ライカは1925年に発売され31年にレンズ交換式に変更されるまで、レンズはボディに固定で交換はできませんでした。レンズのフランジバックをボディに合わせて一つ一つ調整していたので、ネジを外して別のレンズと交換すると狂うためです。そのライカ黎明期に付けられていたレンズはほとんどがエルマー50mmでしたが、一部のバリエーションにヘクトール50mmもありました。ヘクトールはf2.5はエルマーのf3.5より倍ぐらい明るいので高価でしたから製造数が少なく現在ではたいへんレアです。
ヘクトール50mm光学設計図
73mmも同じ設計で作られた
ヘクトールはベレクが3番目に作ったレンズです。1つ目のレンズは3群5枚のエルマックス(前身のアナスチグマットも含む)で、次にそれより貼り合わせが1つ少ないテッサー型のエルマーが発売されました。エルマックスの3枚張り合わせはツァイステッサーの特許を回避する目的だったので、設計段階では先にエルマーが完成し、販売可能な設計としてエルマックスを用意したという順序も想定可能です。可能性としてはこの設計段階の試行錯誤の過程でヘクトールもすでにあったのかもしれないということが考えられます。つまりテッサーの特許を回避するために2つの設計があって、最終的にエルマックスが選ばれたのかもしれないということです。ヘクトールは明るいのですが、エルマーほどの優秀さはありません。ヘクトールは後に当時のレンズがどんどん明るくなっていく傾向の中で必要なものと認識され、張り合わせが増えるデメリットを省みず作ったのかもしれません。張り合わせが3箇所になりf3.5のエルマックスより1つ増えるけれど、f2.5が得られるのであれば良しということだろうと思います。f2.5はテッサー型の派生型としては限界なのか、これ以上明るいレンズについてはガウス型に移行していきました。
ヘクトール135mm光学設計図
ソフトフォーカスのタンバールも同じ設計が用いられ、
後にビゾ用の125mmもこの設計が使われた
50mmのレンズにおいてエルマーとヘクトールという2種の方向が確立されたという原点に基づいて、さらにテッサーの派生型を分析してみますと、エルマーは35,90,135mmで作り、エルマーの軽量性に着目して105mmも作り、ヘクトールは73mmのみだったと、後にエルマー135mmに何らかの問題か不満があったのか、これをヘクトール型にした時に張り合わせを1箇所だけにすることに成功し(135mm)、同じレンズ構成のタンバール(90mm)も着想というこういう流れが想像できます。ここからわかるのはベレクの考えの中でエルマーがメインに据えられ、コストに関係なく明るさやその他の要素を追求することのできたレンズにヘクトールを投入するという棲み分けがなされていた可能性です。エルマーで28mmを作りたかったが叶わず35mmとし、メインの中望遠(f4)と望遠(f4.5)にエルマーを配しています。一方でヘクトールは当時、家ぐらい高価だったという73mm(f1.9)を作り、エルマーで無理だった28mm(f6.3)、そして変更が必要だった135mm(f4.5)で作っています。こうしてみると、ヘクトールは一段上のハイグレードシリーズだったかもしれないということがわかります。
エルマーというのはエルンスト・ライツ2世とマックス・ベレクの頭を取った合成語でライツ社のメインに据えられたレンズという感じがしますが、ヘクトールはベレクの飼っていた犬の名前です。社長と設計師の合成語よりも犬の方が上というところに、当時のライツ社の自由で楽しい社風が感じられます。
ヘクトール28mm光学設計図
ヘクトールの名を冠したレンズは全部で5種類あり、28,50,73,125,135mm、内125mmはビゾフレックス用でベレク以後に作られたものですが、レンズ構成は135mmと同じです。タンバール90mmも135mmと同じですので、ヘクトール系のレンズは全部で6本ということになります。レンズ構成は焦点距離によって違い、まず50mmから作られましたので、ここから見ると、テッサーからの発展型という前提で推測すると、すべての群に張り合わせがあり、これは微調整のためですから基本的にトリプレット(3群3枚,張り合わせ無し)であって、テッサーは後群の張り合わせで調整しましたが、それをすべての群に拡大し、そうしますと異種硝子の張り合わせが発生しますからより複雑化して、その組み合わせの中からより明るいf2.5という回答を導き出したのだと思います。ポートレート用にはもう少し明るいもの、焦点距離の長いものの方が好ましいので73mm f1.9を同じ構成で作ったようです。そこから他のバリエーションとして2種類あるということになります。