次にご覧いただきますのはアストロ・ベルリン Astro Berlinのトリプレット型レンズでアスタン Astan 50mm f3.5です。アストロのトリプレットとしてはすでにポートレィ Portrait 100mm f2.7をご覧いただきましたので、再び別のものを見ていただくということになりますが、この2本はラインナップの中での位置づけが違いますので、そのあたりを確認しておきたいと思います。
戦前におけるトリプレットは人物撮影用途を主眼に製造されていたことについてはすでにポートレィ 100mm f2.7の稿でお話しました。しかし戦後には鏡胴の製造技術が上がってきたので、かなりシビアなエレメントの間隔を持つことで製造しにくかったトリプレットはガラスが少ないことと張り合わせがないことで、安価に提供できるようになりました。それでトリプレットとポートレート撮影が必ずしも同一視されることはなくなり、汎用的なレンズとしての位置づけで使われるようになりましたが、だからといってトリプレットからポートレート的特性が失われたわけではありませんでした。この曖昧さに対して、当時のユーザーがどのように感じていたかはわかりませんが、少なくとも製造するメーカー側では真面目に作っているところではトリプレットを低グレード品として扱ってはいなかったのは間違いありません。すでにご覧いただきましたシュナイダー Schneider ラディオナー Radionar 50mm f2.9も戦後の優れたトリプレットの一つですが、アストロのアスタンも同様のカテゴリーで、こちらはその中でも初期のものなので大戦前からあったようですが、ライカマウントにも供給されていた程の自信作でした。戦中に出てきたと思われるアンジェニュー Angénieux Type Zもオリジナルライカマウントがあり、これもトリプレットでした。単に優秀なだけでは満足できない、高尚で詩的な趣味という観点からレンズを探すユーザーに対して受け入れられたものだったのだろうと想像されます。安価でもありましたから、見栄を張っていない、気取りのない渋いセレクトが、実はそこが格好良いという文人趣味的な方面から人気があったのかもしれません。否、人気がない、メジャーではないところが良いのかもしれません。それがライカマウントでも供給する存在理由だったのかもしれません。ライカオリジナルには50mmトリプレットがありませんでしたので、尚更存在意義があったと思います。
北京には「CBD」と呼ばれる地区があります。紹介されている写真を見ると高層ビルが立ち並ぶ先進都市というイメージです。これは何かということでウィキペディアを見ますと「中心業務地区」と出ます。なぜこういう風に違和感を抱くかというと、北京で"中心業務地区"と言えるところはもっと広範囲だから、どうして狭い一部の場所だけこういう名称を当てるのだろうと思ったからです。上記のウィキを見ますと国貿あたりまで含まれるようですので、それなら納得できます。国貿は北京駅北側一帯です。その東隣の大望路あたりが一般にCBDと言われています。前からどんなところかと漠然と思っていましたが、どうでもいいことなのでこれまで見に行ったことはありませんでした。しかし今回用事でちょうど行く機会があったので、早めに行って撮影してみることにしたものです。
地下鉄で大望路で降りて地上に上がると確かに周囲は高層ビルが乱立していますが、駅前はローカル色が濃厚で早くも意表を突かれた格好です。こういう土地は先に買収してから商業区を作らないと住民に粘られてチグハグになるし、コストもかかります。もっとも、きちんと計画していればその方が驚きですが。
これはクレープですが、具が肉や野菜という中国伝統の食べ物です。山西ではクレープ様の生地で包みますが、西安まで行くとこれがパンに変わってハンバーガーみたいになります。人物については、立ち位置だけなく、彼らの背景的な事柄も気になりますが、これはCBD地区特有の光景と考えれば何ら不思議はありません。オフィスが多いのでOLがいるのは珍しくないし、高級ホテルもありますから、従業員が軽食を買いに来ても珍しくありません。皆さんも中国に行ったら、そういう間合いで立たないとすぐに外人だとばれてしまうか、変な人だと思われてしまいます。皆さんが3人目の客だったらどこに立つべきか考えてみて下さい。桂馬飛び配置が肝心になってきます。警備員の右後方に桂馬飛びが良いでしょうね。OLに横並びを避けて微妙に後方の位置取りになると思います。その前に警備員の横から強引に注文を入れておかないといけません。警備員が去ってOLが前に進んでも、そのままで良いと思います。
