シュナイダーはドイツの光学会社の中でもとりわけ大きな会社だったので、様々なスペックのレンズを製造して供給していました。シリアルの打たれていないタイプの安価なものまで含めれば全体がどういうラインナップになっているのか正確にわからないかもしれませんが、ランクはありますので、シュナイダー社が自社の製品の中で自信を持って奨められるものというとある程度限定されてくると思います。それをさらに外部の審査を経て最高のクォリティと認定されたものとなるとやはりアルパのカタログをあたることになってきます。この中で中望遠を見てみますと、75mm f3.8,80mm f2,90mm f3.5とあり、さらに75mm f3.5マクロの4本となっています。魅力的なものは明るいf2の80mmで、他にはマクロも気になります。非常に高価ですので、価格が1/10ぐらいの90mmで検討し、75mm f3.8は焦点距離が50mmに近いので却下ということで、シュナイダー Schneider テレ・クセナー Tele-Xenar 90mm f3.5を入手して撮影してみました。
この個体は中国のある玩家(wanr-jia:マニア)がすでにライカM39マウント 距離計非連動として特注マウントを付けたもので、こういうことをするということはNEXあたりに付けて135mm相当で使おうという意図だと思いますが、このテレ・クセナー Tele-Xenar 90mm f3.5は実質100mmに近いので、150mmあたりで使用することになります。いささか長過ぎますので手放したものと思います。R-D1であれば130mmまで行かないので別付けの距離計で撮影に臨めばまずは許容範囲です。アダプターというよりもすでにレンズに一体化した立派なチューブを付けており、レンズも新品のような状態の60年代のものですから、相当コストを掛けた筈ですが、何か大きな不満があったのか安価で手放しています。重量は異常な程に重く、外観、ガラスの量、おそらくガラス材も非常に贅沢な作りのレンズですが、それなのにf3.5止まりです。微妙に赤が強いので、人物撮影用でしょう。レンズ構成はエルノスター型です。
これを积水潭にある郭守敬記念館前のバス停から83路に乗って、終点にあります国家体育場 通称「鳥巣」、国家遊泳場「水立方」に向かい撮影して参ります。ツアー客の多いところですので、ツアーに参加すると必ず寄らされる御土産屋も付近にあり、表には「絹織物博物館」と書いてあったので騙される形で入り、見て参りましたものもご覧いただきます。
この記念館のというのは何なのかよくわかりません。公園みたいです。月火と休みで、開いた日は200名までとか条件が書いてありますが、実際はカウントしておらず無料開放です。ステンレスの大きなプレートに紹介があり、小豆色でいろいろ書いてあります。これを撮ってみますと、書いてあるものがふわっと浮かび上がるように表現されています。もっともこのように写るレンズは少なくありませんが、シュナイダーのものは独特の感性があるように思います。
北京は人口が多いので、バスはたくさん走っています。あまり長時間待たされることはありませんが、一方で交通渋滞も問題になっていますので、なかなか来ないこともあります。こういう時はバス停に人が群がっています。そして売り子も集まってきます。食料品か雑貨ですが、スーパーで買うよりも安いということや待っている時間もあるので、皆さんゆっくりと品定めしています。衣服の生地の捉え方はクセノン50mmと同じ傾向と思います。
2008年当時の北京オリンピックの表示はまだ残っています。鳥巣と水立方周辺の広大なエリアは大きく柵で囲まれており、幾つかある入り口を通らないと近づけません。無料ですがそれぞれの施設内に入るのは有料で安くはありません。水立方は水泳場として開放されていますが、鳥巣はショッピングセンターにする計画がどうなったのかわかりません。ビッグイベントの時のみ使用されています。合焦している所から背景の建物まで距離はそうとう離れていますが、ボケは率直で使いやすいと思います。
前ボケはどうでしょうか。ちょっとうるさい感じもありますが、こういうものを無限遠で撮るからここまでしつこくなるのであって、もう少し配慮すべきところだったと思います。
遠景については、優秀な望遠レンズであれば、当然のパフォーマンスレベルでしょう。
手前は幾分暗く、奥は日が当たって明るくなっていますので露出のかじ取りが難しいパターンです。新しいレンズであれば、コーティングの進歩で何ら問題ありませんが、60年代のレンズで大口径だと難しい条件です。これはf3.5と控えめなので安定しているものと思います。とりあえずは全体が無難にバランスが取れていると思います。
