ドイツには、ツァイスとシュナイダーという2つの大きな光学会社があります。ライカレンズの原形はこの2つの会社に求めることができます。
プラナー光学設計図
ツァイスでルドルフが開発したプラナーはガウス型の構成を実用可能なものにしましたが、コーティングがなかった当時は面の多いプラナーを活かすことができず、6年後に開発されたテッサー型が主流になっていました。(ライカのテッサー型については「エルマー35,50,90,105mmを比較する」を参照下さい)。
テッサー光学設計図
それゆえ、ライツでもまずテッサー型によるレンズが作られ、エルマー、そしてヘクトールと発売されましたが、やがてコート可能になってからは、大口径化が容易なプラナーを参考にしたレンズが出てくるようになりました。ベレクが設計したズマール、ズミタールはいずれもf2で、ヘクトールのf2.5を凌いでいましたが、それ以上の明るさに達するのは難しく、ツァイス・コンタックスとの競争からf1.5に到達する必要が生じてきて、シュナイダーのOEMを受けました。クセノンというレンズでした。このパテントが切れてからはベレクが収差調整したと思われるズマリットが発売されましたが、基本的にはクセノンと同じものでした。
ベレクによって設計された初期の標準ライカレンズはこの5本ということになります。順番に描写の違いを見ていきたいと思います。撮影場所は7月末から中国南方を旅行しますので、そこから取材したいと思います。張家界(エルマー)、鳳凰古鎮(ヘクトール)、三江侗族自治県(ズマール)、桂林(ズミタール)、香港・台北(ズマリット)の順で撮っていきます。