デルフトというのはオランダの田舎町の1つです。小さな街ですが、幾つかの理由で世界的に有名です。生涯をこの街で過ごしたフェルメール(Johannes Vermeer、1632.10.31? - 1675.12.15?)の故郷でもあり、彼の代表作の1つ「デルフトの眺望」という作品は傑作としてよく知られています。
Mauritshuis Museum蔵, Den Haag, Netherlands
フェルメールは「デルフトの眺望」以外にも作品を残しており、全37作品の複製をフェルメール・センター銀座で見ることができます。その中に「天文学者」「地理学者」という2つの作品があります。このモデルは同じくデルフトで生まれ亡くなったレーウェンフーク Leeuwenhoekという人物であったと言われています。オランダ史上最高の科学者と言われている人物です。(本業は生涯縫製屋でした。フェルメールの死後管財人を務めたこと、生まれたのがほとんど同じ時期だったことなどから、親しい関係にあったのではないかと推測されています。)レーウェンフークは洋服の生地の質を見極めるために自作の小型顕微鏡を開発しました。直径1mmぐらいのガラスを金属の板に嵌め込んだだけのものでした。(下の写真を見ると金具も見受けられますが、これは衣服のボタンホールに付けるためのものだったようです。)顕微鏡は生涯に200以上作られたと言われており、これによって医学や科学の分野で数々の偉大な発見を行いました。さらには暗箱(カメラのこと)やレンズにも興味を持ち、画家であったフェルメールと趣味が共通していたことも知られています。
レーウェンフークの顕微鏡
中世のオランダはすでに先進国だったので、このような最先端の科学に親しみやすい環境にあったと思われます。そのような風土から「デルフト焼」というものも生み出されました。これらの経緯を考えるとオランダ唯一の光学会社だったデ・アウデ・デルフト社がこの街に設立されたのは自然なことだったのかもしれません。1939年、第二次世界大戦が始まった年でした。
「アウデ・デルフト」という通りがデルフト市内にあります。その36番地にデ・アウデ・デルフト De Oude Delft社があります。英語では「オールド・デルフト」(OLD DELFT)と約されますが、"古いデルフト" という意味ではありません。それでもアウデ・デルフト社の製造したレンズは古典的なオランダの風格が感じられます。アウデ・デルフトの設立経緯はあいまいですが、元はフィリップス PhilipsのX線研究部の製造部門だったようです。戦後の1946年から製品が作られていたことが確認されているようですが、戦中ナチス支配下の時代から稼働していたと考えるのが自然でしょう。おそらくX線研究部部長のアルバート・ブバース Albert Bouwers(1893-1972)によって立ち上げられたとみられますが、ブバースは1951年にフィリップスを退職し、この製造部門を切り離して「アウデ・デルフト光学会社」を設立しました。ナチス時代には工業技術が飛躍的に発展しましたので、この頃におそらくデルフトはX線研究の最先端技術をもっていて、このことは謎に包まれているとはいえ、それを証明するものとして現代に至るまで最高のX線レンズが製造されていて、それらは時々オークションでも見受けられることが示しています。
アウデ・デルフトのレンズは写真レンズを作っていた当時から、すでに製造を停止した現代でも影が薄く存在感はほとんどありません。製造個数は少なくレアです。しかしアウデ・デルフトのレンズの中にオランダ絵画の伝統を見ることができるなら、時代によって評価が変わったとしても、その燻銀のような輝きの価値が減じることはないでしょう。
ここでみるのは、アルパマウントのアルフィノン Alfinon 50mm f2.8(沈胴タイプ)ですが、光学設計図を見ますとテッサー型を採用しています。曲率がないか、僅かしかないと思われる面が2つあって、これはコスト面を考えての可能性があります。しかし曲率がかなり大きい面もあるので結局コストダウンにはなっていないようにも見えます。デルフトの広角の35~38mm付近のレンズはトリプレット型だとされています。広角は味が乏しい傾向があるので、そこでトリプレットというのは理に適っているように思えます。それでも自信がなければできることとは思われません。テッサーを採用するにしても屈折する面は減らすことで、トリプレットに近いテッサーを目指したのかもしれません。X線用の巨大な高性能が求められるレンズを作るような会社ですから、光学設計にはかなり自信があったと思われ、2面の平面は何らかの意図があったと考えるのが自然かもしれません。
R-D1にはアルパ・マクロスウィター ALPA MacroSwitar用として一般に出回っているアダプターが使え、距離計にも連動いたしますので、これで撮影に臨みたいと思います。(アルパマウント50mmレンズの多くはこの方法でライカに使えるかもしれません。レンズの距離リングを回した時にレンズエレメントの後端がアダプター側のカムを押す機構に触れなければなりません。この条件を満たしていれば使えるはずです。シュナイダー・クセノンは使えないようです。50mm以外では距離とレンズの繰り出し量の関係が違いますので距離が合わず、目測でしか使えません。とはいえ、マウントの形状が合って取り付けさえできればNEXなどで使えますので利用範囲は広がります。)撮影場所は、天壇と紅橋市場です。
