ライカは一眼レフではありませんので、一眼レフ特有の利点はありません。マクロと望遠には弱くなります。ライカは用途によってはそのデメリットを覆って余りあるメリットがあるので現代でも使われますが、しかしそれでも不得意な部分を埋めたいという場合もあります。そのためにビゾフレックス Visofrexというものが別途用意されていました。これはライカのフランジに一眼レフのミラーボックスを装着するというもので、戦前には望遠で使われていました。マクロについては戦後、ズミクロン Summicronで眼鏡を用意するなど特殊な方法で対応していましたが、やがてビゾ用のマクロレンズが発売されました。エルマー Elmar 65mm f3.5です。貴陽、昆明、麗江で撮影しました
ライカレンズと一口に言ってもいろいろありますが、ベレクからマンドラーの時代に変わって違うものになってしまった印象があります。だけどマンドラーは師の仕事を忠実に引き継ぐ意思は強く持っていたと思います。ベレク晩年の描写は重量感がありましたが、マンドラーのそれは儚さがあります。違うものですが、ライカ独特のアイデンティティは失っていません。マンドラー時代の諸作はプレミアが付いているものもあって高嶺の花ですが、それは味わい深いベレク作品をより洗練したものだからこその評価で、ライカ芸術がもっと高いところにあった時代のその特質はエルマー 65mmからも伺えます。だけどやはりマクロ用というだけあって普通の撮影で距離を空けて撮るとそんなに良くないような気がします。モノクロだと味が出そうですが。
これぐらい迫ると魅力が出てきます。背景のボケ具合にしてもベレク時代からやり方が変わっていない感じがして古いレンズに慣れた向きには安心感があります。しかし背景のこうした描写の作り方は現代のレンズにも影響を与えています。ズームではわかりにくいと思うので、大口径の単体で見れば明確だと思います。
対象と背景にかなり距離がある例です。マクロは性能の優秀性が求められますのでボケも綺麗です。漢字も判別できます。
マクロレンズの評価の高いものは、ボケがこのように溶けるような印象があるものが多いように思います。
ピントを極力引きつけても、遠くまで破綻していないということは基本性能が優秀ということです。
背景に向かってボケているのが、柔らかいのは当然なのですが、柔らかいといっても色々あります。霞みを感じさせるのはやはりライカという感じがします。
この時代のコーティングのレンズでは明暗の差が大きい構図は難しいですが、この程度であれば味わい深さが楽しめます。ガラス戸は奇麗に磨かれているわけではありませんが、それがかえって枯淡の描写をひき出しています。
これはあまりに極端過ぎました。失敗例だと思います。こういう構図は避けた方が良さそうです。
これも失敗例かもしれません。マクロのレンズでこういう風に限界を試すような使い方をするのはかわいそうです。しかし中央の額縁の周囲に纏うフレアは良い感じの雰囲気です。これは使いようによっては何か狙えそうです。
これぐらい近接になってくると、少し円周ボケの兆候もあります。無収差は味がないのでそこで工夫するにしてもマクロですから僅かになります。設計でかなり追い込んでいるのでしょう。そのため、普通にスナップで使うと味が足りません。
これもかなり寄ったものを撮影したものです。これぐらいの角度であればボケも率直に出ていると思います。
ライカのレンズとしては遠近感に乏しい感じがありますが、それはマクロレンズだからでしょう。
キルフィットのレンズでこれと似たようなスペックのがありますが、ぜんぜん違う描写です。エルマーは儚い写りです。
これでは手前のボケがうるさいです。つまりこういう構図は間違っているということです。ちょっと工夫を加えるべきだったでしょうか。もう少し上からの方が良かったと思います。
昆明骨董城は建物がかなり古く、二階は相当起伏があります。建物自体が文化財という感じです。中庭から二階を撮っていますが少し暗い、そこはライカの得意なところなので明瞭に写っています。
しかしこうして明るいところに出るとフレアがあります。レンズが少し曇っているか、埃の多いところを歩き回っているからかもしれませんが、マクロレンズに専門外のことを求めることになりますから論外なのかもしれません。
背景のボケに透明感を感じるというのはマクロレンズ共通のような気がします。
焦点の合ったところの表現力を試すような対象物です。古いもの独特の味が上手く撮れています。
奥行きのない、平面に近い構図です。そして近い物ですが、あまり特徴のない画になりました。マクロレンズであまり個性が出るのも良くないと思うので、これぐらいが妥当なのだろうと思います。
背景の重い描写は映画用のレンズであれば良くあるような気がします。映画用とマクロはいずれも遠景を主に撮るものではないので似たような特徴が出やすいのかもしれません。引延レンズで撮影しても同じだと思います。
これは撮影した時間帯が良くなったと思います。夕方であればもっと良かった筈です。人物が暗くなってしまいました。
これも平面に近い画ですが、先ほどよりは少し距離をとっています。とかくアップ、マクロとなると精細感が重視されがちですし確かに必要ですが、このレンズではそれほど重視されていないような気がします。解像度ではなく、質感をリアルに捉えようとするところがあります。
もうこれぐらいも離れたものを撮ると映画用レンズのようです。フランスレンズのような雰囲気でライカという感じではありません。
遠近感を強調したものではないので、こうして撮影しても奥の棚が突き放された印象はなく、溶け込んでいます。古い日本のレンズでよくありそうな感じではあります。映画用というよりも引延レンズの方が個性が近いような気がします。
日陰のものがはっきり写るのはライカならではです。
マクロレンズで柔らかく捉えるというのも、ライカだからという感じがします。
背景のボケが2重になってチリチリするような玉もありますが、そういうものでこれを撮ると石畳みがうるさい描写になりそうです。これだと安定しています。
前にガラスがあったということもありますが、暗くて少しぶれたようにも見えます。色彩は少し淡目に写るように思います。
右下がぼけていますが、こうするのではなく、手前から奥に、つまりもっと焦点を引きつけて撮影するべきでした。そうするともっと良かったと思います。
これはエルマー50mmで撮ったのと描写があまり変わりません。65mmと50mmなのでそんなに違いがなくても驚きではありませんが、違った写りがすることもあるだけに、何かちょっとした違いが印象に差をもたらしているものと思います。
文字の描写は、肉眼で見るよりも趣があります。
物の質感を柔らかく捉えるので、こういう対象では持ち味がしっかり出ます。
漆喰が雪のように見えます。ツァイスだと違った見え方だった筈です。
光が柔らかく廻ると、あまり特徴の無い安定した画に落ち着きます。
扉はかんぬきなので、錠も特殊です。ここから手を入れてかんぬきを外します。肉眼で見ると古い扉に過ぎませんが、こういうレンズで撮ると美しく表現されます。
優秀な性能なので細かいものがうるさくなりません。こういう対象物は比較的得意だと思います。単に精細なだけでなく、穏やかな捉え方です。
硬めの描写で遠くの漢字も判別でき、柔らかくも表現しています。
石、ブリキ、銅などの素材が魅力的に提示されています。
肖像でも意外と使えるのかもしれません。
白が飛びやすいのはデジタルだからだろうと思います。
布を撮影すると現物よりも魅力的に写します。
細かいものは丁寧に描写しますが、白は少し弱いのでしょう。
最後にエルマー65mmの良さが出た画を掲載して終わります。