世の中にあるもので、多くのものは四角です。皆さんに今ご覧いただいている本稿も四角の中に収められています。三角や五角形というものはなかなか無いだろうと思います。人間の制作物における "4" というのは非常にバランスのとれたものですから、生活の中に自然に溶け込んでいるのだと思います。
クラシック音楽では多くの楽器編成があります。独奏からオーケストラに至るまで多様です。その中で最も纏まっているのは、弦楽四重奏だとされています。究極的にはここに行き着くとさえ言われています。ビートルズなど他ジャンルの有名楽団も4人編成が多く見受けられます。ジャズはどうでしょうか。全盛期には5人編成が主だったようですが、2つの管楽器は交代でソロをとるので実質これも4人ということになるだろうと思います。ここでこういうことについて思い至ったのは、凹凸の組み合わせで構成する光学設計も4の編成がどうも最良らしいと思ったからでした。音楽と比較するのはおかしいかもしれませんが、見えないものに本質がある点でよく似ているような気がします。
このことは、レンズ設計図を見てそこから何かを掴もうとする人にとっては重要な目安だろうと思います。もちろん4関連以外は駄作とか、そういう極端な意味はありません。ただバランスに優れているということを示しているに過ぎません。そこでこのことを念頭に置いた上で、トリプレット Tripletを中心にして重要な光学設計を、キングスレーク Rudolf Kingslakeの本から取材した内容を元に見ていきたいと思います。(注:「写真レンズの歴史」第7章:トリプレットとその改良型 から主に参考にしていますが、本書は主に設計が発明されていった流れを示したもので、本稿で主張する「黄金比」とか「4」についての"奇妙な見解"については全く書いて有りませんし関係ありません。素材として使っただけということでご理解下さい。ただ個別の設計に対する説明はほとんど同じです。そこへいわゆる"収差"を足したものです。)
1893年、英国クック Cooke社の光学設計主任だったデニス・テーラー Harold Dennis Taylorが英国光学学会に開発の経緯と共に発表したのが、トリプレット Triplet(3群3枚)の誕生でした。(英特許 GB22607、米特許 US568052) 昔の設計であって非常に簡単に見えますが、当時の技術では組立が難しく、初期のクックのレンズには中央のエレメントを微調整するためのネジが3本付いており、組立調整段階で確定したらボンドで接着されていました。
それよりもダイアーリト Dialyte(4群4枚)の方が容易だったので、わざわざトリプレットを採用しないメーカーもあった程でした。(独特許 GB12859)
ダイアーリト型の原型は1892年に発売されたゲルツ Goerzのダゴール Dagor(2群6枚)で、曲率は割と許容範囲が広かったので、反転型(下図)もありました。(スイス特許 CH6167)
フォクトレンダーのコリニア Kollinear型(2群6枚)です。同時期にシュタインハイルが同じ構成のオルソチグマット(GB12949)で特許を取っていますが、両社は製造協力していたのかコリニアにオルソチグマットのパテントナンバーを打ち込んだりしています。3枚貼り合わせの真ん中のガラスは低屈折率のガラスが用いられていましたが、これを空気に置き換えたものがダイアーリト型になりました。まだコーティングがなかった時代には空気の接触面を減らす必要があったのでガラスで充填する必要がありましたが、後に不要になっていきました。ダゴール Dagorはドッベル(ダブル)-アナスチグマット・ゲルツ Doppel-Anastigmat Goerzの略ですが、略さないDoppel-Anastigmat銘もしばらく使われ、ダイアーリト型にも表記されていました。ゲルツは1926年に複数の光学会社と合併してツァイス・イコン(本社はドレスデン)となり、その後の戦後の複雑な提携関係の中で同じドレスデンのメイヤー Meyerもドッベル・アナスチグマットを生産するようになって、その初期のものにはDoppel-Anastigmat Helioplanと表記されていました。ヘリオプラン Helioplan(2群6枚)は以降、ダイアーリト型の銘となりました。
シュナイダー Schneiderのトロニエ Tronnierによってダゴールがさらに変形されたアンギュロン Angulon(2群6枚)です(独特許 DE579788)。