肉眼で見るとかなり輝いていますが、うまく抑えられているように思います。これは近くで見ると風船のように膨らましているようです。硬いものではありません。それで周囲に堀を作って人を寄せ付けないようにしているのかもしれません。
鳥巣のグッズ売り場は見つかりませんでしたが、水立方の方はありました。一面ブルーと白の内装で統一しています。ポートレートで十分に使えそうな描写を確認できます。
3世代のファッションをご覧いただいていますが、お年寄りは年寄りのスタイルというものがあって、そこから年齢と世代が下がる程、お洒落になります。子供がおばあちゃんになった時には今の老人のような服装はしていないと思います。わかりませんが。対象の捉え方と周辺を取り巻くボケの作り方はオランダのデルフトに似ていますが、コントラストが異なります。デルフトは強いですが、シュナイダーは淡いように思います。
ペアルック好きの中国人ですが、さらにそれを上回る集団を発見しました。3人だけですか。いやいや、6,7人はいましたね。「集団」というと中国では企業グループを指しています。そこら中のビルの広告に「・・集団」と書いて有るので最初は怖いものを見るようでしたが、最近は慣れました。
遠景は単なる優秀なレンズというだけでどうということはありません。中望遠なので本来の使い方はもっと近いものを撮ると思います。とりあえず、こういうものということで。
外に出てバス停を探しますが、その時にショッピング街があるのでそこを通過する感じになります。中国では洒落た店は少ないのでこういう店はどちらかというと珍しい方です。色彩感はパステル調に写りやすい本レンズにとってちょうどよい素材だったと思います。
もう少し進み「絹織物博物館」という古めかしい建物を見つけたので入ってみます。確かに博物館というだけに絹生産の実際がわかるような展示になっています。後ボケが絞まっているので、画像全体により構成感が感じられるものになっています。
この時のツアー客は白人ばかりでしたが、中国語を話すのでどういう人たちかよくわかりません。駐在だろうと思います。金髪に注目してみますが、この質感は見事だと思います。このあたりはやはり欧州のレンズという感じがします。
絹は布団の綿がわりにも使われるようで、その見本が置いてあります。さすがにこれだけ透き通るような白だとディテールを捉えきれません。
枕カバーが2つで360元です。とにかく寝具が非常に多いです。数字の「360」というあたりをよく見て見ますと、色濃くくっきりと写っているようですが、微妙に甘い感じも有ります。このバランスはおそらくシュナイダー独特のものであって、品を感じさせる主要因だろうと思います。
絹ですから衣服は必ず有ります。白い格子やマネキンが写っていますが、実際にはこんなに奇麗なものではありません。外国だからということではなく、日本の百貨店と同じクォリティではありますが、長期間使っているものであって、ピュアなクリーンさは元よりありません。しかし写りはピュアです。そもそも色彩感がパステル調という時点で、実物通りに撮ろうという意図はないわけですから、実物よりも奇麗に見せる写り方をしたからと言って何ら不思議はありません。このようにいろんなものが少し上質に写ります。
中国伝統の明かりです。ガラスに描かれた天女の図は残念ながら光に潰されてご覧になれません。しかし周辺の光の廻り方、その表現が上品だと思います。
このレンズからは、本当に良いものを作ろうという意気込みが感じられます。そういうものはコストの圧力が今ほどでなかった古い時代のものなら結構あるのですが、それでもさすがにこれほどのものは少ないと思います。スペックはf3.5と低レベルですが、一方でデータに現れないところが非常に高度です。「わかりやすいものしかわからない人には買っていただかなくて結構です」と言わんばかりです。さすがはドイツの製品です。
世の中ではこういうものは受け入れられにくいと思います。スペック重視のサムスンは成功していますが、顧客満足度が非常に高いノキアは苦戦しているのと同じ理由です。ノキアを特に支持するとかそういうことではないのですが、本当に良いものであれば使ってしばらくした後でも良いものと感じられる筈です。ノキアの快適さは空気のように自然だから多くの人ははっきり理解できず、それよりも派手なぶち上げの方が顧客に受けます。それで多くのクリエイティブな経営者は、顧客はアホだと思っていると思います。私個人はアホと思われても、派手なぶち上げの方もよろしくお願いしたいと思っているところです。アホ面と言われても打ち上げられた花火は見上げたいのです。世の中、多様性があるから面白いのでね。だけど、本当に良いものはしっかり評価されるべきと思います。この意見に反発され「世間は賢明で十分な判断基準を持っている」という方もおられるかもしれませんが、もしそうであれば、世の中からすべての広告がなくなります。広告の存在が則ち消費者の愚かさを示しており、一方である程度愚かにならないと楽しめないという道理もあって、すべてが理詰めで結論を出せるものではないという逆説的現象があります。世間で流行っているというだけで独特の盛り上がりがあって、それもまた"性能"の一つという、しかも大きな判断要因という、これも生活や精神にある種の良い効果をもたらします。どちらも必要のように思います。
