ゲルツ Goerz社は、1926年に複数の光学会社と合併しますが、それまでは自社でガラスを製造していました。このガラスはライツ社にも提供されていましたので、1925年に発売された初期のライカレンズのガラスはゲルツ製でした。26年以降はツァイスのガラス(現ショット社)に一本化されてライカのレンズもショットのものに変わりました。前稿でご覧いただきましたダゴール Dagorはゲルツ・ガラスですので、かつて製造されていたゲルツのガラスがどんなものだったのかを知るのに貴重なものです。しかしこの時代のレンズはいずれも焦点距離が長めなので、この観点から最初期のライカレンズも貴重なものですが、この同時期にゲルツ自身も小さいフォーマット用の短焦点のレンズを作っていたことは見逃せません。
ゲルツのトリプレットは伝統的に「ハイパー Hypar」という銘が採用され、主に肖像撮影に使われていました。トリプレットを映画用レンズにも設計変更して「キノ・ハイパー Kino-Hypar」も発売されました。このレンズはそのスチール用です。ライカのサードパーティ製レンズは多いですが、これはその最初期のものでした。そしてサードパーティがライカに供給するトリプレットは不思議と結構ありますが、これはその第一号だったかもしれません。光学部のみでヘリコイドがない個体を購入しましたので、これにマウントを付ける工作を自分で行い撮影できるようにしましたので、作例を見ていくことにします。
キノ・ハイパー Kino-Hyparに関しては、エプソン RD-1での撮影では、Adobe Photoshopの「自動トーン補正」後の写真がベストなので、この補正後のものをご覧いただくことにします。焦点は列車の枠に合っていますが、くっきりと浮かび上がっています。背景の描き方も明瞭でゴージャスな印象があります。あでやかではんなりとした印象のレンズです。ダゴールの項で最後にアールヌーボーとの関連性について挙げましたが、これも同じことが言えそうです。
オリジナル(上)とトーン調整後(下)の画を並べていますが、どちらもそれなりに魅力があります。地下の食堂なので人工の光以外はなく、かなり明るい環境です。レンズのマウントはマクロでも撮れるようにしてありますので、最大限近づいて撮影します。やはりこれも京都あたりで撮影すると相性がぴったりのような気がします。
小籠包はおいしそうに撮らないといけませんので、いずれも問題ありです。上からオリジナル、トーン自動補正、これが良くなかったので次にコントラスト自動補正と自動機能だけでやってみたものです。グルメ本に載せることを考えればさらに踏み込みが必要ですが、十分に可能だろうと思います。これがもし和菓子であれば、相当高級感を出せると思います。
西单にあります「北京音楽庁」(北京コンサートホール)です。演奏会は取引先からチケットを貰った時しか行きません。それも中国音楽関係しかなく、外国楽団のツアーなどのチケットが来ることはありません。京劇などであれば自費で見ていますが、演奏会は消極的なので、この北京音楽庁は今回初めてです。国家大劇院も行ったことはなく、これまでのチケットはもっぱら中央音楽学院の大劇場だったので、今回は数少ない機会と考え、しっかり見てきました。この画は無補正です。
西洋風の柵などあって、古いものなので高級感もあるし、かなり立派なところです。場所は中南海の南向と超一等地にあります。歴史のあるところは大きな駐車場がないので、ここもVIP用の駐車スペースがあるのみです。交通の便の良いところなので車で来る必要はありませんが、周辺はかなり駐車しています。霞が出ましたのでトーン補正を加えて締めました。
音楽庁外側の回廊は音楽会の広告や今後の予定を確認することができます。7,8割は外国の個人或いは団体で、そこに中国人が加わっていることもあります。この画は補正なしですが、本レンズの持ち味は補正後にありそうですので、以下はすべてトーン補正を掛けることにします。
入り口はこぢんまりしていて上品です。古い建物は味があります。ここが入り口とは書いておらず、チケット売り場となっていますが、入るところは基本、ここしかないので観客は迷わずここから入っています。
