ライツ Leitz エルマー Elmar 35mm f3.5から撮影します。中国の水郷古鎮・烏鎮です。
カメラ内蔵露出計が指す適正露出ではフレアがかなり出る構図です。ノンコートレンズですから致し方ありません。モノクロで撮影する時にはカラーフィルタを使う上、焼きで露出を調整するのですから、そうであればデジタルで後から黒を締めても良さそうです。そうするとそれだけで普通の写真になります。以降エルマー35mmは黒を締めることにします。フレアが出ない、あまり出ていない場合は何もしません。
手前にピントを合わせた時の奥行き感を見てみます。焦点が合ったところの質感は穏やかです。橋の写真ではもう少し黒を締めるべきだったかもしれませんが、そうすると太陽の光が降り注ぐ様子が見えなくなってしまいます。露出過剰気味なのかもしれませんが、この時に写る"光"こそ、ライツレンズの特徴です。背景のボケも含め、この質感を好むか好まざるかでオールドライカレンズに対する好みも決まるかもしれません。広角なので奥まで比較的明瞭です。
こういう日陰の構図であれば、ノンコートレンズでも安心して撮影できます。焦点は自転車の後輪あたりですが、よく見ると画面の周辺がボケています。距離がほとんど同じですし、広角レンズf3.5ですからある程度のパースペクティブはある筈です。性能は好ましいとは言えません。このエルマー35mmの後継としてはズマロンが出ても明るさは改善されませんでしたが、より"まとも"に写るレンズに変わっています。しかし味わいは異なります。ズマロンは十分に魅力的なレンズですが、エルマーも性能を云々して切り捨てるにはもったいないと思う程の画像が得られます。(この2つの比較についてはベレクの35mmレンズ エルマー、ズマロンを比較するを参照して下さい)。
これも右の鍋がきっちり写っていますが、周囲はボケており、左の鍋はそれほど端ではないにも関わらずボケています。非常に不明瞭な円周ボケが出ています。この収差があるからこそ、中央の対象物が引き立つのかもしれません。浮かび上がり方に趣が感じられます。
メインの対象物を端の方に持っていった図です。特に破綻なく写っています。狛犬の足下で寝ている子犬の彫刻はボケていますが、それでも先ほどよりは良好な範囲が広がっています。光の量が十分ならしっかり写りやすいようです。
外からかなりの光が入っている室内の図です。あまり黒を締めない、或いは全く締めなければ、ノンコートライカレンズ独特の味わいが楽しめます。シャドーはわりと繊細に写るものの、一方で真っ白は潰れる傾向はあります。アナログでは見られない傾向です。
光と影の対称が激しい図です。本来であればシャドーがよく見え、正面の白い部分は見えません。そこを黒締めすることによって逆にしてあります。適正露出で撮ると一見露出過剰と思えなくはありませんが、構わず撮っておくと、白黒双方の情報が保存されますので、後でこのように調整可能です。この図では、正面の白い部分が中心になるので、その方向に振ってみました。
黒の締めを控えたか、全く締めていない図です。それぞれ匙加減が違いますが、あまり暗部のディテールを破壊しないように配慮しました。いずれも角度は異なれども、外から光が差し込む室内の写り方が示されています。ライツのレンズの繊細さ、その上ノンコートということで、この種のレンズにしか写し得ない画が得られています。このような構図はこの種のレンズの苦手とするところですので、微妙な立ち位置の調整など神経を使わされます。現代のレンズにはないものが撮影者に求められます。太陽が直接見える位置は避けることが重要です。
苦手とする強い光に廻られながらも、回避した部分が多いという特徴の図です。幸い、黒を締め上げる必要がないので、まるで空気が写っているように見えます。単にフレアというと違和感があるような雰囲気があります。これが嫌いであれば、ライカオールドレンズは使えないかもしれません。もっともこの特徴はモノクロフィルムで写した時に美しいのであって、カラーでは良くないのは確かなので、古いライカレンズが好きになれないから自分の感覚がおかしいのではないかなどと感じる必要はありません。むしろ本稿こそがこのレンズの使い方を誤っているとも言えなくはありません。しっかりモノクロに慣れるとカラーで撮った時の淡い味わいもまあ良いのではと思えてくるようになります。
屋外のまっすぐな通り沿いですが、天気の良いこんな日でも柔らかい光が得られる構図はあるものです。これは黒を締めていません。
あまりシャープに写るとかえって汚くなりそうな図ですが、柔らかい光を捉えると美しく写ります。
このような構図はノンコートエルマーにとっては絶好の素材です。まるで絵画のように写ります。