光学ガラスは様々な波長の違う色を集約させる必要があることから、屈折率と色分散率(アッベ数)が異なるガラスを組み合わせ、様々な構成を可能にするため多くの種類のガラスが作られてきました。200種ほどあるようで、その概要は下の図のような分布になります。
縦軸は光の屈折率で1.4~2.1ぐらいまで、横軸は10~90ぐらいの範囲で色分散率を示しています。数字が大きくなるに従って、屈折は大きくなり、色分散は小さくなります。ガラスは光を屈折させるために使うので屈折率は大きければガラスの曲率も小さくできますから、設計でガラスの厚みをあまり必要とすることはなくなり製造も容易になりますが、その一方屈折率が高いガラスは色分散が強くなります。逆もしかりです。製造可能な範囲を示したものが上掲の図です。ガラスの組み合わせによって総合的な性能を測りますから、様々な値のガラスが必要とされています。
光学ガラスは主にクラウン(K)、フリント(F)の2種類に分類されます。KFはクラウンフリントです。ライカレンズの設計師マックス・ベレクの分類では、この3つにさらに軽フリントと重クラウンを加えて5種としています。クラウンガラスは色分散が少ないですが屈折率は低く、フリントガラスはバカラグラスにも使われ高屈折率という特徴があります。上の図ではアッベ数50あたりでほぼ左右に別れていることがわかります。各メーカーが詳細なガラスのデータを公開しています。
独ショット Schott社ガラスカタログ
レンズに使うガラスは均質性が求められますが、この条件はなかなか達成することができず、高精度の安定性が必要な場合、長らく水晶が使われていました。1800年頃にスイスのギナン Guinandという人物が溶解したガラスを撹拌することによって脈理を除くことができることを発見したものの、彼自身がその発見の価値を認識できなかったことによってしばらく利用されていませんでした。しかし1805年ミュンヘン近郊ベネディクトボイレン Benediktbeuernにある光学会社に招かれた時に、ついに光学分野で使用可能なガラスを生産するに至りました。彼の弟子フラウンホーファー Fraunhoferはギナンがスイスに戻った後もガラスの生産を続けました。一方、ギナンはスイスに建設した工場がうまくいかず、パリに工場を移します。この工場は後にパラ・マントワ Parra-Mantois社になります。19世紀のガラスの発展はパラ・マントワ社と英国のチャンス・ブラザース Chance Brothers社によって革新されます。限界もあったので、1890年にドイツ・イエナのショットがアッベやツァイスと共同でガラスの種類を増やし光学の可能性を飛躍的に高めました。これらは「新ガラス」と呼ばれています。(その境目は上記ガラスマップの屈折率1.55から延びているラインで分けられます。その上側が新ガラスです。) さらに1939年にはアメリカのモレーによってランタン、トリウム、タンタルなどの新しいレアアースが使われたガラスによってさらに可能性が広げられました。(ガラスマップの屈折率1.65ラインより上。)
これらの内、英国・フランスの名門ガラス会社は現在も存続していますが、写真レンズのガラス用への供給は停止している模様です。英チャンス・ブラザーズ社は1848年以降生産してきましたが、花瓶や食器などの方が有名で英国ガラス独特の風合いを以てコレクターズアイテムとされています。パリのパラ・マントワ社(現SOVIREL)の生産は1827年以降です。米国の老舗でエジソンが電球の試作に使うためのガラス部分を供給したとされるコーニング Corning社は現在でもフランスに研究施設を持っているようで、最近は液晶のゴリラガラスを開発したことでライカユーザーに知られていますが、このコーニング・フランスから供給されていたガラスのリストも見つかっています。これはパラ・マントワの業務を引き継いだものかもしれませんがはっきりわかりません。ガラスの型番の表記は同じですので、おそらく同じものでしょう。
英チャンス・ピルキントン Chance Pilkington社ガラスリスト
仏コーニング Corning社ガラスリスト
1920年以前のガラスのデータは仏パラ・マントワと独ショットのものがあります。ショットのものは新ガラスのみのリストです。
仏パラ・マントワ Parra-Mantois社ガラスリスト
独ショット Schott社ガラスリスト