映像で使用するオールドレンズを解説するページです。
映像の撮影法 について
撮影後のグレーディング について
小店で撮影した映像は、無一居公式YouTubeチャンネルに掲載しています。

Kinoではスチル(写真)以上に人物描写が重要です。街の中を人が歩いているとします。スチルであれば人は街の風景に溶け込みます。Kinoは違います。人物は大抵動いているからです。動いているものに視線が向かいます。そして時間の経過で移動してゆきます。写真は静止しているので動きを伴う時間の流れはありません。そのため同じ構図でも見え方が変わってきます。Kinoでは人物が大きな要素となり、街の風景は飾りになりがちです。動く人物が含まれていない建築を撮影するとします。動画でも静止画でもそれほど大きな違いは生みません。ですがそこへ人物が介在すると全く変わってきます。映像を記録するレンズというのは、つまり肖像のためのレンズという一面があります。
Kinoに対して歴史的に大きな影響を与えたのは、ペッツバール Patzvalとダゴール Gadorでした。どちらも肖像撮影で評価されていました。
Petzval
Dagor
この2種をそのままKinoに採用するのは困難でした。これらは大判用のレンズであって、Kinoは小型、画角や製造面で全く異なることから、そのまま採用することは理想的ではありませんでした。そのため収差配置を踏襲しながら様々なレンズ構成が採用されました。以下は代表的な設計です。これらは業務の映画人か少数の大富豪への供給であったため、生産数は非常に少なくあまり現存していません。Arriから初めて35mm用キャメラ Kinarri 35(Kino+Arriの意)が出たのは1924年です。
| 1913 | 仏 SOM Berthiot | Stellor f3.5 |
|---|---|---|
| 1921 | 独 Goerz | Dogmar f2 |
| 1922 | 独 Meyer | Kino Plasmat f2 |
| 1924 | 独 Astro Berlin | Pan Tachar f2.3 |
| 1925 | 独 Goerz | Kino Hypar f3 |
| 1925 | 独 Goerz | Cinegor f2 |
| 1931 | 英 Cooke | Speed Panchro f2 |
| 1936 | 独 Meyer | Primoplan f1.9 |
| 1950 | 仏 Angenieux | R2 f2.2 |
| 1951 | 独 Schneider | Cine Xenon f2 |
| 50年代 | 独 Zeiss | Cine Planar f2 |
おそらく映画のために既製品か既成の設計として最初に提示されたのは1913年、SOM Berthiot ソン・ベルチオ Stellor ステラーでした。SOMとはフランス光学学会で、学会として映画業界に提示したものと思います。ペッツバールは画角が狭いのでそこから改良したものと思います。
SOM Berthiot : Stellor
同年、1913年にドイツでは、Goerz ゲルツ Dogmar ドグマーがキノのためにf4.5で販売されていましたが、1921年に至りf2に向上しました。
Goerz : Dogmar
1924年のAstro Berlin アストロ・ベルリン Pan Tachar パン・タッカーはドグマーの競合と思われますが、f2.3と暗くなっていました。明るさよりも描写を重視したものと思います。
Astro Berlin : Pan Tachar
1925年、Goerz ゲルツ Cinegor シネゴールは、ドグマーの改良と思われます。
Goerz : Cinegor
肖像用にはトリプレット(3枚玉)も有力ですが、Kinoには薄すぎるのか(動画は素早く視線を誘導する必要がある)おそらく採用されている例はほとんどありません。しかし3枚貼合のダゴールを製造していたベルリンのゲルツ Goerzは、この魅力をKinoにも適用した時、トリプレットの前玉を3枚重ねにしました。1925年 Goerz ゲルツ Kino Hypar キノ・ハイパーです。f3と少し暗くなりますし、当時のキノの中でも特殊なものと言えます。
Goerz : Kino Hypar
もう一つ特殊と言えるのは、1922年 Meyer メイヤー Kino Plasmat キノ・プラズマートです。
