次に、戦前メイヤー Meyerの映画用レンズ、トリオプラン Trioplan 50mm f2.8を見ていきます。メリター Meritar 50mm f2.9が戦後ドレスデンの3枚玉の特徴を有したものだとすれば、こちらは戦前のものになり、用途も異なって映画用になります。ライカマウントでも販売されていましたのでスチールでも撮影されますが、その場合はポートレートが念頭に置かれています。戦後のものとの比較も考えながら見ていきたいと思います。スナップは本来の用途とは違うようですが、故宮の東側・池子大街とその周辺を撮影してみます。
戦前のメイヤーの特徴は、コントラストは高め、色彩と輪郭がしっかり出るということです。戦後のものとは別物です。あいまいさが感じられない堅い作りです。それ以外特に言うことがありません。開放からどんどん使え、現像で色彩を高めて艶やかな画を作っていくこともできます。
まるでツァイスのレンズのようですが、ルドルフがメイヤーに在籍していた時代のものと考えれば納得できます。しかしトリオプランはルドルフ入社前にすでに販売されており、しかもルドルフ設計のものはプラズマートと命名される了解があったので、関連性はないとされているようです。本当でしょうか。違うような気がします。ルドルフが自分の作品を世に送り出すためにメイヤーと契約したのは確かでしょうけれど、社内の他の活動には無関心だったわけではなかったようです。有名な1つの例はザッツ・プラズマート Satz Plasmatというレンズで、これは元々ルドルフ以外の人物が設計したオイリプラン Euryplanというレンズでしたが売り上げが悪く、ルドルフが自分のレンズの名前に改名したら売れ始めたと言われます。プラズマートは彼専用の牌だった筈ですが、社内の他のレンズにも関心を持ち評価もして、責任もある程度持っていたことがわかります。実際、ザッツ・プラズマートはルドルフが設計を変更したとも言われていますが「名前を変えただけ」という話が広まっているためか、それだけで価格はかなり下がります。他の設計にも顧問的な立場で口出ししていたことを示しており、そうすることを大いに期待もされていた可能性があります。それなら、このトリオプランの描写は納得できるかもしれません。
きれいに洗ってあるとはいえ、きれいとは言い難いものと、動物の彫刻の尻です。非常に繊細なタッチで発色も現物より美しく出ていますので、このような対象でも見ごたえがあります。このレンズはポートレート撮影を意図したものなので、この構図では人物を撮影していないとはいえ、目的に適った作図だと思います。これが戦前のコーティングなしのレンズであることに留意して下さい。フレアは出ませんので一見優秀な現代コーティングが入っていそうな画です。むしろコーティングがない方が魅力的な色彩が出ます。コーティングはうまく使えば有用なので完全に否定はできませんが、発色は基本的にノンコートの方が魅力的です。品があると言った方がよいかもしれません。一方でコーティングの効果によって独特の効果を生み出しているものもあってこれもまた捨て難いので、要はバランスだろうと思います。コートを施すなら、性能を高める以外にも理由が必要です。メーカーはそんなことは全く考えてもいないように振る舞っていますが、それはこの部分に企業秘密が含まれているからです。これもまた1つ興味深い点です。古いレンズの多くは1つのレンズに使われている複数のガラスにコート有り無しどちらの面も混在していることが多いです。カラーは単色のみの場合もあれば複数使っていることもあり、同じメーカーでも対応が違います。単に透過率を高め、フレアやゴーストを抑える目的だけで入れているわけでないのは明らかだろうと思います。
樹木の間から漏れる光が石畳を照らしています。奥に至るボケまで堅実さが感じられます。
奥の方にピントが合っていますが、手前のボケはあまり魅力的ではありません。締まりがない感じがします。
女性用の衣服からさえ、柔らかみを感じることはありません。非常に引き締まっています。線が濃い感じです。白もがっつり出ています。
屋内から外へ向けて入り口付近を撮ったものです。非常にしっかりした写りです。到底3枚玉とは思われません。練り上げると3枚しかなくてもここまで可能なようです。
雰囲気が最近のポピュラー音楽(というのでしょうか)の一部のプロモーションビデオの一コマのようです。これも映画用レンズだからかもしれません。すべてがビビッドです。そしてこのレンズが指し示すポートレート撮影の方向性も明らかになっているように思います。
ここまでやってもフレアが出ません。なぜでしょうか。左上は強い光の進入を許し白み罹っていますが、せいぜいその程度に抑えて潰れるに至っていません。鏡胴の内部構造を工夫してフレアやゴーストが発生しないようにしていると思われますが、コートなしでここまでやるとさすがに凄いと言わざるを得ません。
手前の人物がボケています。柔らかいボケです。奥のボケは堅いので手前と奥とでは性格が異なります。この収差の取り方も映画用・ポートレートレンズとしての工夫なのかもしれません。
コントラストを見てみようと思って撮ったものですが、参考になっているかわかりません。太陽が当たって白みがかりやすい部分と影があります。どちらも写真にとって難しい素材ですが、うまくクリアしています。暗い部分と明るい部分が同じ画面内に混在していても結構いけそうです。フランスレンズのような潰れ方はしません。
この壁絵は古いもののようで、すでに色褪せています。非常に見にくいのでコントラストを異常に高める現像処理をかけています。赤い提灯が不自然に黒ずんでいるので相当強烈にかけていることがおわかりいただけると思います。端の方にも影響が見られますが、それでもおおむね破綻はなく、十分に使えます。