今日はどんな演奏会なのか、二胡の演奏会という以外はわからなかったのですが、ここについてから関係者にチケットを受け取り、あたりの張り紙を見て、この人の演奏会ということがわかりました。余惠生(yu-hui-sheng)という女性奏者です。普通、二胡の演奏会というとこれまで見たものは有名演奏家や教授が自分の門下生らを前座で演奏させ、本人は最後に一曲拉くというものでしたが、今回は違いました。解放軍所属の奏者なので専属の弟子がほとんどとれないということもあるかもしれませんし、そもそも今回は軍の主催なのだろうと思います。奏者の功績を讃える意味合いのもののようです。解放軍については後ほど説明します。
ロビー側面はたくさんの同型の花束で埋め尽くされています。この人は軍に入る前に南京音楽学院で教えていたので今でも教授と呼ばれているのか、或いは現在の解放軍北京管区に移籍してからも少し教壇に立つことがあったのかもしれません。ゲルツのハイパー、かつての大判用の長いものですが、これは解像度の高い非常に優秀なレンズだったので、このレンズも確かに「キノ・ハイパー」と映画用に変更してあるとはいえ、ハイパーの特質を引き継いだものなのかもしれません。
中国の文化人は漢字が大好きです。記帳スペースも大いに自由を与え、皆好きなように書いていきます。そして赤です。結婚式では持ってきた金額も書きますので自由はありません。縦にしっかり仕切られています。それで封筒を5つぐらいに分け、自分の名前と金額を5列に書いて目立たせるなどあの手この手で、見栄を張るような人はたくさんいます。全部同じだとぱっとしないので、1つの封筒は高額とするなどの工夫も見られます。そして「書」を持ち込んで人にプレゼントします。
最近は視界を妨げない小さなマイクが多用されます。たくさん使われます。マイクから背景の垂れ幕までかなり距離があります。マイクのナチュラルな浮き出し方は、まさにトリプレットならではの特質です。
今度は背景との距離をもっと詰めていますが、それでも特徴に変化はありません。こういう音楽ホールはスタジオ的なライティングですから、ハイパーの良さが活かされる環境だったのかもしれません。
上の2枚は写真で見ると、ほとんど同じコンディションに見えますが、実際には下は舞台のセッティング中なので照明を落としています。拡大して比較しますと明確な違いは、上の演奏中の写真ではどの演奏者もボケています。しかし同じ位置にいる舞台係員はそうでもありません。動いている人が流れているのみです。光が強く当たるとぼやけたような感じになるということはここでも確認できます。
これはトリミングして司会者が話しているところをピックアップしたものです。背景の銅鑼と周辺の椅子は明瞭ですが、司会者はそうではありません。
「写真を撮るなかれ、飲食するなかれ」とあります。飲食は誰もやっていませんが、もう1つの方はあいまいにしておきます。もしこれが西洋の楽団であれば、撮影すると怒られると思います。
プログラムの前半の伴奏楽団は、中央民族楽団でしたが途中から軍の楽団に変わり、休憩を挟んで後半に入るや、一気に軍一色となりました。中央民族楽団と北京軍区の楽団では、格はほぼ同じでいずれも中国最高です。しかし年金額がぜんぜん違います。倍どころではないとだけ言っておきます。軍は退職しても受け取る年金額はこれまでの給料と同じで非常に優遇されています。他にもあらゆるところに差があります。駅やスーパーでも軍人は並ぶ必要がないと規定されていますが、実際には並んでいます。しかも市民に譲る傾向があるので、使っていない特権もあります。解放軍の楽団というとブラスバンドという印象がありますが、全く違います。もちろんブラスセクションは軍が最強なのは間違いありませんが・・・。軍というからわかりにくいのであって、解放軍は放送利権を握っているので、実際にはこの楽団はドイツであれば放送交響楽団に相当します。中国は共産、それに加えて経済的に共産主義的とされるドイツや日本も放送響が強い力を持っています。