このページの最初に掲載したフェルメールの作品とこの写真を比べて見てください。物質の質感の捉え方がよく似ているような感じがします。陰が濃く、微妙な部分を黒で潰しにかかったようなところがあります。ところが、明るいところははっきり明るいという感じでメリハリが極端ですが、繊細さに欠けているかと言えば必ずしもそうではないというオランダ人独特の感覚が感じられます。
収差を確認するために前後のボケ味から見ておきます。赤い提灯の方は後ろがボケています。少し堅い感じがあります。一方、黄色の提灯は前ボケですが、柔らかさが感じられます。とはいえ、大きな差があるわけではありません。ここでそんなに差がないというのは珍しいものです。他のメーカーのレンズにはないようなボケ方です。ボケの質感も含め、これがデルフトの最大の特徴と見て良さそうです。
遠目の後方へのボケですが、何が写っているのかはっきりわかる程度に明瞭ですから、かなり収差の少ない設計です。球面収差が過剰補正してあるようですが、非常に僅かです。僅かではありますがそのためか、ピントの合った部分はより明瞭に出やすくなっています。コントラストの強さはまるでツァイスのレンズのようです。しかし個性は異なります。
地面のタイルを見ますと、石の持つ質感がかなりはっきりしていて見ごたえがあります。その一方で繊細さも持ち合わせています。石作りの古い建築が多い地方ならではの感覚かもしれません。
ピントの合った部分は柔らかく写りますが、背景は硬質です。こういうレンズ自体は決して少なくはないですが、そこにデルフトならではの個性が微妙なバランスで調和している味が好印象です。
背景の様子、光の量も関係あると思いますが、条件によっては硬さが目立たない場合もあります。いずれにしても硬めの設計なので構成力が強い印象があります。
人物と掲示板、相互にそれほどの距離はありません。掲示してある新聞の文字は小さいので、市民はかなり近い位置から読んでいます。それでも実際以上に遠近感があります。立体感があります。
立体感についてはこれもそうですが、ピントは手前のピンクのシャツの紳士に合っています。輪郭は周囲から切り離され浮いたように見えますが、同様の現象は奥の市民についても言えます。この特徴のために画が堂々とした感じに見えます。
人々の立体感については先程と同じですが、今度は背景の建築物について見てみます。ピントはこれも手前で、中央のご夫人ですが、そこから建築物までは相当な距離があります。しかし、ボケでディテールが潰されることはなく、しっかりした確かな構成を維持しています。50mm f2.8開放ですが、これだけ光が豊富であれば、距離が空いても明瞭に写ります。
遠景というより中景という感じの距離ですが、無限遠で適当に撮ったものです。開放ではありますが、まるで広角レンズで少し絞って撮ったような雰囲気です。普通、50mmで空けて撮れば手前はもっとボケそうなところですが、結構はっきりしています。前ボケが綺麗というのは珍しいと思います。
これも開放ですが、ピントが正確にどのあたりか不明瞭です。距離が遠くなるとパースペクティブもより増すのでしょうか。しかも前後の明確な区別も失ってはいません。
今度は焦点を手前の市民、かなり近い距離のところへ持ってきていますが、そこから奥の天壇まではかなりの距離です。それでも遠くに何が写っているのか、はっきり理解できます。
蘭デルフト Delft社 アルフィノン Alfinon 50mm f2.8から幾つか撮影したものを見てきましたが、とにかく輪郭をはっきりと、そして前後も、さらにははるか遠くまで見せようとするあたりは風景画のようです。写真の初期の時代に画家がカメラを使うのは、あらかじめ撮っておいた写真を使って描くという目的があったようで、もしそういう目的があるなら、このレンズはぴったりかもしれません。もっともどんなレンズでも絞れば広範囲に明瞭に写るわけですから、わざわざこんなレンズを開発する必要はないように思えなくはありません。しかし単に写れば良いと言うわけではないという画家たちの要望を想像すれば、そこに含まれるいろんな意図が見えてくるようで興味深いものがあります。絵画を描くのは難しく才能も必要です。一方、写真は古くは大げさに"写真術"などと言っていた時代ですら、結局は露光すればだれでも撮れますので、高度な技術は必要ありません。構成力に満ちた大きな表現や、人物の艶やかな質感はオランダ絵画に見られるものですが、それと同じ表現が現代でもカメラのボタンを押しただけで得られるのは簡単でありながら、かなりの満足感も得られます。肉眼で一度見た風景や人々を、フェルメール的感性で記録して再度見返すという、そういう遊び心に満ちたレンズという結論としておきたいと思います。