アンギュロンの外側の貼り合わせを剥がして広角に対応したのがスーパーアンギュロン SuperAngulon(4群6枚)です。
1903年、ベルリン郊外のポツダムにあった光学会社 シュルツ&ビラーベック Schultz unt BillerbeckのE.アーバイト E.Arbeitがダゴールの内側の貼り合わせを一ヶ所ずつ剥がし、空気間隔を入れる事によって明るさと画角を増したのがオイリプラン Euryplanです。(独特許 DE135742)これはツァイス Zeissのオルソメター Orthometar(4群6枚)に採用され、現代でも大判レンズに使われています。
ダブルガウス DoubleGauss型(4群6枚)は、オルソメター型よりも古い設計ですが、向かい合う配置が逆になっています。原型はガウス Gaussによって発明されましたが、実用化はH.W.リーによるオピック Opicまで待たなければなりませんでした。(英特許 GB157040 GB298769 GB377537 GB427008 GB435149 GB461304 GB474784)
ガウスをさらに改良して貼り合わせを一ヶ所減らしたのが、ビオメター Biometar(4群5枚)です。(米特許 US2968221)同構成はクセノター Xenotar(独特許 DE1015620)、そして後のプラナー Planarと引き継がれました。
メイヤー Meyer社に在籍していた時代のパウル・ルドルフ Paul Rudolphは、最初にダゴール型とオルソメター型のザッツ・プラズマートを設計しましたが、1922年にオルソメター型から中央のエレメント2枚の曲率を逆にしたキノ・プラズマート Kino Plasmat(4群6枚)を開発しました。(独特許 DE401630)オルソメター型とは対称的に画角が広く取れない欠点がありましたが、球面収差は補正しやすかったので、映画用レンズとして使われました。
ダゴールは設計師のエミール・フォン・フーフ Emil von Hoeghがどのようなヒントから設計し得たのかわかりませんが、1つの可能性としては広角レクチリニア(米特許 US79323)の変形型ラピッド・レクチリニア Rapid Rectilinear(ダルメイヤー Dallmeyer)またはアプラナット Aplanat(シュタインハイル Steinheil)と呼ばれるこの構成(2群4枚)を補強したのかもしれません。アプラナットは収差論の確立者 ザイデル Philipp Ludwig von Seidelの援助を受けて設計されました(米特許 US180957)。この構成はダルメイヤーとシュタインハイルのどちらが先に発明したか論争となったことで有名です。後々まで傑作とされ、長期に亘って製造されました。
高性能な写真レンズを19世紀の始めから作っていたフランスのシュバリエ Charles Louis Chevalierは、色消しダブレットをこのように向かい合わせる方法で製造(2群4枚)していました。レンズをあらかじめ多数製造しておき、最適な組み合わせを職人的勘で決定する方法で製造されていました。
最初に本格的な光学計算を行ったペッツバール Petzval(3群4枚)は、シュバリエのレンズから派生したもので、これらの方法論がラピッド・レクチリニア或いはアプラナットへと結実しました。
1900年、フォクトレンダー Voigtlanderのハンス・ハーディング Hans Hartingがトリプレットを対称形に変更することを思いつき、当初は上掲の写真のようではなく、真ん中で分けて前後がほとんど同じでしたが、トリプレット特有の収差を消すためにせっかく張り合わせを2ヶ所増やしたのに、どうも良くならず、以後数年に亘って改良を重ねることになったのがヘリアー Heliar(3群5枚)です。(米特許 US716035 US765006 US766036) この型は英ダルメイヤー Dallmeyerからペンタック Pentac(米特許 US1421156)として販売されたものや米コダック Kodakのアルトマンが設計したもの(米特許 US2279384)が評価されましたが、主流には成り得ませんでした。
1902年に開発されたテッサー Tessar(3群4枚)は、諸説ありますがトリプレットから派生したものと見ることもできます。これはトリプレットの欠点を克服した決定的な稿となり、世界を席巻しました。(米特許 US721240) ガウス型と共に史上最高の傑作です。
