ロス Rossのエクスプレス Xpresについては、前の稿でご覧いただきました105mm f3.8以外によく市場で見られるものに75mm f3.5もあります。これも同じで英国の蛇腹付の中判カメラに取り付けられているものです。どちらも標準レンズになります。中判はフィルムのサイズは同じでも使う幅によって標準レンズの画角も変わります。それでこの2つのレンズは焦点距離は違えど、どちらも標準レンズとしてカメラに付けられていたものということになります。35mm判であれば中望遠に当たる画角ですので、ボケも出やすくなりフィルムフォーマットも大きいので人物撮影などでは35mm判よりも適しているかもしれません。フィルムサイズが違うだけで別世界というぐらい雰囲気が異なります。そのためか、同じメーカーのレンズでも35mm判と中判用のレンズでは設計が違うような気がします。
ロスのレンズについても同じような感じがあります。エクスプレスは稀少なレンズゆえ、なかなか十分に比較することができませんが、この意味はネット上にあまりアップされていないから比較が難しいという意味ですが、一応わかる範囲で見たところでは、同じエクスプレスでも明るさによって描写が違い、暗いのは中判に使われていて明るいのはシネ用が中心のようでレンズ構成も変わってくるということです。シネ用に関しては明るさは幅広くあるものの、暗いレンズについては作例がほとんどなく、よくわかりません。f値が2を切るようなレンズはダブルガウス型でだいたいf3以下はテッサー型のようです。シネ用は明るいレンズしか作例が見当たらないのでこれと中判用を比較すると同じエクスプレスでも全く別物です。収差の加え方からして全く違います。加えてさらに大判用もあってこちらは収差がほとんどなく航空写真にも使われていた程のものでしたから、これも全く違う物だろうと思います。明るいシネ用は背景のボケが汚く、いささか使いにくそうで、それもあって作例が少ないのかもしれません。今から撮影します75mm f3.5はすでにライカビゾ用に改造してあったものが中国で捨て値の1万円で売っていました。しかもライツ純正のL-Mリングが付いていました。この75mm f3.5、前稿の105mm f3.8、そしてもう1つ中判用で77.5mm f3.5というのもあって(うまく探せば)全部安価なのですが、味わいが素晴らしいということで、結構あちこちで作例が発表されています。事実、これだけ凄いものが何で安いのか理解に苦しむ程です。市場評価というのは投機筋の影響力が強いので、まじめに写真を撮られる方は、価格に影響を受けない方がいいかもしれません。
少し白んでいるのは105mmの方と同じという感じがします。このレンズは最短撮影距離が1.5mぐらいでそのあたりの距離で撮っています。この彫刻はそんなに大きな物ではないので、構図自体は人物撮影の参考にはなりません。これは八里橋という有名な橋の欄干で全体図はこんな感じですが、重要文化財なので金網で保護してあるのがわかります。
同じく重文関係で標識ですが、左下に焦点が合っています。右上奥に向かってボケていますが、105mmに比べると率直でキルフィット Kilfitt マクロキラー Macro-Kilarによく似たボケ方をしています。微妙な滲み具合が良い感じです。
本来、無限遠を開放で撮るべきではありませんが、エクスプレスは例外でこれも破綻なく奇麗に写ります。大判用が航空写真に持囃されたということですが、実際にはこれと同じような特質のレンズだったかもしれません。
近撮では105mmと比べると白膜があまり出ないと思います。レンズの曇りはどちらも全くなく非常に透き通った透明です。75mmの方はよりシャープです。合焦点の質感の捉え方がとても絵画的です。
環境が少し暗く、明瞭に写らなかったので+1補正してあります。微妙なフレア感があるので、光を捕えた時のタッチが浮かび上がるように写ります。
今度は少し離して後方に至るボケを確認してみます。やはり滲み具合が絵のように感じられます。「ボケ」という言葉は英語でもボケ Bokehで、日本語から世界に伝わったようです。ボケを愛でるのは日本の感性だとされていて、それはそう言われると確かにそうかもしれませんが、こういう英国鏡など見ていると、ボケに拘っていたのは日本人だけではないのではと思わされます。
