適切な光学設計、ガラスの組み合わせ方を探すという作業は、結局のところ、凹凸のレンズを並べるだけですから簡単なようで意外とそうではなかったようです。現代ではいろんな形が出尽くした感があるので全く新しいものが出てくるということはないかもしれませんし必要性もないと思いますが、昔は今のような状況ではなかったのでそういうわけにはいかず、設計自体が計算機がなかったのでたいへんだったということと、そもそも光学設計をするということ自体が現代以上にたいへん困難だったので携わる人数が少なく、このことが必要とされていた新しい発明への大きな障壁になっていたのだろうと思います。それでも19世紀から20世紀の初めにかけて画期的な発明が幾つも行われ、それらは現代光学の基礎になり、また応用して現在でも利用されています。この点でクック Cooke社とテイラー、テイラー・ボブソン Taylor,Taylor-Hobson社による歩みは後代に計り知れない程の大きな影響をもたらしました。
クック社は光学会社ですが、撮影用レンズは製造しなかったようです。しかしお抱え設計師は割と自由に活動していたようで、その内の一人、デニス・テイラー Harold Dennis Taylorは彼の会社が製造しない撮影用レンズを設計し、しかも自力で製造会社を探して量産にこぎ着けようと努力しました。こういうアルバイトをやっても良い会社というのは昔でも珍しいと思います。そしてテイラー、テイラー・ボブソン社を探し当て、ここに製造を委託することにしました。この長い社名は意味がわかりやすいように意訳すると「テイラー兄弟とボブソン氏」という意味で、3名で経営されていた光学会社であり、デニス・テイラーと同じ姓というのは偶然です。略してTTHと表記されます。TTHは製造を引き受けましたがデニスがクックに所属している身であることからブランド名に「Cooke」を使いたいと考え、これも了承されましたので、CookeとTaylor,Taylor-Hobsonの2つは両方打刻されていることが一般的です。クックの撮影レンズというとすべてTTHの製造ということになります。そして後にこの2社は合併しましたので、それ以降はCooke社の製造ということになります。現代でも製造しています。
クック社はすいぶん自由な会社ですが、所属していたH.W.リー Horace William Leeもかなり自由にやらせてもらっていたようで、米コダックの設計師だったキングスレーク Rudolf Kingslakeは著作の中で、リーは設計後に試作を繰り返して描写を追い込むコスト高で不効率なやり方を許されていた環境がうらやましいと言っています。リーはオピック Opic型を完成させ、これは後にダブルガウス DoubleGauss型と命名されて現代でも最も有力なレンズ構成です。
クック社は、利益にならなくても「好きなように発明」して良い類い希な会社でしたが、学会で「好きなように発表」しても良い会社でもあったようで、ここから発信された情報も類い希なものでした。トリプレットの設計は方法まで公開されました。(英特許 GB22607、米特許 US568052) クックは所属する設計師に自由と資金を提供し、そしてその発明を形にしたTTHの2つの会社がなければ、おそらく現代の光学は現代のような形でなかったかもしれません。ライカを始めとした後代の光学会社のレンズ構成ラインナップを見るとクックによるトリプレット(テッサー型へ発展?)とオピック(ダブルガウス型)の開発がなければ、20世紀の光学の歴史は全く違ったものだったのではないかと思えます。この偉大な開発陣が構成していたレンズラインナップはどのようなものだったのか、ここで整理し、光学界に激震をもたらした発想がどんな環境で生み出されたのか、その一端に触れてみようということで確認していきたいと思います。
クックはシリーズ Seriesという番号表記で自社のレンズを分類していました。番号はギリシャ数字が使われていました。上から0~16に相当します。これらの分類は使用目的、使われるカメラとは無関係で、品質や特徴を示す分類だったようです。アナスチグマット Anastigmatとは、ザイデル Philipp Ludwig von Seidelの5収差、つまり球面収差、コマ収差、非点収差、湾曲、歪曲が補正されたレンズのことです。アポクロマート Apochromatとは三色補正が行われていることを示しています。色はそれぞれ波長が違うのでそれらを成像面(フィルムやセンサー)で一致させるために光の3原色を使って補正しています。
これらが、後に現代光学に至ることになる偉大な発明を行った"研究室"の分類でした。今時作られている光学レンズはアナスチグマットであるのは当たり前ですが、収差補正がたいへんだった時代にザイデルの5収差が補正できるトリプレットが発明されたのは画期的なことでした ("3枚玉" は何の為にあるのだろうか参照)。クックのリストの中でこのトリプレットが高級品として扱われているのがわかります。しかも高度な補正が可能なものとして広角レンズにさえ使われ、これは現代でも十分に優秀と見なせる程の驚くべき性能だとされています。後にライツがトリプレット・エルマーで示した考え方と共通していることがわかります。
安価版としてはレンズが1枚多いダイアーリト Dialyte型を採用し、その一方で、ドイツのテッサー Tessarに対抗するために投入されたものも、やはり1枚多いスピーディック Speedic型でした。スピーディック型はアストロ・ベルリン AstroBerlinのパン・タッカー PanTacharへと継承されました。
オピック型は後にダブルガウス型と呼ばれるようになって最も重要なレンズ構成の1つになりましたが、コーティングがなかった初期の頃は重要性がそれほど高くなかったことがわかります。しかしやがてシリーズ0を経てIIへと格上げされてゆき、トリプレットを押しのけたスピード・パンクロ Speed Panchroの時代になってオピック型の優位性が確立されました。
スピード・パンクロのレンズ構成図
スピード・パンクロはオピック型の改良ですが、参考のためにオピック型のレンズ構成図も比較してみます。(英特許 GB157040)
オピックのレンズ構成図
スピード・パンクロは、映画撮影用のレンズですのでフィルムフォーマットが小さなものになります。そのため、エレメントの厚みを増しても問題なく、さらに高度な補正を掛けるために後群に1枚追加しています。これがスピード・パンクロの大きな特徴です。こうすることによって得られる効果は、色彩がパステル調になっても濃厚な色彩が得られることです。この方法論は、スピーディック型と共にベルリンの光学会社にもたらされ、一時期ベルリンに本社を置いていたシュナイダー社のレンズが重くなっても厚みを増してゆく傾向となって受け継がれたようです。現代ライカの高級レンズも非常に厚みのあるガラスを採用しており、設計を委託されているのはシュナイダー社で、やはり濃厚なパステル調の画を得ています。クック社も今なお現存しており、しかもスピード・パンクロは現代でも作られています。テレビ局などの高度なプロ使用に応えるためで、一方スチール撮影ではライカと、その最高級レンズに今でも活き続けている設計思想です。
最後にTTHのシリアルナンバーをリストします。
年 | シリアルナンバー |
---|---|
1895 | 100 |
1900 | 5,000 |
1914 | 19,500 |
1918 | 71,000 |
1926-27 | 117,xxx |
1939 | 250,000 |
1944 | 303,xxx |
1947 | 300,xxx |
1965 | 688,03x |