Meyer : Kino Plasmat
映画業界から本当に求められているKinoとは何なのかを追求するため、ハリウッドに人を派遣して完成させたCooke クック Speed Panchro スピード・パンクロは1930年の設計で、これが業界標準になったため、過去の設計は消えていきました。
Cooke : Speed Panchro
ドイツはまだガウスに移行せず、1936年のMeyer メイヤー Primoplan プリモプランで過去の設計を改良しました。「・・プラン」という名称もゲルツ発祥で、ゲルツ消滅後の後継であることを示したものでした。この種のレンズ構成の最終点です。この後ドイツもガウスに移行してゆきます。
Meyer : Primoplan
ペッツバールの収差配置です。左は球面収差でほぼ直立です。中央は非点収差で2本の線が左に傾いていると簡潔に理解して下さい。右は湾曲で、フィルム面がドーム型に手前に盛り上がっている様子ですが極めて僅かです。
ペッツバールの製造はフォクトレンダー Voigtlanderが行いましたが、フォクトレンダーの異母兄弟 ツィンケ・ゾマー H.F.A.Zincke-Sommerが改良した収差図です。球面収差は大きくアンダーになっています(目盛を比較して下さい)。非点収差は左右に割れています。とりあえずここではこの2種の収差を把握しておいて下さい。
ダゴールも同じく2種を把握して下さい。1つ目はオリジナル・ダゴール、2つ目はシュタインハイル Steinheilが改良したオルソチグマット Orthostigmatです。図の見た目で漠然と把握するだけで大丈夫です。レンズ構成が違いますので癖は異なりますが、大筋でペッツバールと似たような変化を辿っているように見えます。
1913年、SOM Berthiot ソン・ベルチオ Stellor ステラーの収差配置です。これまで改良が進められてきたのですから、それを踏襲しているように見えますが、違うところもあります。球面収差は美しい左巻きになっています。レンズは球体なので自然とこうなる傾向があります。逆巻きは基本ありません。これが重要で20年代はこの形が続きます。湾曲は逆になっています。前に出ていたものを引っ込めたわけですから、落ち着いた画になりそうということが推察できます。
SOM Berthiot : Stellor
もう一度、球面収差を見ますと、ピンク色の紫外線400nmも表示させていますが、波長が短いので本来はアンダーのところ、それがオーバー側に捻れています。ダゴールからの技術です。こうすることで青が強くなります。モノクロだから色は見えないのですが、しかし取り込む光には色があるので影響は見えます。シャドーが締まります。これが非常に重要なのはKinoが人物を撮影するものということと関係があります。この青は肌の補色なので、人物を引き立てます。だけど何らかの方法で単純に青を強くすると電球の黄色(或いは肌色)と中和して白になります。そうではなく、青とオレンジ(肌色)をしっかり分離せねばなりません。この原則はモノクロ、カラーどちらも同じです。
1921年、Goerz ゲルツ Dogmar ドグマーです。映画用のスーパー35なので半画角は16度ぐらいとなりますから、ステラーとは基本的に同じということになりますが湾曲は使っていません。
Goerz : Dogmar
1924年、Astro Berlin アストロ・ベルリン Pan Tachar パン・タッカーです。似ているのはレンズ構成だけではなく収差配置まで似ています。
Astro Berlin : Pan Tachar
1925年、Goerz ゲルツ Kino Hypar キノ・ハイパーです。ダゴールの延長ということがわかります。球面収差を少しアンダー、非点収差は開いても左に寄せている、湾曲は戻しています。新しい感覚を取り入れKinoに適したものにはしているものの、ダゴールのDNAは失っていないことがわかります。
Goerz : Kino Hypar
同じ1925年、同じ設計者によるGoerz ゲルツ Cinegor シネゴールは、よりオリジナル・ダゴールに近づけています。古い収差配置に戻しています。改良ではなく、古い方が良いと主張しています。
Goerz : Cinegor
