光学の歴史の中でドイツ-オーストリア系が強い影響を及ぼしたメモリアルな出来事は幾つかありましたが、大判レンズが中心だった時代のものとしては、ザイデル Philipp Ludwig von Seidelの理論を取り入れてシュタインハイルによって設計されたアプラナットがありました。
アプラナット型(ラピッド・レクチリニアとほぼ同じ)
アプラナット型は傑作とされ、以降60年もの長きに亘って製造されました。欧州中の多くの光学会社によって製品化され、その内の1つがベルリンから東に60kmの郊外、ラテノウ Rathenowにあったエミール・ブッシュ Emil Busch社でした。ここで働いていたカール・パウル・ゲルツ Carl Paul Görzはベルリンに移ってからしばらく別の仕事をしていましたが、やがて彼の会社も光学関係のものを扱うようになり、主力はやはりアプラナット型やその改良型でした。主任設計師だったカール・モーザー Carl Moserが亡くなるまでの4年間改良を続け、デンマーク人エミール・フォン・フーフ Emil von Horghがアプラナットを大きく改良した新設計を持ち込みモーザーの後任となりました。この3枚張り合わせの設計は製造が容易でなかったためか最初は貼り合わせのない4枚から始めたようですが、セリエ(シリーズ)IIIで生産できるようになり、ドッベル-アナスチグマット セリエIII Doppel-Anastigmat Serie IIIという名称で販売するようになりました(スイス特許 CH6167)。フーフは病弱でしたので早期に退職しましたが、好評だったこのレンズは名前が長過ぎるという理由で1904年に短縮されました。Doppel-Anastigmat GORz 大文字の部分を取ってダゴール Dagorとしました。(Goerzは英語表記でドイツ語ではoの上にウムラウトが付くのでeがなく、Görzと表記されていました)。
ダゴール
今回入手できたゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット セリエIII/o Doppel-Anastigmat Serie III/o 120mm f4.8は中判用のレンズで、普通ダゴールというとf6.8とかそれぐらいの暗い玉が普通のところがf4.8です。オークションを見ますと、このIII/oはf4.6もあります。手工生産でレンズを接合し磨かれ、測定して合うものを2つ組み合わせてそれぞれf値を決めていたと思われます。III/oは言わばラピッド・ダゴール、しかしダゴールは構造上そんなに口径を大きくできそうにありません。しかし画角を求めなければ大丈夫なのでしょう。当時はf4.5ではセロール Celorがありましたが、これはSerie Iです。もしかするとこれはダゴールなのではなくセロールだった可能性もあるのかもしれませんが、それだったらIにすれば良かったのにそうしていません。そこでガラスを反射させて確認します。絞りを閉じた状態で4面見えますが、大きなボヤケた白が2つ、非常に鮮明で小さな青が2つです。青? そうなのです。普通貼り合わせは見えない筈ですが、バルサムが厚いのか見えてしまうのです。結構見えます。コーティングはまだ発明されていません。ですから外側はコートがありません。バルサムがコーティングのように発色しているのです。古いレンズはこういう見方があると思って良いのかもしれません。この後、f4台のダゴールは出ていません。vademecumにもダゴールはすべてf6.8以下だと書かれています。しかし、oとかooがあってわからないともあります。III/oについての記載はありません。思うにメジャーなラインナップに置けない亜種があったのではないかと想定されます。そしてゲルツはIII/oを見て以降はこれを廃止しました。その役割はドグマー Dogmarに受け渡されました。このような中判用レンズはコンシューマー向け、業務なら報道と思われますので、もちろん遠景も撮りますが、それ以上にもっと近いもの、特に人物の撮影が主になります。現代と異なり写真は高価だったため家族のような大事なものを撮るからです。どれだけ美しく撮れるかが第一になります。それでこの種のカメラには後に肖像用で明るいドグマーがカタログでトップになり、暗いダゴールf6.8は2番目の価格でした。vademecumには今でもf4.5ドグマーの市場価格がトップだとあります。ダゴールでf4.5でも製造はできたのですがやりませんでした。本レンズのシリアルは11万台ですのでおそらく1899か1900年の製造で、まだ「ダゴール」と改名していない時代のものです。本レンズはライカビゾフレックス用に使う方向で、長めのヘリコイドを取り付けてマウント改造いたしました。北京・西海付近を撮影いたします。