大勢の人が毎日行き交うところなので、こうして人が近づいてきても全く微動だにしません。ナデナデしてやっても、この達観した表情に影響を与えることはないのです。今度はいつ風呂に入れて貰えるかといったようなことはどうでも良い小さなことなのです。かなり近い距離ということで画像の周辺の鮮明さが失われるトリプレット特有の現象が見られます。そして中央の対象物が浮き上がってきます。顔と背景の距離が余りありませんが、それでもそういう効果が確認できます。
高級ホテルの中庭に入ると、まだ寒いので植物を這わせていない裸のドームが残骸のように置かれています。遠くに高層ビルが霞んで見えます。この日は風があまりなかったのでスモッグが立籠めています。ドームがクリーンに写っているのでレンズの問題でないのは容易に確認できると思います。しょっちゅう強風が来るところなので、その時には快晴になります。そして飛来物は東の果ての島国に達するのです。
これが高級ホテル本体の方で確かリッツ・カールトンだったと思います。私はパリのリッツで、相応しくない外観ということで摘み出された前科がありますので、ここでも控えめな行動を心がけるものですが、実際には問題ないでしょう。スモッグも良い方向に作用したのか、印象深い画になっていると思います。(ちなみに、当時の私の"外観"については皆様には確実に評価いただけるものと自負するものであって、ルミエール塗装によるブラック ライカ M3にエルマー50mm サードパーティのブラックフード付きをストラップなしで左手に握っているというものでした。もちろん、鏡胴は繰り出してスタンバイ状態だったのは言うまでもありません。積極性が全く評価されなかった点についてはホテルリッツに猛省を促したいところです。) 注:海外の高級ホテル内で写真を撮るのは好ましくありません。香港のシャングリラでは警備員に撮影しないよう言われたので、そういうものなのだろうと思います。記念撮影程度なら問題ありませんが、私のような撮り方は問題あるということです。
オフィスビルに囲まれるように百貨店が数軒あります。洒落た広告もあり、ここが中国と感じさせるのは漢字の表記だけです。「時装」というのは流行ファッションのことです。これはおそらく働く女性のためのファッション雑誌です。表紙のデザインはちょっと趣旨と違う感じも有りますが、こういう例は多く「男装(男性ファッション)」誌の表紙は美人とか、ずらしてみるというのが1つの戦略のようです。ファッション雑誌は買ったことがありませんので、内容についてはよくわかりません。
シャネルの広告です。ガラス越しでの撮影になりましたので、少し反射が見られますが、これはこれで良いと思います。マネキンの足に焦点があっていますが、その浮かび上がり方と後方のボケの佇まいの調和に品が感じられます。
マネキンの多いところですが、だからといって椅子にまで座らせたら迷惑ではないでしょうか。一緒に座るわけにはいかない。これは通路ではなく店内の一部なのでしょう。こういうディスプレイは日本にもあると思います。
トリプレットの優しげな描写とアストロ独特のパステル調の絵作りが良い方向に表出された画だと思います。このレンズはコーティングがなく、シリアルから戦前か戦後すぐのものと思われる古いものですが、撮影された画像からは全くわかりません。現代人がこういうレンズを認めるかどうかはわかりませんが、いずれにしても戦前にはすでにトリプレットは極め尽くされていたと思えます。アスタンをライカマウントでも供給するよう決定されたのは十分理解できます。こういうものが評価された良い時代だったということもあると思います。ガラスにコートを入れるともっときつくなっていたと思うので、コートが一般的でなかった時代にこれが作られたのはラッキーだったと思います。とはいえ、このレンズが製造されていた頃にはすでにコートはあったので、わざと入れなかった可能性の方が高いと思います。そういう判断は現代では考えられません。技術とか測定結果だけで判断することのない本当のプロの仕事と思えます。
この3人は無関係でしょうか。いえ、親子なのです。人物の距離感というのは民族性が表れます。電話をする夫のバックパックから物を取り出そうとする妻、そしてすでに親から心理面ですでに独立していると思われる子供です。