そしてこの雇用先は収入と仕事の安定が特徴です。保守的色合いが強いので、演奏もそれを反映した特徴があり、確かなテクニックと重厚感、圧倒的な力を特徴としているのは中国でも同じです。聴く前から凄いのはわかっているのですが、それでも聴いたら驚くというぐらいの水準です。騒がしい中国人が静まり返るぐらいのレベルと言った方が、観光業に従事され苦労されている方々にはわかりやすいかもしれません。軍の楽団はテレビ出演が主な仕事なので、彼らの演奏を、こういう専門ホールで生で聴くのはほとんど機会がない筈です。北京音楽庁初登庁と共に貴重な体験ができたと思います。そしてこの写真では余惠生の親戚でおばさんにあたる人と一緒に演奏しています。おばさんは日本で言うと人間国宝で、中国でほとんど知らない人がいない程有名です。彼女の代表作を演奏するということで本人も参加することにしたようです。ホールは驚きで騒然となりました。二胡愛好家や演奏家は、中国音楽家協会から出版されているマストアイテムの曲集は、このおばさんが編集したものなので、だいたいの人がお世話になっています。おばさんも長らく軍の所属です。中国では、軍の楽団の最後尾に入るだけでも天才ですが、ソリストになるのはもはや異次元という感覚で見られています。人口が14億ですから、それは当然でしょうね。
政治と文化に関しては最高の人材が北京に集結しますので、演奏会に行っても驚くのはもはや普通なのですが、今日もなかなかだったと思います。戯劇の方が強烈ですが、軍区の楽団もそれに劣らない、というより別のものなので比較自体が成り立ちませんが、かなり強烈でした。終わったので外に出て、街灯が気に入ったのでまた撮りますが、今度は月も入れてやります。光の色をうまく変えているところもいいですね。全体的に非常に上品なホールでした。音響も非常に良かったです。
帰りは西单に戻ってバスに乗ります。遠景に百貨店群が見えますので、ぼかしてみます。これだけ品のあるレンズで映画を撮るといいでしょうね。
単発的に使うことがありますので、溜ったところで続けて掲載します。
もう廃虚になっていました。看板だけ残っている感じでしたが、建物は昔の古いものだったので壊されるのは残念な気がしました。この看板は建物によく合っていたと思います。撮影が趣味の皆さんはどこに行ってしまったのでしょうか。
現行のコシナのレンズも若干こういう傾向の写りですが、コシナのものはここまで厳粛な写りはしないと思います。もう少し穏やかです。
3枚買ったら安かったわけではなかろうと思います。全部縫製が違います。世代が反映されています。中国のこの種の服は専門の仕立屋がありますので、どの世代にも合わせて作れるのだと思います。
最大限手前に引きつけて撮りましたので、ボケの傾向がよく分かるように思います。基本的に無収差に近く、トリプレットの持ち味を率直に引き出そうとしたものと思います。
このレンズは55mm、実際ほぼ50mmなので50mm見当でライカの距離計に合わせられる程なんですが、これをその名の通り"キノ"、つまり映画で使ったら中望遠になります。ハイパーはトリプレットですから肖像用です。こういう写りの肖像用というのは今はほとんど無いような気がします。大口径が好まれるということもあると思います。
物体は硬質に捉えますが、光は柔らかく捉えます。天気の良い日の光は硬過ぎて撮りにくいのはこのレンズでも同じですが、それでも何となく柔らかく捉えようとするところがあるように思います。
描写が厳粛で重みがあるというのは時に階調表現を犠牲にしますが、しかしこのレンズはそんなことはありません。これぐらい落差のある構図でも対象が塗り絵のように潰れてしまうことはありません。
暗くなると少なくなる光の影響力が増しますので、本レンズのように光を柔らかく捉えていく傾向があると、何でも曖昧な描写になってしまう傾向があるように思います。
これもそうですが、直接光が当っていないようなところでは割とはっきり写っています。これはこのレンズの個性ではなく単にコーティングが入っていない影響だろうと思います。もしコーティングを入れると良くも悪くも違うレンズになってしまうと思います。
