レンズ構成の選択の観点から見るとシュタインハイルのラインナップは魅力的ですが、その内の1つにこのクルミナー Culminar 85mm f2.8も含まれるのは間違いありません。トリプレットの前群を貼り合わせた幻の人物用アンチプラネット Antiplanetです。
Culminar 85mm f2.8
このレンズが発明されたのは1881年でフーゴ・アドルフ・シュタインハイル Hugo Adolph Steinheilによって特許申請されたUS241438にデータがが見つかります。これはペッツバール型の改良で、後群のエレメントを離し、その結果上図前群と中央のガラスに強い屈折率を必要とするものでした。この正と負の強力な対立ゆえに「アンチプラネット」と命名されました。設計はされたものの製造には至らなかったようです。もしこの型で戦前のものを入手するのであれば、シュナイダー Schneiderがクセナー Xenar Type Dに採用しており、これはトリプレットも混在するポートレート用ですので貼り合わせがあるかどうかを確認する必要があります。
シュタインハイルが幻となったアンチプラネットを何十年も後に復活させたのは驚きです。蘇って出現したクルミナー85mmはかつてのアンチプラネットを改良しガラスの厚みが大きく増したものとなりました。モダンフォト誌 Modern Photo 1968年2月号 45頁にはクルミナー85mmの描写について 'softish' (ソフテッシュ・ソフト)と評価されています。当時、人物を撮影するのであれば大口径ガウスが主流だったので、そういう状況でシュタインハイルがクルミナー85mmを世間に問うたのはたいへん興味深いと思います。
このような背景から、クルミナー85mmがシュタインハイルのラインナップの中で特別視されていたライカマウントに採用されたことは当然のように思えます。シュタインハイルはライカマウントに対し、オルソメター Orthometar型のオルソチグマット Orthostigmat、ゾナー Sonnar型のキノン Quinonだけでなく他にもプロトタイプですでに廃れたレンズ構成を試作しており、その独特のリストの中にこのクルミナー85mmが入っていてしかも古典設計の復刻だというのは見逃せません。ライカ以外のマウントにも提供されているものは戦後10年ぐらいまではクルミナー85,135mmのみで、135mmは普通のテッサー型ですから普遍的に採用されることに不思議はなく、それに対して古典的構成で柔らかい描写の肖像用85mmが幅広く提供されたことはシュタインハイル社が古典を愛する顧客だけでなく、新しい感性の顧客にもこのレンズが認められる筈だという自信があったことを示しているように思えます。こういう特別な扱いのレンズはこのクルミナー85mm以外ないのです。
肖像用レンズとして使われる中望遠の大口径ガウスは巨大で価格も高額ですからあまり売れるものではなかった筈で光学会社にとって負担になっていたと思われます。シュタインハイルではクルミノン Culminon 75mm f1.5が用意されていたのみでした。これはM42マウントでしか提供できませんでした。これとは違った肖像写真の在り方についてシュタインハイル社独自の見解としてクルミナー85mmが提示され、ライカユーザーにも提供されたというのはそれなりの根拠があった筈です。それゆえ、シュタインハイル Steinheil クルミナー Culminar 85mm f2.8は、ライカのトリプレット・エルマーと並んでドイツの肖像用レンズに対する最後の結論だったということになり、このことはたいへん興味深い点です。
肖像写真というのは人間を撮影するということであって、人間は体の規格が世界共通であり、せいぜい縦横の大小の相違があるのみです。相当個体差はありますが、人間の撮影というのは顔を写すということも意味していて、これだと大きさに大差はありません。それに基づけば、肖像写真用レンズというのはベストの撮影距離が決まっています。7~8mぐらいが標準かもしれないというところだと思います。それでも体の一部分をアップにするのは肖像写真とは普通言わないのでこういう作例は本来的な使い方ではないかもしれませんし、肌の感覚もわかりませんので不適切ですが、とりあえずはこういう感じに写るということで確認します。焦点からずれたところが綿のような表現になるのはシュタインハイルの特徴だと思います。そしてこの表現が肖像写真において美しい描写を得るのだと思います。