老人は社交性が高く、とにかくこうして外で集まりますが、2人は珍しいです。もっと大勢集まるのが普通です。新興オフィス街ですから、老人人口が少ないのでしょうか。時代も変わって集合地点も、中華風の東屋からティーカップに変わっています。
経済発展している場所には必ずいらっしゃる皆さんです。上の歩道橋の通路にはたくさんの落書きがあります。これは「办证」とあって携帯番号が書いてあるだけです。電話しますと金を払えば、北京大学の卒業証書から運転免許証まで何でも楽勝で作ってくれます。この種の広告はどこでもあるので、わざわざ探す必要はありません。こういうのを見て、いきり立つ人が時々いますが、そういう人は世間がわかっていないし、自分がやれる立場になったら手の平を返したようにやりますね。やらない人は何も言わないですね。社会とはそもそもこういうものであって、価値が金を生むのでこういうビジネスも出てくるし、価値を提供できなければ物ごいをするしかありません。いや、そうではなく、物ごいも人々から哀れみの感情を喚起するという一種の価値を提供しているのです。これは純粋に経済の観点からだけの見方なので、反発を感じる方は健全です。あるオランダ人画家はまともに売れる絵が描けないので弟に金をせびっていました。その手紙のやり取りは現在、ゴッホ財団が所有している筈です。弟は生涯にわたって兄を見捨てなかったので、その結果、傑出した偉大な作品が多数残されました。現在では彼の存在は巨匠たちから子供に至るまであらゆる画家の目標であり憧れです。モーツァルトは成功を収めることができず、失意のうちに33歳で夭折しましたが、現代では彼が価値を生み出さなかったと考える人はいません。とかく人は見えるもの、分かりやすいもので他人を判断しがちですから、人を安易に裁かないという原則を保つのは簡単なことではありません。
皆さんは中国に行ってATMを使われるのであれば、その時はきちんと並んで下さい。桂馬飛びに構えてはいけません。中国旅行で日本のクレジットカードは高級店以外使えませんので注意してください。ATMにVISAのマークがあっても使えません。中国VISAと国際VISAは違うと認識して下さい。簡単に使えるのは、新生銀行とスルガ銀行の普通預金のカードぐらいです。他の国内銀行カードは中国では全部はねられます。現金を持って銀行で両替しないで下さい。必ず混んでいるので時間が非常に取られる上、偽札はこういう窓口から供給されているのです。銀行の建物がいかに巨大であっても、それと信用は別問題です。建物が大きいから中の人間も大きいとは限りません。見えるもので安易に判断しないのはここでも同じです。偽札はババ抜き的に出回っていますが、100元札ばかりなので旅行する皆さんはATMを利用する限り心配することはありません。おつりで100元を受け取ることはないからです。ATMに偽札は混ざっていません。レートが多少不利でもATMに行って下さい。「取款」は引き出し、「密码」がパスワード、後はおそらくわかるでしょう。中国銀行ATMは一回の引き出し額上限は2500元、中国工商銀行は3000元、何度か繰り返せば、それ以上引き出せます。
ATMで充電した中国人はこのようにショッピングします、或いは、推奨されています。
来た時と同じように地下鉄に乗って帰ります。ついでに吊り革でも撮ってみます。アスタンに合うフードがなくて困っているのですが、正面からストレートに強い光を喰らうと平面的な画になってしまう気がします。(フードは31mmカブセを探すのが良いようです。ライカマウントの方はわかりません。)
空港の近くに住んでいる私の中国語老師に「あなたのところの街を今度見に行くよ」と言ったら彼は案内できるところがあると言います。本当でしょうか。空港付近というと相当田舎です。期待しつつ早速向かいます。駅に着いたら彼にメールを一本入れて「近くに古い病院があるから撮影しながら待ちます」と言っておきます。「順義」は地名で続いて「国医院」とあります。漢方医院の意味です。こういう建物だからといって西洋医学の設備がないとは必ずしも限りません。多くはどちらも取り入れられています。
かなり立派な屋敷です。瓦とか装飾に格調が感じられます。トリプレットで撮影すると立体感が出て良い感じです。
少女は一人で先に入り口に来て家族を待ち、家族が来たらこのように迎えます。目測でしたが予想外に少女の動きが速く「外したかな」と思いましたが、後でよく見るとコートの前の方に合っています。僅かに早かったようです。この生地の質感はノンコートレンズならではだと思います。