トリプレット型の明るさを増すために、後部のエレメントを2つに割る方法も考えられ、1924年にH.W.リーによってスピーデック Speedic(4群4枚)として発表されました。(英特許 GB224425 GB299983 GB372228)これはアストロ・ベルリン Astro Berlinのパン・タッカー Pan Tacharに採用されました。(DE440229 US1540752)
スピーディック型は、アンジェニュー Angénieuxのレトロフォーカス Retrofocus(6群6枚)タイプの設計のコア部分に採用されました。レトロとは「懐古趣味」という意味もありますが、「(考えが)後ろ向き」とか、単に「後」という意味もあります。スピーディック型の構成が逆になっていることに注目して下さい。(仏特許 FR60430 FR62932)
しかしトリプレットをさらに明るくするためには、後部のエレメントを2分割するよりももっと良い方法があり、それは前部のエレメントを二重にすることでした。1916年にガンドラック Gundlachがウルトラスチグマット Ultrastigmatの名で製造し(米特許 US1360667)、その後これをベルテレ Berteleが改良してエルノスター Ernostar(基本形は4群4枚)として発表しました。(独特許 DE458499) エルノスターはエルマノックス・カメラ Ermanox cameraに付けられ史上初のスナップ用カメラとなりました。
エーリッヒ・ザロモン Erich Salomonがこのカメラを使って多くの傑作を撮ったことは有名です。高速スナップカメラとはいえ、場合によってはこのように三脚を立てることも推奨されます。
当時、エルノスターがf2に達したことは驚異的でした。だからといって、レリーズ使用による軽やかさと共に、本体を指2本で摘んで余裕で撮影できると考えるなら代償を払うこともあります。知的な雰囲気を醸し出すところまでは良かったものの、結果が伴わないということもあるので注意が必要です。
撮影についてはこれぐらいの慎重さを以て応るのが好ましいものの、他の人まで呼んで見てもらう必要性はほとんどの場合でありません。
ベルテレはエルノスターの改良をさらに進め、ゾナー Sonnar(最初の設計ではf2は3群6枚、f1.5では3群7枚)を開発するに至ります。これはエルノスター型の2,3枚目の空気間隔へ代わりに低屈折率のエレメントで埋めたもので、後群の張り合わせも屈折率が近いものを選んで微妙な補正を可能にしています。事実上、4群4枚の原則を保ちつつ微調整を入れて大口径化に対応したものと言えます。(独特許 DE401274 DE401275 DE428657 DE435762 DE441594 DE458499 DE530843 DE570983 US1975677 US1975678)
当初は3枚からスタートしたものが、4群とか4枚の構成に引付けられていき、行き過ぎて5枚になると難しくなってしまうという、増やすのであれば "4" の黄金比を如何に維持するかを念頭に置いておく必要があるという流れだったと思います。そんなに4が大切であれば、大量のエレメントを投入しているズームはどうでしょうか。非常に理想からかけ離れていると考えていいのでしょうか。おそらくそう言っていいと思います。ズームはとても便利が良いので使われていますが、描写には単焦点に敵わないので単焦点を製造しない高級レンズメーカーも無くなりません。利便性を考えてズームを使うのは良いと思いますが、もし一歩進んでみようと思われることがあれば、単焦点の魅力に気がつく良い機会と思います。ポートレートが多いのであれば中望遠、スナップであれば広角を選ぶ人も多いですが標準の方が画角を感覚で固定しやすいので良いと思います。それで有名メーカーは50mmだけで何種も出しているのです。あんまり良くないということであれば、そもそもこういう状況にはなっていません。
優れた黄金比を持つ"4"の多くは、1+1+2か2+2の関連性を持っています。双子が1つか2つ発生します。テーブルとか建物の四角は正長方形なので、向かい合う面は同じ長さととなり2+2となります。弦楽四重奏はバイオリン2本です。テッサーは1+1+2で、ダブルガウスは双子を内部で幾つも持っている点で極めて理想的なものです。傑作レンズの多くがガウスなのは偶然ではない気がします。人類の光学設計における最高傑作はダブルガウスなのかもしれません。これこそまさに「黄金比」と呼べるものです。