シルエットのような画ですが、描写が繊細ゆえ、完全に潰れるには至っていません。現代レンズであれば当たり前ですが、すでに戦前にこのようなレンズがあったとあれば驚きです。30年代のものです。良い物に古い新しいは関係ないのだろうと思います。
夜、人工光の下で撮影してもシャープに写ります。雪花ビールは低グレードのビールですが普通にいけます。経済発展の影響か、人民が高いビールを飲むようになってきたので、雪花は珍しくなってきました。田舎に行かないとなかなか見つかりません。数年ぶりのような気がします。
先月末で長い歴史に幕を降ろした北京・前門にあります新成削面館です。閉店前に見に行きました。
60年ぐらい歴史のある国営食堂ということですが、改革開放以降は民営化されて運営されてきたようです。国営の文字は発泡スチロールです。プラスチックとかこういうものはとても安価なものですが時代によっては最先端のものだったこともあったので、その頃のものかもしれません。
入り口を中から見たところです。建物が古いと言えば確かにそうですがこんなところは今でもまだ結構あります。もちろん地方に行けばもっとあります。ある意味、古さを感じない、半世紀ほどあまり変化がなかったということがこれを見てわかるような気がします。
メニューは麺が中心のようです。刀削麺を出してきます。刀削麺は山西料理の筈です。
注文したものはこういう紙に書かれて渡されます。番号を呼ばれたら応答します。
こういう感じで刀削麺を食べます。味は普通で、もっとうまいものが他にあるだけにこれでは苦しいと思いました。国営のDNAを引き継いでいるのでしょうか。
ハルピンに行く機会がありましたので撮影して参りました。
博物館の中を少し見ますと、建築自体がロシア風という感じがします。現在のウラジオストクあたり、極東と言われるところはかつて清国領で、別の地域と交換して黒竜江で国境を分けたという話なので、このハルピンあたりは元ロシア帝国領だったのかもしれません (このあたりは不正確です)。街自体が中国のみならずモンゴルの雰囲気もありません。言葉は中国語で街はロシアです。建物に備え付けのランプも中国のものではありません。
階段も東欧あたりの雰囲気があります。微妙に収差が補正され切っていない後ボケも、東独(当時はドイツ帝国)のレンズにロシアですから表現がマッチングするのかもしれません。
中国領ということで簡体字もたくさん入ってきていますが、土地の固有の文化は保たれています。欧州風の馬のエンブレムもそうですが、この街の標識全体も保護されて文字だけ入れ替えてあります。
地下鉄は乗っていませんが、入り口だけ見ました。モスクワの地下鉄は見たことがないのでわかりませんが非常に有名ということで、地下鉄は街の一部、これもまたアートであるというロシア人の考えが反映されたものと思います。
清末や満州国時代にロシア人が結構入ってきたらしいので、その頃のものだと思います。左端に現代の街灯がありますが、これは中国のものなので好対照を成しています。
ハルピンには中央大街という通りがあります。ハルピン駅から北に伸びたかつての繁華街です。今でも繁華街ですが、100年ほど前の巨大なロシア建築が並んでいるので観光地にもなっています。一般に中国の石畳というと数百年の歴史があるので石が磨り減ってしまい改修したりしているところが多いですが、ここはまだ近代のものなので残っているようです。
立派な建物群を見上げると常に視界に入るのが街灯です。街灯はもちろん道を照らすものですが、それよりも景観を重視しているように感じられます。配置によって美しく見えるのであれば、必要以上に設置したりしています。冬の長いハルピンならではだろうと思います。
中国にならどこにでもある感のあるイスラム系料理屋です。中央アジア系といった方がいいかもしれませんが、中央アジアというと旧ソ連だっただけにロシア建築にもしっかり溶け込んでいるように思います。漢字のフォントもアラビックにデザインされて順応しています。
1mのものを撮った時の背景のボケが確認できます。特徴が露になっていますが、もっと距離を詰めるとそれほどではありません。この特徴が画全体に引き締まった硬質感を与えるのだと思います。
シネ用レンズですから本来これだけのイメージサークルで撮影するものではないと思うので、周辺の収差が確認できます。また、手前のボケが溶けたように写ることも確認できます。
3mぐらに合焦させますと背景のボケはより落ち着きます。ゴリっとした実体感が感じられます。
焦点は提灯あたりですが、暖房に石炭を多用するこの辺りでは空気が霞んでいますので、そのあたりを勘案した上で確認しなければなりません。それでも実質のある写りです。
もっと近づいて今度は無限遠で撮りますが、暗くなってきているのでシャッタースピードは1秒以下です。カメラを置いて撮影しています。周辺には物がないので分かりにくいですが、それでも流れが出ているように見えます。そして隅の方が減光しています。
暗くても光量に有る程度恵まれていれば、それほど周辺の収差に悩まされることはありません。
コーティングのないレンズというのは人工光を独特に捉えるように思います。確かにコーティング有りの方が正確な写りになる感じがするのは確かですが、変な言い方ですが、光の方は正確に見て欲しいと思っていないと思います。光の存在する目的が写れば良い、その方が良いというのがコーティングなしのレンズを見ると感じられます。
華やかな光は華やかに、しっとりした光はしっとりと、幻想的な光は幻想的に、余りに真実に迫ることに拘るのはそういうものが撮れなくなってしまうと思います。それでコーティングが実用化されて以降も、内部の幾つかの面でコーティングを入れなかったりといった"間引き"が行われていたのだと思います。50年代ぐらいの大量生産以外のレンズまではそういうものが結構あると思います。