次に前ボケを確認します。魅力的かどうかと言われると、後方のボケの方が使いやすいような気がします。
後ボケはわりと明瞭なので、この画のように手前の壁に焦点が来ていても、室内のライトがわかりやすく描写されています。
赤と青の壁を撮っていますが、パステル調で良い感じです。もっとも他のレンズで撮っても同じような色彩が捉えられたかもしれません。しかしエクスプレス独特のボケがさらに魅力を引き立てています。
これもエクスプレス独特の画と言えそうです。フランスレンズであれば、似たような画が撮れそうですが、ドイツにはこういう雰囲気はなかなかないと思います。
強い太陽の光に弱いと言えばどんなレンズでもそうかもしれませんが、エクスプレスも同じことが言えます。逆光を受けてもフレアが出にくいので、そういう意味では強いと言えますが、やはり描写が硬くなって目障りな輝きが出てしまうのは避けられません。この画のように周囲に柔らかい光が回る時間帯であれば、エクスプレスの本来持つ柔らかさも活かされてくると思います。
描写が鋭利なレンズであれば、もっと克明に記録できそうな対象ですが、それはエクスプレスの本懐ではありません。石の肌合いも活き活きしているように写ります。
人物を撮影する場合はどうでしょうか。これは一般のポートレート撮影では離れすぎかもしれませんが、この程度の距離感も有り得るだろうと思います。男性を撮るのであれば合いそうですがいかがでしょうか。
この画の上下、上半分の収差の出方は興味深いと思います。遠くにあるものと近くにあり過ぎるものが重なるとこういうマーブル調が出るんですね。使えますか? 全く使えないような気がします。こういうのは出ない方が普通はいいでしょうね。
あまり良くないのではないかと言っていた手前のボケを使って椅子を柔らかくしていますが、この場合はなかなか良い感じです。開放ですからもっと潰れてもおかしくないと思っていましたが、光量が少ないので破綻はしにくかったようです。
夜の北京駅をこのように撮れば(これこそ重文級の価値があります。中へは切符を持っていないので今回入れませんでしたが、待合室のアールヌーボーの古い内装が見事です)。こういう撮影は無限遠になります。昼間だと凄くはっきり写せたでしょうけれど、夜ですので少しぼやけています。でもこれも雰囲気があっていいかもしれません。
夜の光を撮るとアンジェニュー程の煌めきはありませんが、それに準ずる仕事はしています。ともすると光を硬く捉えてしまい、明瞭に写し込んでしまうレンズが多い中で、人の記憶を大切にする貴重なレンズという感じがいたします。
バス亭の広告です。広告はむき出しではなく、プラスチックの覆いで守られています。交通量の多いところにありますので汚れてきます。巡回清掃が洗剤でワイパーすると、きちんと最後までやらず、いい加減に放置して帰ります。残った洗剤は固着します。そこら中、こんな感じです。たいへんに見苦しい訳ですが、そういうものですらエクスプレスにかかると絵にしてしまうようです。
撮影例をしっかり見ていくと、ビゾを使って前群の対焦を活かす方法には別のメリットもあることに気がつきました。一般的な全体繰り出しであれば、距離による収差変動が少ないのですが、前群繰り出しは大きく光学性能に影響が出ます。それで収差変動を嫌う方向で距離を無限固定とし、別途ヘリコイドを付けるとどうなったでしょうか。作例でも確認しましたが、Xpresは無限は非常にシャープであることはよく知られています。このような状態を保ちながらあらゆる距離で撮影すると描写が硬いだけのレンズになってしまい、全く使えなかったかもしれません。設計ではいろんな距離で描写が変わることを前提に詳細に吟味していると思います。それなのにエレメント間隔を固定にしてしまうと距離による移ろいが楽しめなくなってしまいます。持てる魅力をほとんど切り捨ててしまうことになります。前群繰り出し型の場合は収差の移ろいも楽むというおまけ付きのお菓子のような感じがします。