中国語老師はすぐに来ました。どこへ案内するつもりでしょうか。彼は候補地を6つ用意していました。もうすでに時間は16:30なので選択の幅は限られています。第一候補の空港へ向かうことにします。この上と下の2枚は全く同じところから撮ったもので焦点を合わせている距離が違うのみです。上はフェンスに合わせていますがトリプレット独特の妖艶な写りです。
高圧電線に囲まれたこの細長いエリアは滑走路を飛行機に示すためのものです。奥に着陸寸前の飛行機が見えます。斜めに飛んでいますが、このように斜めのまま滑走路に進入しています。風が非常に強いからで、機体は大きく揺れています。北京上空はほとんどいつもこんな感じです。
ここから見ると、すぐそこが滑走路ということがわかります。左下には赤いペンキで高圧線に注意を促す立て札があります。周囲は木が植えてありますが、この周辺の土地は回族の墓地です。老師の提案するスポットは、2:湖、3:回族寺院、4:蟹の養殖場、5:国際展覧会場、6:焦庄户です。このうち、5はすでに仕事でだいぶん以前に行っていますので却下します。4,6は遠過ぎるのでこの時間には無理です。そこで次に3へ行きます。一番おもしろそうなのは6です。これは抗日戦争時代の地下通路です。ゲリラ戦に使ったものです。これで日本をやっつけた英雄談は映画にもなり、私の二胡老師が主題曲を演奏しました。私がこの話に首を突っ込むと「お前は考えなくても良い。昔の話だから」と言って遠慮します。しかし老師が録音してカセットテープで販売されたこの曲は私が秘密裏にデジタル化しましたので皆さんにも聞いていただけます。地道戦叙事曲です。
着きました。イスラム・モスクです。中国のモスクは中華風ですか。いいえ、そんなことはありません。普通は見たらすぐにはっきりとモスクなのがわかります。これはわかりません。一見、仏塔に見えます。かなり珍しいと思います。
「回民」とありこれは回族という中国全土に1000万人散らばっているペルシャ・アラブ系の民族です。「清真寺」というのはモスクのことです。門をくぐると右奥にシャワールームが並んでいます。体を清めてから礼拝に参加するようです。黙っていると勝手に中国人が使いますので禁止していることが明記してあります。
寄付箱が置いてあります。コバルトのような青というのが文化の違いを感じさせます。この繊細な描写はコーティング有りのレンズでは出せない味でしょう。
アラビア語と中国語で礼拝の時間が書いてあります。最初の5:10は朝です。1:00は昼です。後は夕方から夜です。この時は6:00でしたので、奥の部屋にすでに人が集まっており、そのため三重塔には登れませんでした。
靴の数を見ると10名ほどしか集まっていないようです。うろうろしていたら白いターバンを巻いた若い男性が中庭を横切ります。その後、その父親と思われる教祖と一緒に出てきますので、老師が話しかけます。彼は開封出身なので回族関係に詳しいようです。中国に移住して開封に定住したユダヤ人は宗教をイスラムに変えてその末裔がまだ残っているということでした。しかし教祖が知っていることはナチス時代にユダヤ人が開封に逃げてきたということでした。大陸は島国と違い、複雑な民族関係の背景があります。
老師はネットで講義しますので、7時までに帰ります。今日の生徒は韓国在住の子供です。これを少し見てから周辺を歩き回ります。かなりローカル臭が感じられるエリアです。アスタンはこういう人工光を捉えるのが巧みなように思います。もっとも、アストロ・ベルリンのレンズはいずれもそういう傾向がありますが、アスタンも他のレンズとは違う個性があって良いものです。
「面」とありますが、麺のことです。わからない人がいてはいけないので一応言っておきました。赤い丸という意匠が東洋のエキゾチシズムを醸し出します。蛍光灯は普通のものの筈ですが、なぜか青白く感じられます。ガラスの影響と思われます。昔の古いガラスなのだと思います。今風に言うとレアアース入りというやつです。写真用レンズもレアアースを使います。最近は環境基準が厳しく、鉛を極力使わないものを開発していますが、代わりにレアアースを使うこともあるようです。
中国人はビリヤードが好きです。ビリヤード場は結構至るところにあります。中央電視台(中央テレビ局)には幾つも频道(チャンネル)がありますが、そのうちの1つが体育频道で、しょっちゅう欧州のビリヤードトーナメントをやっています。体育? 球使うから体育なんじゃないですかね。まあ、でも体育に入れるのが妥当なんでしょうね。
