帝国光学研究所の設立当初の技術部長はかつてニコンに在籍していた人でした。ニコンは日本海軍から受注を受けていましたので、その関係からか、帝国光学研究所も海軍から受注していました。戦後は民生用に転換していく中で、帝国光学研究所は苦しみましたが、ニコンは生き残りました。
小サイトのコラム欄にこれまで幾度か出て参りました方で、無一居のドメイン Photo-China.Netを最初に取得された方に先日お会いする機会があり、その時にニッコール Nikkor 50mm f1.8Dを下さりました。現代レンズは全く不案内なもので、どういうものかよくわかってなかったのでニコンのサイトを調べると現行品リストに見つかり、レンズ構成など基本的なことを理解することができました。レンズ構成はウルトロン Ultron型です。(「写真の中に桃源郷は見いだせるか1」を参照下さい)
ニコンは最近は全く使っていないD50がありますが、これまでメイヤー Meyer オレストン Orestonをニコンで使っていたことがあったので「やっぱり純正の組み合わせの方が操作がしっくり来るな」と思ったものです。外観にも違和感がありません。
ニコンというと北京に来てからは実際にプリントを見たのは(実際、今どき自分の写真ですらプリントを見ることはなくなったので、プリントを見たというだけで驚きですが)撮影機材城の共用通路を使って行われていたギャラリーです。ここで出品していた写真家がニコンを使っていることを表記していました。その時に「やっぱりニコンは凄いな」と思ったものです。古いレンズばかりを使っていると現代レンズが凄いものに思えてしまいます。逆もしかりですが、要は拘っている部分が違ったりするからそうなるのですが、ニコンを見た場合はあらゆるパラメーターが高度な印象を受けます。高性能という要素が際立っているように思います。これは新しいものだからということは必ずしもなく、古いものでも同様のものはあります。ニコンの場合はいろんな要素が練り上げられて普遍性を持っているという特徴があるように思います。
今回はR-D1を使いません。正確な比較になりませんが、ボディはニコンD50純正になります。これは画角換算で75mmになるので、中望遠での撮影になります。これまで撮影してきた多くのオールドレンズには癖や思想があり、それゆえに特徴を掴みやすかったのですが、現代ニコンとなると何でも卒なく撮りそうで、どの辺まで本質に迫れるかわかりません。注意深く見てみたいと思います。
そこでニコンD50ですが、最初は全くシャッターが切れなくてびっくりしました。よく見ると表示がエラーになっています。ニコンのサイトには解説書がありますのでそれで確認してみますと当面の解決方法がわかりましたがマニュアルで撮影できません。フラッシュは焚かない、絞りは開放固定と条件がありますのでオートでは困ります。そこでもう少し調べるとダイヤル設定で可能だということがわかりましたが、今度はシャッターがまた切れません。試しにピントをマニュアルにすると撮影できました。それまではニコンを使うにしてもレンズは露出は自動で後はマニュアルで撮るしかないものを使っていましたし、ライカやR-D1はこれだけの機能は付いていませんからシンプルです。操作系統の根本的な思想が全く違うようです。レンジファインダーと一眼レフでは文化の土台からして全く違うということです。長年やっていて今頃気がついたのかと言われそうですが、なるほど、これで両派閥の相克が生じる理由がよくわかりました。海外でスナップする場合、発展途上国で左手にボロボロのライカを持っていると「お前、金ないのか・・」と言われるというメリット!があるし、諸外国の交通機関の多くは軍事施設扱いなので一眼で撮ると拘束されるし(コンパクトカメラなら問題ないのでライカもOK?)、大きさも一眼より小さいし、普通に撮れるしで、こういう状況では一眼とは比較しません。そもそも最初はライカというものを全く知らず、自分の求めているようなカメラはないと思っていたら古いのだったらあったのでそれを使うしかないということになり、自分がライカを使っているという認識が全くなかった程のありさまでした。(条件は小型でレンズ交換ができるというそれだけだったのですが、そういうもので市場に多いのはバルナックライカでした。現代であればそういうものはたくさんあるので、もっと遅く生まれていたらライカは使わなかったと思います。)「昔の人は結構凄いものを作るな」と思って調査して状況がわかってきた次第です。当時はネットがなかったので、まるで何もわからなかったのです。わからずにうろうろしているとライカは結構たくさん売っていますから、いずれ簡単に遭遇することになります。ここに来てD50に純正レンズを付けて弄くり、今まですぐに撮影できていたものが一眼に変わったとたんに使えなくなったので、もしかして自分は機械音痴だったのかな、と自信が低下して参りましたところですが、とりあえず技術的に見切り発車は可能なようですので、このあたりで撮影に臨みたいと思います。
