無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業




筆のタッチを写真で表現する ダゴール Dagor

2014.04.05

後代のあらゆるものに影響を与えた美意識の集積

 エミール・フォン・フーフ Emil von Horghによって発明され、後代に多大な影響を与えたダゴール Dagorの初期の設計を確認します(古典的ドイツ光学の源流地を辿る7も参照)。

 フーフは北欧人です。デンマーク人です。色彩感がパステルです。自然界からの影響でしょう。クラシックなハッセルブラッドも同じ傾向があります。エルネスト・ボー Ernest Beauxは第一次世界大戦の兵役で北欧に駐屯し、そこで出会った花々木々からの幻想的な香りに魅了され、後にChanel N°5を開発しました。北欧の自然から得られるインスピレーションは、近隣のパリやベルリンにも影響を与えました。

 光学設計段階では収差が消され、優秀な性能でしたが、3枚貼り合わせで製造時に精度が出せないので、とりあえず大量に作り、特性が近い2つを組みにしていました。ガラスにもバラつきがあったのか色消しが充分ではなく、初期のものはあまり発色がよくありません。それでも優しい色の出し方は変わりません。まるで絵画のように捉えていたように思えます。フーフの引退、そして20世紀に入って当時の欧州の芸術運動(アール・ヌーボー)などの影響を受けつつ描写を完成させてゆきました。

 ダゴールと言えばまずは優秀性、非常に鮮明に写るというもので、後代に至るまでその特質は磨かれてきました。そのため市場では古いものより新しい方が高値取引です。業務用途だからでしょう。特に比較的新型のゴールデン・ダゴールは珍重されています。髪の毛まで鮮明に写るのに、どこか穏やかな画が得られます。実は商業写真を通して多くの人が知っている画です。しかし現代ダゴールに違和感を抱く人は、フーフが設計した19世紀のコーティングがないダゴールに戻ります。

Dagorでの肖像写真
 ダゴールはコーティングのない時代の設計なので貼り合わせが多くなっていますが、後に貼り合わせを剥がしていくようになり、オルソメター、ダイアーリト、ガウス、プラズマートなど多様で有力な傍流を生み出しました。今では優秀なコーティングがあるのですからダゴールはすでに過去の設計の筈ですが、ゲルツではこれが今でも製造されています(シュナイダー傘下のゲルツ・アメリカによって)。

 大判用のものでありながら小型であることで、現代の規格となるとかなり小さなレンズになってしまいますから、ダゴール独特の味を残しながら復刻するのは、特許データのままでは難しそうです。ゲルツには他にセロールやドグマーなど貼り合わせを解消したものがありますが、ここでは3枚貼り合わせ対になったもののみ見ることにします。すべて焦点距離50mmに変更、画角は注記のないものは60度です。


 1つ目はフーフが最初にゲルツに持ち込んだと思われる原典版で、特許が申請されていますのでそこから数値を確認できます (独特許 DE74437)。f8です。原典版というメモリアルなものなのでトラオレ Turriereの本にも所収されています。これは実際にはf7.7で生産されたようです。
Dagor原典版 ガラス配置図 Dagor原典版 縦収差図
 1895年の広告です。この最初のf7.7はシリアルナンバーでちょうど2万ぐらいのものが見つかっています。f6.8が出てからも継続されていました。ゲルツはダゴールを作るまで小さい会社でしたので、それ以前の製品は多くは作っていなかった筈です。f7.7は小型カメラ用にも焦点距離で3種用意しています。緑でmm単位を書き込んでいます。ナンバーだけではなく、コードネームも付けていたようです。これが後に変わってきて「ダゴール ・・mm」といったような表記になってゆきました。
Dagor f7.7 広告

 肖像用と思われる改良型がトラオレの本のNo.121にあります。f6.8です。ガラスを少し変えています。
Turriere121 ガラス配置図 Turriere121 縦収差図

 トラオレNo.122にさらなる改良が載せられていて、これもf6.8です。No.121と同じガラスです。この計3つがおそらく1892年以降の最初期の設計です。
Turriere122 ガラス配置図 Turriere122の縦収差値
 これも同じ1895年のカタログに載っていたものです。ですからf7.7が1892年前後に出て1895年までの間でf6.8も出たことになります。新型f6.8に関しては40mmから用意されています。
Dagor f6.8 広告

 1894年に最初のガラスに戻した改良を申請しています (米特許 US528155)。ガラスを戻してもf6.8に達しています。フーフは1904年に退職しました。
色消Dagor ガラス配置図 色消Dagor 縦収差図