麻辣烫です。意訳しますと「遙か北京で食し、味は四川に回帰す」という意味の4文字熟語ペアが見受けられます。中国人の感情を嫌が応にも引きつけます。見るからに辛いということで、私は当然食べたことはありません。しかしこれはローカル屋台で一番人気です。高級料理では火鍋がおそらく一番人気です。どちらも大同小異で、麻辣烫はおでんで火鍋はしゃぶしゃぶでどちらも辛いということです。火鍋の有名店は余裕で2時間は待たされますが女性に人気があり、彼女らは平気で待ちますので私も我慢するしかありません。この点、男は言いなりであるのは世界共通なのです。語学があやふやなのに、待ちが長いのでたいして意味のないことを話題にしてみたりと苦労が堪えないのです。「あなた、火鍋好きなんでしょ」と言ってきたら「はい」と言わないといけないのです。
さて、地下鉄は15号線に乗って帰ります。延長工事が終わっていませんので今は「望京西」が終点でここで乗り換えます。望京は韓国人が多数住んでおり、その数20万とも言われています。うまい韓国料理は日本食に近く、違和感がないのでほっとします。今回は食べませんのでこの話は別の機会に譲ります。13号線に乗り換えて東直門に行き、今度は2号線に乗って西直門で降ります。そこは私の家ではありませんが、撮影のためにわざと遠いところで降ります。全行程1時間半というところで運賃は2元です。北京は他はともかく運賃だけは安いです。
外人の子供を使った何かの広告です。列車が来るまで暇なので至近距離での撮影を試みます。ヘリコイドがないレンズを買ってきたので自分で繋いで付けており、それが結構伸びるので接写もある程度は可能なのです。広告にはプラスチックの覆いがあるので、その上から撮影するしかありません。しかし、そのために独特の効果が引き出せたと思います。
旧満州・東北地方への玄関口、北京北駅です。西直門にあります。近所ですが、まだ利用したことはありません。とてもこじんまりしていて、使い勝手が良さそうです。ここから歩いて帰ることにします。
「超市」というのはスーパーマーケットの意味です。もちろん、外来語を直訳したものですので違和感がありますが広く浸透しています。企業グループを表す「集団」とか、センターを示す「中心」といったようなものもあります。これらは英語と広東語の2つの言語が公用語的に使われてきた香港発祥のようです。香港であれば不思議と違和感がないのですが、中国では何となく違和感が拭えません。日本語のカタカナも外国人に同じような違和感を与えることがあるようです。
このあたりは北京北駅の脇ですが、同じローカル風と言えども先ほどとは少し違うと思います。ガラスもサッシも完全に現代です。掲示板も何やら派手です。こうして段々田舎の方もローカル色が薄れていくと思います。
手前がイスラム新疆料理、奥が蘭州拉麺の店です。イスラム料理については多いので珍しくありません。蘭州の拉麺も同様です。郊外ではどの看板も傾いていましたが、この辺りではどれもシャキッとしています。
蘭州の拉麺は蘭州に行って食べるべきです。しかし蘭州も経済発展が速く、ローカル色がどんどん無くなっていっています。このことは、旅の醍醐味がだんだんと薄れていっていることを意味しています。発展するとどこの街も風景が同じになるからです。蘭州よりシルクロードに沿って奥に行く一帯はかつて涼州と呼ばれていた地域で、ここは名馬の産地でした。今でも飼育されています。人間の方も馬(马)姓を名乗る人が多いです。
単に果物を売るといってもいろいろあります。スーパーから専門店、路上、屋台、バンの後ろを空けただけ、自転車、馬車、ネットなどなどです。上は夫婦です。かなり時間を掛けて鮮度を吟味しています。次はおばちゃんが売っていて、客のおっちゃんが立って待っています。おばちゃんは果物をカットします。カットしたものから客が立って食べます。変な光景でしょうか。この都市ではそうではありません。自由です。さすがにここまでのサービスは世界を巡ってもなかなかないと思います。
派手さで異彩を放つ料理屋です。集客と販促というよりは経営者の趣味を反映したものと見るのが妥当でしょう。拘った店は独特の雰囲気があって良いものです。あまりしっかり写るとかえって見苦しいので、トリプレットで撮ったのはちょうど良い具合になって具合が良いと思います。
盲人按摩です。6年前にこの近くに住んでたので一回だけ行ったことがあります。医師はたくさんいるのですが、全員本物の盲人だったので驚きました。私は当時まともに言葉が話せなかったので、入店するなり唐突にいきなり「感冒! 发烧!」(風邪,発熱の意味)と発言しました。辞書を携帯していました。前に普通の病院に行ったら怖い目に遭ったので、中国医学でお茶を濁そうとしてのことでした。ここでかなり治りました。