写真と関係ないところから話題に入って恐縮ですが、ピント合わせを手動でやるしかなかったことが災いしたのか、うまくピントが合わせられません。この画でも後ろに行ってしまっています。だけど撮影している時には気がつきませんし、カメラ後面の液晶で見た時にも特に気がつきませんでした。ライカであれば、像全体を捉えて合わせる方法ではなく中央の小さな窓で合わせるのでピントが明確です。一眼レフはその辺がいささかあいまいなので、これがうまくいかなかったようです。しかしこれまでマクロで物体を撮影する時にはこういうトラブルはありませんでした。(ニコンはそれまでマクロばかりで使っていたのです。)その時は、ライカよりもずいぶん使いやすいと思ったものです。その使い方とスナップは条件が違うと思った方が良さそうです。これまでライカビゾ Leica Visoflexで撮影した時もいささかピントが難しいと感じましたが、ニコンはそれ以上に難しいと感じられます。ただ撮影後の効果が撮影時に肉眼でわかりやすいというメリットはあります。これまでライカのビゾが優秀だと世間で言われていた理由や、なぜライカがスナップ向けなのか、ようやく理解できた気がします。
非常に繊細に描写し、何の問題もありません。
全体的に端正な写りが特徴のようですが、前ボケは気になります。だいたいどのレンズも前ボケはソフトフォーカスを掛けたような感じになりますが、ピントが合った部分より奥が優秀なため、どこかミスマッチのような雰囲気です。前ボケをもう少し見ていきたいと思います。
やはり前ボケの丸っこさが少々うるさい感じはあります。後ボケは率直で使いやすそうです。特に理由がない限りは極力手前から合わせていくのがコツになりそうです。
これぐらい距離があるとボケた部分の癖は気になりませんが、これだと左の欄干は写し込まない方が良かったかもしれません。
これもピントを奥に外しています。もし手前のボケが美しければ、幻想的な雰囲気は出たかもしれませんが、これは使えないと思います。
あまりに率直な描写で何も言うことがありません。突っ込みどころがないレンズを作るというのはかなり難しいと思います。工業レンズのような単純に特性重視であっても良くはありませんが、そういう味気なさもありませんし、かといって癖が少しでもあるという感じでもありません。今どきはこういうレンズが持囃されるのかもしれません。アグファというフィルム製造会社が作ったレンズの稿でドイツのコンパクトカメラを見ましたが、これは世間では全く人気がありません。ちょっと個性がありますからそれが理由かもしれません。奥のボケは癖がなく使いやすいのでこのような撮影方法、つまりピントは手前に持ってくる習慣を励行することで普通に写真が撮れます。
手前の白いシャツの女性にピントが合っていますが、主役は明らかに中央の紳士とその行為です。そこにピントを置くと前ボケが汚いので絞らねばなりません。そもそもf1.8で昼間にスナップしている時点で普通ではないので、通常は前ボケに困ることはない筈です。
ピントの中心は左の赤いバックに来ているようですので、やはりこれも意図したところからは外しているのですが、そのために肝心な部分が曖昧な描写になってしまいました。本来は正面に照準を当てようかというところですが、そうなると手前がボケてきて、これは好ましからざる効果が出そうですので、普通は絞るところでしょう。それにしても、ピントの合ったところの描写は見事だと思います。
ピントが合った数少ない画のうちの一枚をご覧いただいていますが、しっかり使えば非常に端正に写すことができます。
開放でも遠景が撮れるということは、かなり収差を除いた優秀なレンズであることを示しているのかもしれません。
スナップで使うのであれば、1,2段は絞って使うべきでしょう。当たり前なのですがこのレンズでは特にそう感じられます。開放まで開けるのはポートレートや近い物を撮る時に限った方が良さそうで、そういう風に設計されているように感じられます。それにピントもシビアにはならなかった筈です。とりあえず、外に出て開放でばかり撮っている時点でアブノーマルと言えるので "正しいレンズの使い方" というものに則って戒められたような気がします。
それともう一つは、このレンズは必ずオートで撮影すべきものではないかということです。光学系だけで考えられておらず、カメラ側のソフトウェアも合わせた上でトータルで評価すべきものではないかという感じがするのです。それで有る意味、融通の利かない部分があって、マイクロコンピューター制御が絶対に選ばないシチュエーションでは性能が悪い、光学設計にはあちらが立てばこちらが立たずという部分が少なからずあるので、不必要な部分は潔く捨てて肝心な部分は稼ぎ、全体の質を押し上げるやり方ではないかと思われるのです。これはコンパクトカメラと似たような考え方かもしれません。
これは教科書通りの使い方をしている限りは(或いは別の言い方をすると、マイコン的な使い方であれば)破綻が生じることのないわかりやすいレンズです。オールドレンズの場合も、もちろん開放で撮り続けるようなレンズの限界を試すような使い方をしない方が良い物が多いです。しかし一部の強い主張を持ったものは、破綻に向かう崩壊感に満ちた中で見せる崖っぷちの美というものがあるわけです。暴れるが祭りになる、花は美しいが華々しく散るのもまた麗しいのであって、今回撮影できたNikkor 50mm f1.8Dには、そういう危うさがまるでなく、優等生であるということで結論としたいと思います。マニュアル使用で破綻を引き出すのは本レンズの使い方ではないからです。毒気がない、というのもまた新鮮で良いものです。世の中、主張が強いばかりだと宜しくないのと同じで真面目に仕事をするものも必要です。きちんと使って幾分アンダー気味に振ると重厚感に満ちた作画が作れそうです。