かなり古い100年も前のレンズですので性能は気になります。それでまずはこういう平面のものを撮ってみます。「新しい葡萄酒を古い革袋に入れる」が如きで冴えません。このレンズに現代的なシャープネスを求めるのは困難です。色彩も色褪せます。このレンズは本来、6x9サイズのフィルムで撮るためのものですから、現代のデジカメで撮ると真ん中を拡大したような感じになってしまうということも影響があると思います。これよりもっと大きなフォーマットで撮るといい感じになるのだろうと思います。その時にあまりシャープにすると硬過ぎるのでこれぐらいで良いのでしょう。
平面のものを斜めから撮ってみます。元々結構汚いものですから、ボケ味が良い方向に作用しています。印象的というと表現が抽象的ですが、そういう感じです。北京の住宅はおおまかに「高楼」と呼ばれる団地やマンションと「平房」と言う平屋の伝統的な家屋に分けられます。どちらも安価な物件から高級物件まで様々あります。この個人広告は、安価な平房を求めるものです。年老いた親の面倒を看るために部屋を求めています。借りるのではなく買い上げたいようです。しかしこれと同様の内容の広告は至る所にいろんな人が貼っています。平房は年寄りが多いので、騙して安く買い叩く業者の策謀でしょう。本当に親の面倒を看るなら必ずこういうところを買わなければならない理由はないのでは? また年配者の生活を援助するためと称して米や油を利益なしで販売するとか利益は寄付するという張り紙もあります。義人であることを全面に出すのが成功の秘訣のようです。場所にもよりますが、平房が並んでいる界隈の張り紙はこんな内容ばかりです。北京の老人の中には清代から相続してきた財産を食いつぶしながら生きている人も多いと言われますし、そもそも西海周辺で不動産を代々引き継いでいるという時点で貴族の末裔であることを示しているので、世間に疎いこういう人が多い場所を狙っていくようです。
見た感じ、青系は良いですが、赤はあまり冴えないような気がします。カラー写真の発明までまだしばらく待つ必要があった時代のものなので、しょうがないと思います。モノクロの方が良いのでしょう。こういう紫っぽい色彩が基調になっているものは綺麗な感じがあります。これだけ柔らかいならポートレートに使うと良さそうな感じはしますが、ダゴールは本来ポートレート用というより汎用的なレンズだと思います。近代にはゴールデン・ダゴールを人物に使ったりしていますが。
描写にシャープネスが欠けるというところばかり気になっていますが、どうしてでしょうか。よくわかりませんが、このレンズを使うとどうしてもそこが気になります。おそらく120mmにも達する望遠で撮影するからピントが甘いということもあるかもしれません。しかしこういう斜めから撮ったものであればピントがずれるということはありません。それでもシャープネスが足りない感じは拭えません。望遠レンズを手持ちで撮影するからかもしれません。しかしどこかに置いて固定して撮っても描写はこんなものです。
先ほど、赤の話が出ましたので、真っ赤な扉を見てみたいと思います。真っ赤? どちらかというと朱色に見えます。だけど現物はショッキングな程に強烈なレッドなのです。太陽の当たりすぎでしょうか。関係ないような気がします。ただ光は十分なので、シャープネスは向上しています。色は補正が必要でしょう。
遠景が冴えない件については強い不満を表明しておきたいと思います。しかし開放で撮るからこうなるのであって、それは本来の使い方ではないのでしょう。
これはおそらく10~20mぐらいの距離です。湖面が太陽の光で輝くところですが、ダゴールのボケの特徴から効果的な構図なのではないかと思い撮影してみたものです。つまりシャープネスが高いレンズであれば反射が正確に描写され、それが鋭過ぎて絵にならないと思ったのです。これぐらいであれば適度に抑えられて良いと思います。
これは横から太陽の光を浴びている構図ですが、太陽の光が強いという共通点はあります。墨で輪郭をなぞったような描写になります。
このダゴールの活かし方で最良の形の1つは、こういう構図かもしれません。後ボケが非常にチリチリした感じがします。あまり綺麗とは言えませんが、しかしこの効果によって主題は引き立てられていますので、全体として見た場合、考え抜かれた美意識が感じられます。設計師はデンマーク貴族の末裔ですので、かの国の芸術的感性というのはこういう描写になるのかもしれません。
もう少し引きつけて撮影した例です。たいへん古風です。古い日本の江戸時代の写真みたいです。もしかすると昔の写真の遺品は写真が経年変化したものではなく、元々こういう描写だったのだろうと思わせるものがあります。赤が弱いという要素が良い方向に作用しているように思います。
望遠だし暗いしということで、夜間に撮影するのはとんでもないと思いつつ、やはり確認はしておかなければなりません。これは強い光源を浴びたことでシャッタースピードが上がりブレがなくなりましたが、その代償として対象が暗くなってしまってはっきり写っていません。意図も明確ではなくなってしまいました。
かなり明るい建物であるとはいえ、これだけ距離を置くとかなり光量不足です。何度撮影してもブレてはっきり写りませんので、電信柱にくっつけて撮影したものです。それでも光が滲んで写ってしまうので、明瞭な画にはなり得ません。撮った物が赤系であったのもマイナス材料です。
