ハンガリーという国があります。多民族の国家で歴史的にはオーストリア帝国やオスマン・トルコの支配を受けたり、原住民はラテン系であるとか、たいへん複雑な背景があります。民族混淆の地であるため、姿がたいへん美しい人々が多く、その中心都市ブダペストも今なお美しい旧市街があります。光学に関心のある人であれば、ウィーンで世界最初に幾何学計算を以て設計されたペッツバールレンズの設計者がハンガリー人であったことは記憶しておきたい事柄です。しかしハンガリーが光学の歴史の中で中心的役割を果たしたことはこれまで一度もありません。それでも光学計算の原点とか、そういうものを生み出した数学者の故郷の国のレンズというものがあるならば、その描写も記憶に留めておきたいところです。(ハンガリー人の光学の分野に対する貢献がそれほど大きなものでなくても、撮影に関しては影響力を無視することはできません。マグナム Magnumの創設者ロバート・キャパ Robert Capaやアンドレ・ケルテス André Kertészはブダペスト出身でした。)
かつて戦後に、ブダペストで設立されたモム MOMという光学会社がありました。ドイツのカメラが世界を席巻する中で、そのコピーとか或いは対抗するような製品を作っていました。今回入手したスクラップ状態のハンガリー製カメラにはM42マウントのインマール Ymmar 50mm f3.5が付いていました。そこでこれを取り外し撮影してみることにいたします。撮影場所は家の近所ですが、まだ撮ったことのない西四に行ってみたいと思います。
西四はそのまま南下すると西单に行き当たりますが、西单の手前までは婚礼関係のショップが比較的多いところです。西四北部は電子・業務用音響関係の専門店が並んでいます。そのちょうど境目に結婚式用チャペルがあります。建築様式は東欧の教会のようで、このレンズにちょうどよい対象です。東欧のクリスチャンは、オスマン・トルコ支配下で迫害されていましたので、こういう低い天井の建物をさらに深く掘った窪地に建てていました。
ガラスが曇っているのでフレアがありますが、それがまた東欧の雰囲気を醸し出しているのは不思議なものです。
東欧は絨毯の多いところです。家の入口から室内のあらゆるところに敷き詰めています。トルコ文化の影響でしょう。おそらく豊かさの1つの象徴で、豪華な絨毯が重要な調度品、ここからレッドカーペットのようなものが出たのではないでしょうか。さて、この垂れ幕は絨毯ではありませんが、素地の描写の仕方はどうしても絨毯文化との因果関係を思わせます。フレアは現像で簡単に取れますので、外してみます。
素地の美しさを際立たせることのできるレンズはたくさんあると思いますが、インマールはそれとは少し違うような気がします。素地の重量感、質量のようなものを写し取ろうとするところがあります。以降はフレアを外すことにします。
漢字を表現するよりも、やはりアルファベットの方が合うのかもしれません。漢字に比べてアルファベットは単純なので、これぐらいじっくり描出する方が良いのでしょう。
写りに明るさが乏しく、製造地付近の歴史的背景を思わせます。太陽が疎んじられているような感じがします。
共産国のレンズはコントラストがしっかり出て階調表現にはそれほど拘りがないものが多いように思えます。例外は戦後すぐの東独製ぐらいではないでしょうか。
暗い裏通りの入り口に柵があって、かなり古いものという感じがあります。インマールで撮影すると単に古いだけに留まらず郷愁のようなものまで漂わせます。フレアを外してもこの雰囲気は取れませんので、これはこのレンズの特徴だろうと思います。
かなり汚い電信柱ですが、インマールで撮影するとそれほど汚く見えません。近距離を撮影したためか、画の周辺の解像度が落ちています。それでもトリプレットのような対象の浮き上がり方はせず、よりナチュラルです。やはりテッサーならではの安定感はあるのではないでしょうか。
これは何をしているのでしょうか。不自然な一瞬を捉えたものではなく、ずっとこうしています。何かが出ないのでしょうか。何かというともう一つ、老婆の頭上に黒い点があります。これはセンサーについたゴミです。距離計に連動させるためにレンズのフランジから円筒を付けていますが、この内側の反射が強いので黒い布を貼っています。よく見ると、その糸くずがセンサーについていました。それでバルブにしてシャッターを切り、下に向けて吹くと顔面にゴミを結構浴びました。金属粉もあったかもしれません。改造を自分でやる場合はきれいに清掃するということも重要になってきますが、だんだん面倒になるとこういうことがありますので注意が必要です。
インマールの色彩感は、青が基調になっています。この画のように青に近いものがなければ余り冴えません。
学校が終わるとこういう店に学生が群がります。学生らは飲み物を買っています。中国はほとんど自動販売機がありませんので、こういう商店で商店オリジナルの飲み物を買うか、コンビニで何か買うしかありません。彼らにとってコンビニはいささかコスト高ですので、主にローカル店の世話になっています。彼らはこの後、別の店に群がって軽食も買います。カラー対応のためなのか、色彩をじっとりと出す方向で露出を増やしてもなんとなく暗さがあります。
地元の主婦らはというと、オリジナルジュースなどに手を出さず、オーソドックスなものを購入します。はっきり安価と解る表示の重要性に国境はありません。黄色がデフォルメ気味、そのことによって電灯の光も強調されます。これも共産的な感じを与えますね。
プラス30歳ぐらいのふくよか過ぎる偽モンローです。大陸はこういう系統の風刺が多いですね。硬質な後ボケが画全体を引き締めています。これが画の寒さの一要因かもしれません。
ついに西单まで来ました。近代建築を撮影しても東欧風の独特の枯れた味わいは健在です。白い背景は雪のようにも見えます。
このように青が支配的な画では美しさが際立っています。或いは暗い対象の方が個性が活かされます。
最短1mで撮影に及び、ピントはガラスあたりに来ているようです。手前のボケは溶けるような柔らかさです。
夜は場所を移して、安貞橋付近を少し撮影します。中国で伝統的な喫茶店というのは非常に高価です。商談をする場所として必要性があるようで、個室形式になっているところがほとんどです。貸し会議室のようなものです。西洋風コーヒー店も同じような方向性です。しかし最近はマクドナルドやスターバックスのような一般的なカフェも増えています。
光源が強いとフレアは伴うものの、昼間よりは幾分はっきりと写っています。夜になると、昼間のような寒い写り方はしません。
ブティックの中にマニキュアも併設した店です。「美甲」というのがマニキュアのことです。美甲屋は結構人気があるのか、至る所で見受けられます。10元とありますので安いと思われるかもしれませんが、普通そんなに安くありません。数百元もする凝ったデザインのものもあります。
ミニリンゴ風の果物を串刺しにして飴で包んだ北京伝統の菓子です。体に良いと言われています。完成品を並べているだけの店は珍しく、普通は実際に作っているところを見ることができます。飴の温度管理に熟練を要し、失敗すると透明になりません。
甘栗も人気があります。日本のものと全く同じです。この光の描写の仕方はインマール独特のものが感じられます。
開放で遠景を撮っているということで、しかも夜ということもあったので、おそらくダメだろうと思って撮ってみた一枚ですが、青が多かったためか、意外と綺麗です。ここでもやはり赤は濃度が不足しているように思います。しかしこのバランスがインマール独特の描写を呼び込んでいるのだろうと思います。