特にこういう被写体で独特の柔らかさを失うことになると思います。大正時代風ですが、これは今のコーティングレンズでは出ないと思います。出す必要もないのかもしれませんが。
トリプレットという時点で一応ボケ玉の範疇に入り得るものなのでこういう構図は苦手です。
長春は、満州帝国の首都だったところということでちょっと見に行って参りました。
満州国というとやはりこの人でしょう。清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝に即位した溥儀です。
偽満皇宮博物院の正面正門です。現在は出口ですが。
ところで「偽満」というのは偽満州国の意味で、本物と偽物があるのではなくて、日本で言うとGHQの建物に偽を付けるようなものです。偽りに満ちた策謀によって建設された満州国という意味です。それにも関わらず文革期にも取り壊されず、まだ残っているというのがある意味不思議な気がします。偽好きなお国柄というのもあるのでしょうか。
明らかにデザインは近代日本の建築です。何となく印象が靖国に似ているような気がします。もちろん別物ですが、醸し出す雰囲気が靖国的です。
窓の配置は欧州の様式を取り入れたものだと思いますが、しかし欧州にはこんな屋根はありません。神棚のようです。
室内はもちろん電灯はありますが、かなり暗いので、机は窓際に置いてある例が多いように思います。これは満州国政府の執務室です。
展示室は偽満、というより溥儀関係に特化した歴史的展示です。
ゆかりの品はいずれも溥儀関係です。トレードマークの眼鏡がまだ残っています。
故宮から持ち込んだと言われるお宝です。溥儀はこういうものを鑑賞するのが好きだったようです。
室内の灯は立派なものではありますが、仕事をするには暗過ぎる気がします。何でも壊したり売り払ったりする中国でこれだけ残っているのは奇跡的だと思います。満州国というのは日本政府の肝いりで作られたものだから、日本本国よりもライフラインが発達していて快適、贅沢な暮らしもできたと言われています。日本人にとって良い思い出の土地だったらしいですが、それが現地人にとっても同じであれば、これだけ丁寧に残っているのは理解できる気がします。
偽満国務院旧跡は日本の国会議事堂に似せて作ってあります。現在は病院の研究室棟で、創立者の像が立っています。欧米人のようです。
正面の柱は古代ギリシャ風です。
石組みを飾る鋲があります。こういう細かいところを見ても日本のデザインだということが感じられます。
政府の建物というより、神社のような雰囲気があります。
もともとはこの建物も観光用に開放されていたようで、入ってすぐのエレベーターが第一ポイントになっています。もちろんエレベーターは乗れません。ボタンも壊れて取れています。そこで第二ポイント以下を探しましたが見つかりませんでした。話によると満州国政府はここから長春駅まで地下道を作って有事の際に逃れることができるようにしてあったということなので地下にも降りて見に行きます。下水などのパイプが通っている地下通路はありますが、車が走れるぐらいの太い道路が他にある筈です。
偽満図書館です。あまりにも小さくて現代の図書館とは比較になりません。廃虚になっています。保守管理も手が廻らないようです。
偽満中央郵便局です。現代でも使われています。
こちらは中だけ改装されて、中は現代の郵便局と同じです。外は昔のままですが、管理が行き届いていません。コストの問題というよりも管理する技術者が足らないのかもしれません。偽満皇宮博物院はしっかり管理されているからです。ここまで荒れてくると保守もいよいよ難しいだろうと思います。
これは簡体字なので満州国時代のものではありません。デザインも明らかに共産時代のものです。このように後代に変えられている部分もあります。
市内をさらに歩き回りますと、おもしろい煙突が見つかりました。焼き物の街に行くと見かけられるタイプのものですが、こういうかつての大都市だったところでは珍しいと思います。
あちこちで「偽満、偽満」と言われると、こういうものまで偽満に見えてしまいます。