かつてBeierという会社があり、同社が1936年に販売したPrecisaという中判カメラがあります。6x4.5判でした。このカメラについてはどうでもいいのですが、これについているローデンシュトック トリナーが75mmと比較的短い焦点距離のトリプレットで前玉回転の目測型なのは見逃せません。トリナー以外にはシュナイダー Schneiderのクセナー Xenar 75mm f2.9も採用されていたようですが、おそらくこれもトリプレットでしょう。その後、大戦に入る時期にトリナーがTrinar Anastigmatへ改良されたものを本稿で見ていきたいと思います。
仕様から察するところは、このカメラにトリプレットが採用されたのはコストダウンだったと思います。戦前は高級なトリプレットというものもあり、そもそも発明された当初は高級品だったのですが、こういうレンズは描写も非常にシャープです。これがおもしろいかは個別に見てみないとわかりませんが、それでも安価なものの方が味があるのは確かです。戦前にはコストダウンと言っても後代のように徹底しておらず、またカメラというもの自体が高級品だったことで、かなりの水準は維持していますから、匙加減としてはちょうど良いことがあるのです。
ローデンシュトックは戦後のものが素晴らしく、ガウス型のヘリゴンの描写をみればそれは忽ち明らかですが、戦前はどうでしょうか。それにトリプレットのようなユルいものを作らせるとどうなるのかも興味が尽きないところです。良い意味で驚かされるのを期待しつつ、ローデンシュトック Rodenstock トリナー Trinar Anastigmat 75mm f2.9を見ていきたいと思います。
これをライカビゾに付けるのは簡単で特別なものは何も要りません。カメラから外したらそれをM-Lリングに付け替えるだけです。しかしライカビゾを使って撮影するのは面倒です。だからというわけではありませんが、特にどこかに撮影に行くというわけでもなく、とりあえずうちの近所を試し撮りしたものを数点見ることにします。これは新街口の日常風景です。日陰の位置からの撮影でしたが、それでもフレア気味です。
護国寺の小吃街に行き、小さい店を撮影します。熱で炙って加工した鶏肉を販売する店でこういうものを「烤鸭」と言ってこれが「北京ダック」と翻訳されています。一般家庭の食卓にも上り、こういう専門店で購入できます。この店はいつも人が並んでいます。本レンズは構造上フードが付けられず、このように明るいところに出るのは躊躇われますが、やはりフレアは強くなっています。
天気に関係なく水が滴り出る不思議な雨樋です。レンズの描写が柔らかく絵画的なのでこういうものもそれなりに表現するのかと思って確認しました。このトーンを見るとこれはカラーで持ち味を発揮するレンズではないと思います。
こういうガラスはすごく珍しくなり、今でも発注可能かわかりません。中国では手工品よりもコンピューター制御で製造されたものの方が価値があり、味わいのあるものがどんどん減っています。このガラスのデザインもコンピューターで作ったものだったのかわかりませんが、いずれにしても製品が画一化されていく流れは止めようがありません。この店もずっと閉まったままなのでこれも破壊されていくのだろうと思います。
このレンズの特徴を表現するのは難しいですが、敢て言うならいかにも中判向けという感じがします。中判を使うというのは、どこかの風景を撮ったり、集合写真や、人物個人撮影などが主な用途になり、スナップでそこら中をどんどん撮るとか、何度も撮り直す必要がある状況で動物を撮るという使い方はされません。1枚1枚慎重に撮影されます。そのため撮影対象もある程度限定されてくるように思うのです。フィルムがもっと高価だった時代のものですし、一本の撮影可能枚数も多くはありません。この用途を考えると中判には絵筆の代りを期待されていたという見方が妥当で、まさにそういう狙いの写りという感じがします。そのため強いトーンが出ないように、モノクロで撮影した時に美しいグラティーションを味わえるようになっているのだろうと思います。
強い光源のある環境では、どうしてもフレアが出る傾向が気になりますが、夜でもこれぐらいの光を暗いところから撮影してもこれぐらいは影響があります。しかしモノクロであれば結構いい雰囲気になる筈です。
近いものであれば、どちらかというと明晰になりますが、それでも線が太い感じがあります。撮ったものがそういうものだったのかもしれませんが、輪郭が重々しいように思います。やはり、絵画風ということを意識しないわけにはいきません。
とんかつ屋に行きますので、ショッピングセンターに入ります。すべてがキラキラして見えます。遠景は絞って撮影しなければソフトフォーカスになってしまいます。
ワイン専門店の表示です。カラーでの撮影であれば、このような滲みはあまり美しいと感じられません。何を撮ってもモノクロ用だということを強く意識させます。
ワインボトルやグラスがディスプレイされています。これがより明瞭に写ったとすればカラーでも十分に評価できたと思いますが、モノクロであれば、これぐらいがちょうど良いかもしれません。トーンの繊細さが味わい深さを引き出しそうです。
ボケのナチュラルさと主題の引き立ち方のバランスが秀逸です。対称が浮いたような表現と背景の幾分硬質に締まった感じの匙加減がちょうどよい気がします。
座って上を向くと和風の灯があります。これも近いものなので線の太さが感じられます。もしこれが遠くなると太くなり過ぎてボケるのだろうと思います。収差がいかに多いかがわかります。
暗過ぎてわかりにくい画になってしまいました。中央に人物が2人いて、肉眼での確認ではもう少しはっきり写るだろうと期待したのですが無理でした。人物に焦点が合っており、背景は焦点外ですが、描写が硬質のため、何が写っているのかはっきり見て取ることができます。
このレンズから後代のものに感じられるローデンシュトックの個性は感じられにくいように思います。或いはモノクロで撮影すれば何かが見えてくるのか、この点は別項に譲りたいと思います。これはモノクロで絵画的な表現が必要な時にのみ使うものと認識した方が良さそうです。とりあえずカラーではこういう表現になるということで確認するに留め、以降はモノクロフィルム用としたいと思います。