を考えてギリギリの明るさを模索したものと思います。f2.7に達するともう3枚玉では無理で名称もアストラー Astrarと変えて4枚、5枚と投入しています。戦前のポートレィ Portraitは安価版どころかプロ仕様だったと思われますが、それでもf2.7でここまでのクォリティを獲得しているのは、かなり凄いのだろうと思います。ライツやニコンでもf4でしたから("3枚玉" は何の為にあるのだろうか参照) 戦前にこのコンパクトさで、しかもノンコーティングでf2.7に持っていったのは驚異的です。そうすれば設計の段階で収差が収まり切らずに彷徨いますが、収差を消さずにうまく捌いてバランスを取れば幾分不明瞭さは残るものの美しさは得られます。それでこれを以て「Portrait」としたのかもしれません。
50cmぐらいの距離です。収差は取り巻く光の状態にも左右されますので、シャープに写すことができる場合もあります。f2.7のトリプレットでここまで持っていったのはアストロの技術力を示していると思います。コーティングを全面に入れればf2.5ぐらいは得られると思いますが、不自然に”優秀”になるし、そういう意味でも貴重な物のような気がします。
180度反対に回り込んでほぼ同じ場所を撮影したものです。若干、逆光気味でシャープさを失いかけているようにも見えますが、これぐらいの揺らぎは人物を撮った時に美しく作用するだろうと思います。ただ斜め後方から差し込む光で人物を撮影することはほとんどないと思うので、この画は参考程度にしかならないと思います。また、このレンズのフィルター径は独特でフードを使うことができなかったのでノンコートレンズの前面が剥き出しなのですが、もしフードをあてがえばより色彩感なども増すと思いますからぜひ実施したいところです。39mmや40.5mmのフードはすでにあるのですが、どちらも合いません。40mmがちょうどのようですが、それはないだろうと思っていたら意外なことにタオバオで売っていました。今更遅いのですが買っておきました。
暗い場所でほぼ人工光だけという環境です。こういう環境で人物を撮るのがベストだろうと思います。残念ながらこの時の同席は男性でしたので、人物撮影例をお見せするに至らないのは残念です。しかし彼が私の撮影中の写真を携帯で撮った筈ですので、ここに貼り付けようかと思い、彼に問い合わせると失敗したのかダメだったというので貰えませんでした。よく考えるとこれだけ暗い場所では無理があったと思います。
このあたりで前後のボケも確認してみます。美しく溶けるようにボケますが、特徴が少し異なります。上が前ボケで下の写真が後ボケです。前の方が奇麗で、後ろは少し騒がしさがあります。とはいえ、よくよく見ないとわかりません。これは球面収差が僅かにオーバーコレクションになっていることを示しています。ということは、ゾフト・フォーカス Soft Focusとは逆になっているということになります。しかしポートレィ Portraitの方がはるかに収差を少なく採っています。これでアストロのソフトとポートレート用レンズに対する考え方がわかりました。そしてもう一つ、ロシャー・キノ・ポートレィですが、こちらは像面湾曲を過剰にプラスに振る事で人物撮影向けの効果を出しています。
アストロはやはりこういう人工光を美しく撮る傾向があるように思います。ベルリン派のパステル調の色彩はこのレンズからも感じられます。
夜間の非常に光の少ないところで手持ち撮影に及ぶと、ビゾを使っているということもあるので非常にブレやすく、これもある程度影響があったかもしれませんが、湯気が多い構図ですので、大事には至っていません。トリプレットならではの幻想的な感じに仕上がったと思います。
さらに迫るともっと鮮明に撮れました。背景はチリチリしていますが、どことなく品はあります。こういうボケもこの例のように僅かであれば重厚感があって良いと思います。
さて、この店で夜食を食べることにしますが、ここでレンズの前面を回しますと外れますからその一歩手前で止めて、前群の2枚を前に出す形でわざと収差を出してみました。少しソフトになりました。使えるかどうかわかりませんが、オプションの1つとして記憶しておきたいと思います。