1922年、Meyer メイヤー Kino Plasmat キノ・プラズマートです。攻撃的なパン・タッカーです。しかし設計された順序は逆で、こちらの方が古いです。目盛を見ていただきたいのですが収差が多すぎて見るからに暴れそうです。これも湾曲がプラスです。マイナスはフランス人の感性で、それをドイツでは戦前においてはアストロ・ベルリンだけが引き継いだと考えられそうです。
Meyer : Kino Plasmat
1930年、Cooke クック Speed Panchro スピード・パンクロです。湾曲をマイナスにしたペッツバール・オリジナルです。ここでも古い方に回帰しています。そして色収差を強烈に捻っています。そのため結構青が強くなります。やりすぎでは? とも感じられます。スピード・パンクロは何度も改良されており、クックはこれをやめたこともありますがハリウッドから苦情が出て戻しています。色が滲むのか、モノクロでも描写がボヤけるのですが、それで良しだったようです。見た目は大人しく収まっているようには見えるのですが、意外と攻撃的です。
Cooke : Speed Panchro
1936年のMeyer メイヤー Primoplan プリモプランは、シネゴールの改良であることがわかります。映画では半画角16度ぐらいで、それより外側の収差の振る舞いに強い指向性が出ています。
Meyer : Primoplan
1952年、Schneider シュナイダー Cine-Xenon シネ・クセノンです。レンズ構成はスピード・パンクロと同じガウス型です。収差も大きく変えていませんが、そもそもクセノンはスピード・パンクロの改良バージョンの1つでした。それを戦後、シュナイダー独自に設計し直したものです。改良なのですが、ほとんど変えておらず口径もf2のままです。過激な色収差は修正しています。
Schneider : Cine-Xenon
1943年、カラー対応したスピード・パンクロ IIです。球面収差の直立型は変えておらず、色収差は最終的に修正しています。シネ・クセノンとの大きな違いはそれぐらいです。直立型は英国人が好みそうで、コンチネンタルとは感覚が違うことを感じさせます。
Cooke : Speed Panchro II
戦後、50年代ぐらいにもなりますと、シネ・クセノンのような収差配置が主流になり、スチル用のライカレンズも同じようになっていきました。違いを生んでいたのは微妙なバランスとガラスの選び方でした。その中でもシネ・クセノンとスピード・パンクロ IIは際立った傑作です。20年代の諸作についても同じことが言えます。収差配置はどれも似ているが、実際撮影してみると結構違うということです。そこを収差配置自体を変えてしまうというのはかなり大きな変化です。それが最終的に落ち着いたのが大陸ではシネ・クセノン、島(英圏)ではスピード・パンクロ IIでした。
戦前のKinoは、アール・ヌーボーなど芸術運動の影響下にあり絵画調です。戦後はそこから脱し、写真映像として独立している感があります。背景となっている感覚がかなり違います。キノ・プラズマートやスピード・パンクロ Iの収差は、真実を写し取るという感覚ではありません。これらはモノクロ時代のものだからカラーには合わないという人がいます。それは違うということが、小店が撮影している特に動画を見れば明らかです。これらの味は戦後のレンズで撮影できるのでしょうか? デジタル処理で近いものはできるのかもしれませんが、だいぶん違うのではないかと思います。それは戦前戦後の考え方の大きな違いがあるからです。
シネ・クセノンは戦後ですが、これですら現代のレンズでは撮れない映像と言われています。戦前のものともなるとそれはより困難です。しかしこのような”映画”に特化したレンズを作ってしまうと汎用性が失われる懸念があります。昔はスタジオ撮影だったので問題になりませんでしたが、ロケする時代になると商品、建築、スポーツなど昔のKinoのままだと困る対象があります。そこでフィルターを使うという手法が一般的になっています。業務プロダクションがデジタルを使い始めた頃からあります。シュナイダー公式のフィルターページの下の方にHollywood Black Magicの比較動画が載っていますのでここで共有します。SONYを使い、現行のクセノンで撮影しています。
こういうフィルターをつけっぱなしで撮影したりします。世の中全体がこういうもので良いという流れになっています。それに対する反発がレトロ化で、こういうものも出てきました。
そうしますと、これらとは異なる戦前のレンズもまた、現代に対する1つの提案となりそうです。