ハエが寄りつかないようにするためか、こういうケースが使われています。しかし最近は肉屋以外ではハエは見かけなくなりました。トイレの改善が大きいと思います。トイレについての具体的な言及は今後も注意深く避けたいと思います。
アストロ・アスタンはこういう対象を撮ると結構良い感じです。描写が甘いのでそれが良い方向に作用します。祭りのような描写です。
こういう画は露出のコントロールが難しいところです。つまり、中央測光でどこに合わせて固定するかということです。もし露出が多すぎるとすごくぼやけてしまいます。一方、足りないと暗くなり過ぎます。これがちょうど良いかはわかりませんが、アスタンの幻想的描写が活かされた画だと思います。
このレンズは絞りは付いていますが、ヘリコイドがなくマウントもおそらくM24ぐらい、まだ真剣に探していませんがフードの方も特殊と思われる径ということで、そもそもスチール用ではなく映画用の撮影機に付けられるものだった筈ですが、外観もそんなに高級感があるようなものではないので、コストダウンした製品だったのは確かだと思います。映画撮影用の高級レンズとしてはタッカーがありますし、比較すると確かにタッカーは優れていますが、ここに優劣をつけるのは製造側の道理かなという気がしないでもありません。これは何も間違ったことではなく、コストや手間によって価格に高低が生じるのは当たり前なので、パン・タッカーよりアスタンが低グレード品扱いになるのは当然ですし、それで良いと思います。しかし使う側から見たら、スピーディック型とトリプレットでは個性が違うし、描くのに筆が2本あってもいいのです。そこに優劣や上下は関係ないのです。ガウス・タッカーとアスタンが合うかどうかわからないのでここではパン・タッカーで考えますが、これをメインに据えたら何かの写真集(組写真)を制作する時にこれ一本で通していかないと違和感が出るということになりかねません。そこに違和感が出ないように何かをチョイスする場合は、そもそもパン・タッカーを選んでいる時点でズームではないので別の焦点距離を持ってくるか、ポートレート用の味があるレンズを持ってくるような感じになります。そうすると同じアストロ・ベルリンのポートレートはベストチョイスですが、極めてレアなので入手はほとんど不可能です。そこまでしなくてもアスタンであれば十分です。アスタンとポートレートはまた違うのでしょうけれど、そういう議論が無駄と思えるほどアスタンのパフォーマンスは素晴らしく、パン・タッカーとマッチング可能という時点ですでに普通を越えていますが、対象によってうまく切り替えれば互いに欠けた部分を補い合える対の組み合わせとなり得ると思います。クセノンとラディオナーについても同様のことは言えるかもしれません。ここでのポイントは50mm,50mmと同じ焦点距離で統一しているということです。これはライカにはない感覚だと思います。そもそもライカ以外にもないし、そういう観点からラインナップを敷いたメーカーは過去にたぶん無いと思いますが、この方向性は当時どこもある程度念頭にあったことはあったと思います。かつてライカがトリプレット・エルマーを投入したのはその表れと思えますし、ライカのレパートリーの中で標準トリプレットが穴になっていると見なして(或いは要望があって)他のメーカーが50mmトリプレットを入れてきたのは、そういう発想だと思います。アスタンの後方へ遠くに見えるボケを観察していると、もしかするとノンコートのエルマー50mmに合わせるためにライカマウントを作ったのかなとさえ思える時があります。どちらも50mm f3.5です。対として互いにシンクロするのにいろんな方向から見ても問題がありません。しかしこの構想は一般の人には理解されにくいと思います。やっぱりズームとかわかりやすい方向、新技術とかそういう方に行ってしまうと思います。性能や解像力等にしても必要なものですが、これも度が過ぎるとあったらあったで困ることもあるわけです。困らない人が多いので、最大公約数的な総流れが生じている訳で、これは「絵作り」という観点から写真を楽しむ人があまりいないからなのかなと思う時があります。それはそれでいいですが、写真の方向性の観点から何か気付きがあった方はメイン標準レンズとトリプレットの融合という観点から作品作りを考えてみてください。