無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業




「50mm f1.9」という規格は中途半端なのか

光学設計に "座りの良さ" のようなものはあるのか - 2012.11.23


 商標権が取得されている名称は使用できませんので引用元の「**DE401630**Dr.Rudolph-Pat.」ような形で表記することに致しました。ご迷惑をお掛けします。 - 2025.3.17

 レンズの明るさをどの基準で視るかは焦点距離により変わりますが、50mmであればf2になるというのは20世紀の始め頃には既に常識でした。ハリウッドの映画関係者が使いたいレンズは市販されていなかったため特注となりますが、オーダーの条件で口径f値については2とするのは誰もが共通していました。当時の電灯は騒音が大きかったのでセリフを収音するためにライトを減らす必要があり明るい玉が求められていたことから、f2に達する玉が必要となったのですが、しかしそれ以上明るい玉は不要であるという見解はハリウッドの中で共通していました。技術は自然界の摂理に基づいていますので、それを超えて技術で克服することには無理が生じ、高品質な作品を制作するためには不適当との判断でした。明る過ぎることは、被写界深度が薄くなることも嫌った可能性があります。重量や大きさも負担になります。

Leitz ライツ Elmarit エルマリート 90mm f2.8 清代の天文機器1
 このように開放f値の決定には理由があります。建築を撮影するという条件においては、仮に50mmで撮影するにしてもf2は使わないので不要となります。絞れば良いのですが、それなら描写が硬くなるだけで味がありません。そのため開放f値が5.6とかそれぐらいのものの方が良い作品が撮れるということになります。開放はレンズの味が最大化するからです。大判レンズはいずれもこのようなスペックです。そのため絞りなるものは調整に過ぎないのであって、大は小を兼ねるというのは、レンズの味に関しては当てはまらないと言えます。ライカのエルマー90mmはf4でしたが、これをトレッキングに持っていても構いませんでした。しかしライツはマウント・エルマー105mm f6.3を出しました。あまりに拘り過ぎた構想は当時の人々に理解されなかったらしく販売実績は低迷しました。汎用の90mm f4で良いだろうと、山を降りても使えるでしょう?と、そういうことでした。いずれにしても開放f値は用途との関連と切り離せません。明るければその分、守備範囲が広いのは確かですが、用途が決まっているのであれば明るいものが必ずしも適切とは限らないということです。

 焦点距離50mmにおいて、最も理想的なのがf2であることは戦後も変わっておらず、ライカのズミクロンなどの傑作があります。スナップや肖像など様々な用途でベストな結果を出します。完全無欠という印象すらあります。しかし人間というものは誠に奇妙な生き物で、欠陥を愛するという。完全なものは何か物足りないとなりがちです。かといって飽きやすいものもいけません。究極的には飽きないものこそ最高です。そのために最適なf値はf2から少し行き過ぎた「1.9」なのかもしれません。50mm f1.9というレンズは結構作られていますが、かなり時代が進んでも作られているので、スペックとしてf2超えを達成したことを示すような意味はなく、単にf1.9がちょうど良いからそうなった、f2にように完全なものではないということを暗に示す意図もあったのかもしれません。

 f1.9よりも明るくすれば完全から離れてゆきます。味を求める意味でf1.8も選択肢としてはある筈で、フランスのアンジェニューが採用しています。もっと踏み込んでf1.5となるとかなり多く設計されています。f2の√2倍はf1.4ですが、そこまで口径を増すと明らかに無理が顕在化するものの、その手前で止揚することは可能という考え方です。ボケ玉となることを容認し、味が最大化したところがf1.5。対して性能面で最大化されたのがf2。その両方でバランスが取れたものがf1.9ということです。50mmレンズにおいて、この3つのf値は非常に重要です。

Leitz ライツ Elmarit エルマリート 90mm f2.8 清代の天文機器2
 マクロ・スウィター Macro-Switarは当初、50mm f1.8で作られ、後にf1.9に変えられました。ケルン社が改良で僅かに暗くしたというのは意味深長です。普通、改良したのであれば明るくするか維持するのが自然です。描写をさらに追い込んだところがf1.9だったのでしょう。Kino **DE401630**Dr.Rudolph-Pat.も特許が申請されている設計はf2ですが、実際にはf1.9あります。ハリウッドの要求があるのでf2に抑えたものと思われますが、設計において理想を求めると自然にf1.9になった可能性があります。

 f2とf1.4の中間はf1.7です。パウル・ルドルフがKino **DE401630**Dr.Rudolph-Pat.の特許を公開した中の2番目がf1.7でした。そして晩年に設計したRapid **US1833593**Dr.Rudolph-Pat.では、色収差をf1.2~1.7で活用し、球面収差はf1.7~2.8、この2種をf1.7を境に分けています。f1.7が基準になっています。ここにどんな重要な原則があるのかわかりませんが、ともかく偶然ではなさそうです。球面収差を使うソフト・フォーカスではf1.7という結論があった可能性があります。

 2つの限界があります。1つは設計上の限界、これはおそらくf1.0であるとか、それ以上は難しいという物理的限界です。もう1つは成熟性の限界です。この場合はf2.0です。こういうのはないと思いますがf2.1、これはf2.0とほとんど変わらない、f1.9とf1.8これも同様、それなのに、f2.0とf1.9はかなり違います。違う世界となります。レンズ構成によっては異なるf値が理想ということがあります。テッサーやトリプレットでは50mmであっても理想はおそらくf3.5ぐらいです。そこで用途によってレンズ構成を選ぶという概念が発生します。

 f1.9という中途半端な数値、このズレで着想されるのは暦です。一年は365日ですが、実際にはもう少し長いので閏年を設け、ある年は366日としてだいたい合わせています。完璧に合わないのでこれでも少しずつズレていきます。ズレている筈なのに、宇宙の運行は精密に制御され、秒単位でも狂いが生じる事はありません。一年は毎年確実に365日5時間48分46秒です。その運行は星同士の重力バランスが関係しており、わずかでもズレると全体の運行が崩壊してゆくので簡単にズレそうですが、観測史上、そういうズレを来したことはありません。もし一年が一秒短いか長いと全体の引力バランスが崩れ、太陽との間隔が狂ってゆくので地球は滅びます。f2ジャストではなくて、少し明るいというところで、ガラスのパワーバランスが整然と整えられるということなのでしょうか。円周率の3.14も同じで、この値を以て美しい真円が得られますが、完美なものは得てしてこういう部分はあるのかもしれません。

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