 1908年の改良で、これはワルター・ショッケ Walter Zschokkeによるものです (英特許 GB13902)。2つあり、まずf6.8です。No.121と同じガラスに戻した肖像用です。肖像用はこのガラスの組み合わせで決まっているようです。
Dagor 1908広角 ガラス配置図 Dagor 1908広角 縦収差図
 もう一つはf5.6です。ガラスの組み合わせは新しいものを採用しています。この2つの設計は両方共パテントに58mmで記載されています。ですから小型で作るのが前提になっているようです。図は50mmに変えていますが、58mmぐらいでもガラスの直径は1cm程です。vademecumによると、12.5mm f6.8という映画用のものも見つかっているとあります。
Dagor 1908標準 ガラス配置図 Dagor 1908標準 縦収差図

 1927年にフランツ・アーバン Franz Urbanによって画角が広げられた改良でf9です (米特許 US1641402)。画角は100度となっていますが、そんなにありません。
Dagor 1927 ガラス配置図 Dagor 1927 縦収差図

 横収差は出していませんが、いずれもほぼゼロです。収差はあるのですが打ち消されてゼロになっています。内部に含んでいる収差の魅力とガラスの選び方で確定し、製造は誤差の多い3枚重ねによる手工生産の味を出していました。ダゴールは非常に小型で取り回しが良かったこともあったのか生産が続けられ、描写は時代を経るごとに工作精度が上がり鋭利になってゆきましたが、一貫して支持されました。つまり、どうやっても良し、基本のレンズ構成が優れているということなのでしょう。
Dagorでの晩餐会の撮影
 ダゴールが成功したためか他社も同型で出すようになり、同業者からの圧力が強まっていました。早くも翌年1893年にはシュタインハイルがオルソチグマットを設計、同年ツァイスも鋭利で性能に勝っていたプロターを設計しました。1895年にはフォクトレンダーも参加、ツァイスは4枚貼り合わせとしました。ガンドラックは同時期に5枚でした。ツァイスがガウスを設計した影響か、ゲルツは貼り合わせを僅かに剥がして薄い隙間を空ける設計を1899年に出しています。しかしほぼ同時期にエルンスト・ライツも同じ試みで設計しています。ライカを作るだいぶん前です。このことは如何にダゴールに魅力あったのかを示しているように思えます。そして最後まで残ったのはダゴールでした。


 1893年、シュタインハイル Steinheilのオルソチグマット Orthostigmatがf4.0に達しています (米特許 GB12949)。ゲルツとは背景のボケに対する考え方が違うようです。蛍石ガラスを使用しています。
Orthostigmat ガラス配置図 Orthostigmat 縦収差図

 ツァイス Zeissのパウル・ルドルフ Paul Rudolphが設計したプロター Protar(米特許 US886416)で、f6.3ギリギリです。ガラスの使い方もゲルツを踏襲していますので明るさも同じぐらいですが、収差の取り方が違うことで描写が変わってきたのではないかと思います。見た感じ、フワッとした写り方?になりそうですが、現物は鋭利です。鋭利ですが硬さはないという。プラズマートに向かう過程の玉です。
Protar ガラス配置図 Protar 縦収差図

 1899年にライツ Leitzが設計した空気間隔があるガウスのような設計です (米特許 DE118433)。アッベ数が記載されていないので代数を入れていますが、数値の高いガラスばかりを使わなければ、これだけ色収差を減らせません。ゲルツとの違いはわからず、このことがどういう効果をもたらすかも未知数です。f7で出しています。
Leitz Dagor ガラス配置図 Leitz Dagor 縦収差図

 フランスでは、ソン・ベルチオ SOM Berthiotがペリグラフ Perigrapheという広角風景用を製造していましたが、その構成はダゴール型でした。
Perigraphe ペリグラフ

 エルマジ Hermagisもアプラナスチグマット Aplanastigmatを製造していましたが、ダゴールのフランス版という感じのもので明るさもダゴールと同じぐらいでした。ペリグラフもf6.8で製造されていたのですが、最終モデルはアナスチグマットとなり、かなり小さいガラスでf14となりました。これはそれなりの考えがないとできることではありません。ガラスを小さくするといわゆる味が薄くなります。しかしダゴールが3枚重ねにしているのはそれとは逆の意図です。ですからダゴール本来の特徴は出ません。だけど構わなかったのでしょう。ペリグラフf14で撮影された大判の風景画は実に素晴らしいもので、繊細さの極地です。この味がデジタルの小さいフォーマットでは出せないのでこのレンズの価格は低迷していますが、本来は非常に素晴らしいものです。薄味になることを逆手にとって繊細さの中に不思議な柔らかさを得ています。

Berthiotの貼り合わせ  ベルチオは貼り合わせをかなり研究していたようで、重厚感のある表現はそこから得たものでしょう。5枚貼り合わせのものしかありませんが、ダゴール型の設計があります (仏特許 FR374045)。実際に製造したのかわかりません。

Perigraphe ガラス配置図 Perigraphe 縦収差図
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