同じ距離感のものを今度は室内で、そしてもっと面積の広いもので確認します。これも先程と同じようなことが言えます。このボケ味はトリプレットによく見られる特徴とも言えますが、貼り合わせを1箇所増やしたためか、より安定感があります。もっとも英クックが最初期に製造していたトリプレットは極めて高性能だったので、貼り合わせに頼らなくても精度の高いものは作れる筈ですが、そうなると組立が非常に難度です。クルミナーに採用したレンズ構成は合理的なのかもしれません。ライカのヘクトール Hektorはトリプレットの中央を貼り合わせにしますが、これも似たような考え方だったのだろうと思います。
遠くに至るボケの変態を見てみます。焦点が合焦したところの前後にふわふわした柔らかさを使おうと思えば、ある一定の収差が利用されることになり、それが遠くに行くに従って大きく顕在化しています。チリチリしています。硬い感じがあります。これがあるから主題が引き立つ面もあるので、微妙な匙加減を量ったものだろうと思います。
その特徴はこういう構図においてより美化されるような気がします。ボケが綺麗過ぎると奥まで溶けてしまいますが(それもまた良いのですが)ある程度硬いチューンとしたことで、奥のものまでより明瞭に表現されています。実際に少し風で揺られているのは確かですが、それ以上に神妙な硬さが引き出す動きのようなものが生命感を感じさせるものになっています。
奥行きのない、そして余りに理想的過ぎる光を得ると、もはや何のレンズで撮ったのかわかない程、特徴が全くない画になってしまいます。これは肖像写真を撮影する時に背景との関係を考えるのに重要な点です。
興味深い位置取りのショップです。通り道のようで実はそうではないスペースの一方だけを利用しています。手前の扉から奥の柵まで結構距離がありますのでボケは乱れそうですがそんなことはありません。光が少なければボケに鋭利さがなくなるのであれば、室内でもそうなる筈です。これも背景の扱いを考える上で重要な点です。
この2枚も近くに焦点があって奥がボケています。しかしボケ味が違います。電信柱ともう1枚の方の木の枝はそんなに距離感の相違はありません。だけど、一方は丸く、もう一方はチリチリしています。どちらも同じ時間帯ですが光の量が違います。昼間の射すような鋭い光と夜の妖艶さのいずれも表現できます。昼から夜になると化ける本性を隠し持っているような気がします。
光は充ち満ちています。しかし、無限に焦点を合わせても手前のボケは柔らかいままです。このこともこのレンズが球面収差を過剰補正した肖像用レンズであることを思わせます。
焦点が合焦したところから少し後方は綿のようなボケがあるのですから、それをこの絵画にぶつけます。蕩けるような表現を得ることができました。
肖像写真用レンズですから、人間を撮らないといけません。帽子に焦点が合ってしまったのは良くなかったと思います。かといって顔は暗いのでそこに合わせていく気にもなりません。割と明るい室内でのボケ味は硬くもなく柔らかいわけでもないという表現に落ち着きました。
もう少し離れて撮影範囲を広げます。質感が優しげで良い感じだと思います。
位置と撮影する方向は同じなのですが、コックの立つ方向が変わっています。白が結構ピュアに出る感じがしますが、これはポートレート用だからこのように調整しているのではなく、シュタインハイル独自の特徴だと思います。
この写真を見て表現が似ていると感じられるのは、ルーブルにあるアングルの「トルコ風呂」です。
Jean-Auguste Dominique Ingres 「Le bain turc」
(Musée du Louvre,1862年)
白の扱い方と人工光が当たったところの質感が似ているような気がします。柔らかさも似ているし、背景を硬く締めるところも似ています。芸術的なレンズはやはり絵画からの影響は否定できないと思います。
最後に食べるものも撮っておきます。瑞々しさが感じられます。ポートレート用レンズとして洗練された最終形としての魅力は十分にあると思います。妙な癖がなく、表現上必要なものはしっかり盛り込まれています。それがこのレンズのもつ普遍性につながっているような気がします。