ポールはそれなりのスピードで廻っていますので、そこだけブレています。とはいえ、全体的に不明瞭感が伴うのは、致し方有りません。それでも100年前のレンズということを考えると、意外と優秀とも思えます。
後ボケはチリチリして汚いが使い方によっては活かされるということは確認しました。前ボケはどうでしょうか。こんな感じになります。ソフトフォーカスレンズのような魅力を引き出すこういう使い方も1つのオプションになり得ると思います。
あらゆる古いレンズが古典的な描写を示すとは限りませんが、III/oが示す"はんなり"とした描写はまさに古典的なものです。写りが古典的なので、古典的な街を撮るということで例えば京都あたりを撮るとすれば、一般的なレンズではあまりにも具体的に写り過ぎて情緒や一歩引いた時に顕れる品格は望むべくもないかもしれません。そういう時に本レンズはベストチョイスという印象があります。ただもう少し焦点距離が短いものがあれば良いと思います。
そこでカラー対応が苦手な様子のこのレンズをこのまま使うのではなく、一手間掛けて使ってみたいと思います。Adobe Photoshopに自動で補正する機能が3つあります。どれでもいいですが「自動カラー補正」が相性が良いようなので、これを使いたいと思います。
この方がだいぶん良いように思います。こういうボケは普通見苦しくなりがちですが、水墨画のような趣のこの独特の作画表現は得難い価値があると思います。色彩の調整は必須と考えた方が良さそうです。
かなりビビッドです。空が青過ぎます。こうなると手動調整に切り替えるべきかもしれませんが、この方がおもしろいのではないかということでこのままいきました。ピントが甘いと思っていたのは実はそうではなく、骨太の輪郭を得るためのものだったのかもしれません。
表現を骨太にしている代償にトーンを失っていますので、こういう暗いところが多い画は苦手になります。
これは良いかどうか微妙なところです。こういう画は、狙う表現によってどの程度調整すべきか検討が必要です。
赤はだいぶん蘇りました。それでも若干弱いと思います。これもさらなる調整で何とかなるとは思います。やはりこのレンズは和風、いやそうではなく、明治大正あたりにこういうレンズを輸入していたのでしょう。
あまり強い光を当てなければこのようにしっかりと発色します。しかし発色し過ぎであるのはこれも同様です。そもそも現代のソフトウェアは現代のより高性能なレンズを調整する前提で作っているのでこんなバランスには対応できないのだと思います。
白が基調になると冴えて美しくなります。しかし持ち前の淡い表現も魅力があるので、どの程度残すかは目指す表現によって変える必要があると思います。
遠景は救いようがありません。開放では、もっと近い対象を撮るべきレンズと割り切った方が良いと思います。このダゴールは普及品の中判カメラの蛇腹に固定されていたものです。ツァイス・イコン時代に販売された安価な黒箱カメラでテンゴール Tengorというのがあって、これにゲルツブランドのフロンター Frontar色消し2枚玉(米特許 US1643865)が取り付けられていました。たいへん評判が良く有名ですが、これもやはり遠景は良くないとされていました。近いものを撮ると素晴らしいということで、その点ではこのIII/oと似ていると思います。しかしフロンターよりもIII/oの方が優れているのは間違いありません。それに絞れるので遠景も撮影できると思います。
夜間の撮影も試してみましたが、昼間ほど顕著な差は見られません。それでも画像が締まりますので、面倒は見た方が良さそうです。
暗い部分は潰れやすい傾向があるので、こういう暗いところでは逆効果になりそうです。
最後に肖像画を見ておきます。非常に清々しいクリーンなイメージになりました。現物とはやはりカラーバランスが違います。ダゴールは前後のボケに特徴がありますが、このような平面であれば当然それらの特徴は出ません。線を太く、濃く描こうという特徴はこの画からも感じられます。
思うにダゴールの風格は19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州を席巻したアールヌーボーの影響を反映しているような気がします。このゲルツの広告は、背景の重い描写の上からシャープさをイメージさせる肖像画を重ねていますのでわかりにくいのですが、この人物を除いた部分の風格が即ちそれです。クリックしていただきますと、もっとわかりやすい画を掲載してあります。
2021.03.28、近所の公園で桜を撮影します。ガラスにだいぶん曇りがあるのでPhotoshopの自動トーン補正を使用しました(今回は自動カラーではなく)。本来の描写が完全にわかる感じではないのでしょうけれども、III/oならではの質感は感じられると思います。ライカM9です。
2021.04.03、ガラスを回して外してクリーニングしましたのでやり直しました。それでも1枚目以外は自動トーン補正を使用しました。風が強いので枝が終始揺れており、少しボケているものもあります。