このジレンマをうまく解決するのはすごく難しいですが、30年前のソニー、10年前のアップル・コンピューターは、顧客満足を最高度に高めることによって成功できた稀な例外です。私個人はもしソニーがなかったら子供の時に「本物を持つ」とはどういうことか理解できなかったと思います。それぐらい強烈なインパクトがありました。その時に持っていたのはウォークマンという製品でした。その後久しくこういう感情は味わいませんでしたが、7,8年前にiBookを購入して同じ衝撃を受けました。当時、MacはスペックでWindows機に完敗でしたが、とにかくWindows機はメンテが非常に大変ということで(誤解のないように言っておきますと、私はOSというものがない子供の時からプログラミングをやっていた人間です。)さすがにこれには手を焼いて、スペックうんぬんはどうでもいいからというネガティブな理由でiBookを買ってきました。この時に「スペックを上げないとお客さんには理解できないのに、評価されにくいところばかり丁寧に作ってるって、どんな人が作ってるんだろう」と思ったものです。ここまで来ると「評価しないのは罪」と思わせられるぐらいの凄みすら感じられます。
それと同じようなものが、シュナイダーやデルフトにも感じられます。特に明確な理由はないのですが、使っていたら「良いものを持っている」という感覚があるのです。ライツにもありますが、ライカは評価が高く、シュナイダー、デルフトはそれほどではありません。おそらくこの理由はライツはシステムとしてライカを提供し、シュナイダーはレンズだけだったということと関係があるかもしれません。それにシュナイダーは安価なレンズも供給していましたから、そこで評判を貶めていた可能性もあります。私がアンジェニューを購入した時も同じようなことがあり、最初に持ったのがコダックに供給していた安物で「騙された」的な感覚を持ってしまってアンジェニューを評価していませんでしたが、アルパのレンズを確認するに及んで考えを調整したことがありました。この教訓からシュナイダーに関してはアルパのリストをしっかり確認することで良いものしか接していない状態ですから、悪いものも確認するとちょっと認識が変わるかもしれません。
1つ前のページでクセノン50mmをご覧いただいた時にライカ黎明期とシュナイダーの関係についてお話しました。30年代の事情ですが、現在はどうなのでしょうか。シュナイダーも其他のドイツの光学会社と同様、外国にOEM生産を委託する体制になっているようで、韓国製のレンズの一部にシュナイダー銘が入れられています。しかし設計は自社で行っているようで、今も尚、シュナイダーレンズの伝統を維持しています。この設計部門がライカ社から依頼を受けてライカレンズを策定設計しているようです。現行のライカレンズがシュナイダーの味を持っているのはそのためです。ライカのコンパクトカメラのレンズ設計は日本のシグマとされています。現在は中国がガラスの生産に関しては技術を上げていますので、深圳あたりで工場を拡張するなどの動きがあり、ライカのガラスもこうしたところから供給されるシフトになってきています。
ブランドによって価値や価格が大きく変わるのは昔も今も同じですが、いずれにしても皆さんにおかれましては、ここに作例を載せている訳ですから、何を以て良しとし、何を無価値とするかは個人で判断いただけば良かろうと思います。世間の評価はすごく参考になるのでこれは無視すべきではありませんが、絶対ではないということは把握しておくべきと思います。誰かが特定の状況で使用したものをネットにアップし「これは良くない」と言ったものが、いつの間にか60億人の総意のようになってしまっていることもあるかもしれません。ただし、世間の評価が正しいことの方がはるかに多いのも事実です。非常に評価の高いものでありながら、自分の使用用途には不適合ということもありますから、己というものをしっかり持つことは必要なのは言うまでもありません。しかし、己は要らない、と思う人もいるかもしれません。使用用途なんか限定してないし、自分は優秀だから何でも巧みに撮影可能と思っている方々です。こういう人物はおそらく一番幸せですが、彼にとって一番ぴったりなレンズはシュナイダーでしょう。これで桃源郷へ行ってきて下さい。