無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業




ボケ玉の使い方

収差の多い玉の使い方 - 2023.07.30

 これが全く使えない、よくわからないという人が多いです。苦情?が多いので使い方を解説することに致しました。

ゴッホの肖像画1
 ボケ玉は大まかに2種類あります。大口径とキノ(映画用)です。大口径は極力明るくするために無理をして性能が劣っているものです。ものすごく人気があって高価ですが、これは繰り返しますが性能が劣っています。良くないものが多いです。評価されているものは多くはありません。ボケ玉使いの多くはキノを好みます。扱いは難しいです。まずは普通のスチール用レンズから扱えるようにならねばなりません。

 一般市民の”常識ある”購買姿勢は、カメラを買う、純正のズームレンズを同時に買う、というものです。まずこの行動が「常識に欠けている」という認識が必要です。そもそも何でズームなのでしょう。1本で多くの焦点距離をカバーできるからです。必要性は御座いますか? わからないが、あらかじめ何でも撮影できるように備える意味では価値があると考えられています。一番多い購買理由は、子供を撮るというものです。ですがその場合、ズームよりも50~75mmぐらいの単焦点が1本あった方が良いです。長すぎると引きがない、だけど中望遠の方が描写は良いです。必ずしも肖像写真ではないので基本的には50mmが無難なのでしょう。良い写真を撮りたいからカメラなのですから、味がない、あるいは味がおかしいズームを使っていては意味がありません。メーカーが提供している暗い単焦点レンズは、安価だからカタログに載せている面もありますが、大抵はこのタイプが最も描写が良い傾向です。描写を追求しないと意味がない、広角も望遠も使うかもしれないからズームというのであれば携帯でも十分です。結果にコミットせねばならない、結果から逆算して何が必要か考えなければなりません。

ゴッホの肖像画2
 単焦点レンズは画角が固定です。撮影できる枠が決まっています。あらゆる対象をその固定された枠で撮影します。ですから、対象を見て何を撮影するかを漠然と決めてからファインダーを見るのでは撮影できません。写真なんてものはボタンを押せば撮れるにも関わらず、撮影が異常に遅い人がいるのはそのためです。まず、枠を覚えねばなりません。そしてその枠で世界のあらゆるものを見なければなりません。そうでないと構図が決まりません。肉眼ではどんな見方もできますが、そこを枠で全てを捉えなければなりません。ファインダーを覗いてからでは無理です。もう区切られているのだから。全体を見て、どこを四角で区切るかという作業をファインダー内でやるのは無理です。ファインダーの外が見えないから構図が決まりません。原則はズームでも同じでなければなりませんが難しくなります。そのため、ズームで枠を動かします。誤った撮影姿勢です。こんなやり方ではまともなものが撮れない、視野が狭い状態で構図を決めるからです。まず、この概念をしっかり理解せねばなりません。

 枠が固定、その前提で構図を決めるということは、そこで距離が決まるということです。正しい撮影ポジションが決まるということです。枠の概念がない場合、間違ったところに起立しファインダーを覗いていることも多々あり得ます。これでは撮れません。正しい位置に立ってから撮影せねばなりません。

ゴッホの肖像画3
 枠の中で何がフォーカスされているか、どの程度か、あるいは全てを被写界深度内に収めるのかも決まっている必要があります。漠然とした中遠景のような場所で、絞り開放で撮影すると無理やり何かにフォーカスされ、他はボケます。フォーカスされたものがその枠内で重要なものではない場合、非常におかしな写真、特撮のような写真になります。絞り開放固定で行くなら、明確なターゲットを常に得る必要があります。風景のように、特定の素材にフォーカスするのではない場合は絞る必要があります。絞りの効果も撮影距離によって変わってくることを理解しておかねばなりません。

 これらはファインダーを覗く前に決まっている必要があります。そのためライカはあのような構造になっています。枠さえ見えれば良し、クリアに見えれば良しという、後は距離が合えば良い、それだけを満たしたファインダーを搭載しています。ファインダーを覗いてから絞りの効果はどうとか、その方が具体性を以て比較できそうですが、そんなではまともな仕事はできません。これが写真の撮り方です。学ぶものではありません。結果から逆算したら自然にわかることだからです。

 携帯で撮影する時にめんどくさいのでズームは使用しないと思いますが、これで練習すると絞りは考えなくて良いのでその分楽です。ですが、不満が出るのはそこなのです。携帯のカメラを嫌がる人は大体ここに不満を抱いています。広角で撮影する傾向のある人が不満を抱きにくいのもそのためです。この問題の克服のため、今の携帯はレンズを3つも付けています。

ゴッホの肖像画4
 キノを使用し、収差が不自然に目立つ乱れた画を撮るのはテスト撮影ではありますが、作品としてそれで良しと考えるのは、考え方が偏っています。変わった収差が出るから面白いというのはあるのかもしれませんが、レンズの設計者にはそういう意図はありませんので、本来の使い方とは異なっています。無収差であれば、どのようなセッティングで撮影しても変わりませんが、キノは間違うと乱れます。その誤りとはそもそも写真を撮影する方法を知らないということです。キノに対して特有の理解が必要というよりも、基本的な写真の撮り方がわかっていないと乱れます。撮り方をわかっている人がキノを設計し、それを前提に計算されているからです。あり得ない使い方でもスチール用なら大体普通に撮れますが、かといって良しではありません。そこをキノははっきりさせるだけで、それは程度の差に過ぎません。

 ということは、写真が撮れているかテストするのにキノは有用です。キノを乗りこなせなければ、何かが間違っているということです。上述の写真の撮り方、この基本が愚直にできていれば普通に使えます。スピード・パンクロのようにメチャクチャに使っても大体大丈夫なキノもありますが、こういうものはキノの収差がはっきり出ないとよくわからないという人には理解できません。そもそも何ではっきり出す必要があるのかという問題もありますが、キノの品格ある画がわからないのであれば、理解は難しそうです。そういうものが理解できないという場合、とにかく普通が一番ということを徹底せねばなりません。人間は何らかのコンプレックスがあると普通のことができなくなります。やるべき手順に忠実に撮影できない、自分の固定観念を変えられないということは、精神面に問題があります。

ゴッホの肖像画5
 で、キノで普通に撮影? モネとかマネとかパリの印象派の作品を見て「ボケてるな」と思う人は現代ではいないようですが、19世紀では「未完成作品」として画壇の主流から追放されていました。ゴッホはグルグルボケが出ていますか? ボケぐらいでは足らないようで結構渦巻きやうねりを描かれますね。放射ボケも描きます。我々の言ういわゆる歪曲湾曲球面収差なんでも使います。注目するから見つかりますが普通に眺めていては意識することはありません。こんなのが普通なのでしょうか? 史上最も人気がある画家なのではないでしょうか。スタンダードなのです。美の極地なのです。美を極めたらキノに達するのは自然なのです。普通なのです。キノが使えない? 普通の人間ではないのです。いや、逆だろうと言われそうですが、どうでもいいのです、こういう過程を辿って美が確立されているということを知っている必要があります。ゴッホがわからないとキノもわからないでしょう。

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