レンズの透過率を高めたり、表面の腐食を防ぐ意味で、ガラスにコーティングをするのは常識になっています。40年代にカラーフィルムが出てきた頃にコーティングも必要になり、やがて多層(マルチ)コーティングも発明されました。光の色による波長の違いに対応するためでした。モノクロでも色収差を無くすことは必要だったので、様々な分散率のガラスを組み合わせていました。2枚のガラスを貼り合わせていました。これを「色消し」と言っていました。光は3原色を混合すると白になるからです。そこへさらにコーティングでも補正しようということでした。
ガラスは1枚使うと必ず面が2箇所発生します。写真レンズは最低でも2面以上の面が生じます。必ず最低1枚のガラスは使うからです(例外はピンホールレンズです)。この面とは空気からガラスへ、ガラスから空気へと至る境目を指します。ここで光がロスするとされており、その量は4%です。収差補正が可能な最低の構成枚数とされている3枚玉トリプレットであれば、6面の通過があり、各々で4%消費します。計算しますと通過後の光の量は78.28%となります。凄い消費量です。絞りで言うと半絞りぐらい違ってきます。光学設計で半絞り稼ごうと思えばたいへんです。写真にとって光とは大切な情報です。それを大幅に捨てているとあっては見過ごすことはできません。
1905年の古いゲルツ Goerzの広告です。ドイツ人はコーティング実用化以前に透過率99%を達成していたのでしょうか。単玉でも99%は有り得ないのですが・・・。この時代は過大表示が使われ、購入者がわからなければ何を言っても問題ないという考えが大企業にもあったようです。この同じ理由で古いレンズのf値をすぐに信用することはできません。実際、消費者は透過率を気にする事はないと思いますが、クリアに写るかどうかは気にしますので結局そういうことを言いたかったのだと思います。しかし100%と言い切らなかったのは、堅実なドイツ人らしいと思います。
光を大幅に失うのは避けねばならない、しかしそれは光学理論であって、人間の感性はそれよりはるかに複雑です。無駄がないことよりも贅沢に垂れ流している方が魅力あるというものが結構あります。燃費が悪いのは分かっている、生活する市街走行に適さないことは分かっていてもフェラーリに乗りたい人はいます。真空管は電力を無駄に放出し、冬場ともなれば暖房は不要というぐらい熱いものさえありますが、これを好む人も多くいます。無駄もある程度必要? 写真レンズの黎明期から関わってきたドレスデンの人々にとって、ノンコートレンズの呪縛から逃れるのは難しかったようです。彼らが開発した「Vコーティング」はまるでコートしていないような味付けながらフレアは抑えているという凄いものです。引くことによってしか得られない渋味を味わう最後の技術者集団だったのかもしれません。
ドイツのツァイス(Tコーティング)、英国、米国のレンズではよりコントラストを高めていく努力がなされました。現代でもツァイスのレンズは艶やかなコントラストを保っています。これに対してハッセルブラッドでは、ツァイスからレンズの供給を受けているにも関わらずツァイスの発色ではありません。パステル調です。ハッセル独自のコーティングを使っているためでしょう。長らく広告写真に使われてきたカメラですが、その発色は結婚式専用とも思える程です。富士フィルム(フジノン)やアグファのコーティングは、さすがフィルムメーカーだと思える素晴らしい発色と描写です。しかしコーティングは透過率を上げるためのもので基本的には何かを加えるものではありません。そこでハッセルブラッドのレンズを改めて観察しますと、コーティングがない古いタイプのレンズもあります。それでもパステル調です。色収差を反転させています。その上でコーティングを施し、濃厚なパステルを出しているものと思います。
さて、復刻したレンズにコーティングを施すかどうか、これはケースバイケースです。カラーとコーティングが出てきたので光学設計を変えたメーカーは多数あります。ですから、時代背景を考えての判断となりそうです。しかしデジタルの性能の向上で描写が硬くなってきて、特にマルチコーティングに疑問を抱く人が増えてきています。アルゴリズムがレンズの特徴までも引き出そうという中で、ナチュラルさの欠けるコートで階調が潰れることに気がつくようになってきています。ですから極力コーティングは避けたいところです。シグマがFF Classic Primeというシネレンズセットでノンコートのものを出しました。ですが、これは完全にコートを排除しているわけではありません。前面と後面には施しているようです。しかしほとんどの面にコートを入れていないということです。数百万もするものでアマチュア用ではありません。クライアントに納品するプロの仕事でそれぐらいコートが不要になってきています。ノンコートはまずフレアが気になります。そういうシーン中心で撮影した動画が掲載されています。一度、ノンコートを体験すると戻れないのではないでしょうか。こういう方向性は今後も出てくるのかもしれません。