アール・デコ調の描写はジャポニズムにも通じるのか?
商標権が取得されている名称は使用できませんので引用元の「**DE401630**」ような形で表記することに致しました。ご迷惑をお掛けします。 - 2025.3.17
一世紀近く前に作られたレンズですが、これほど品の漂うレンズはなかなかありません。アール・デコ的描写を代表する名レンズです。特許に記載されているf2のデータを変えずにライカ50mm L39マウント 80cm近くまで距離計連動にて製造します(光学設計自体がそんなに寄れず70cmぐらいでボケてくる)。元データの口径に余裕があるので絞りをf1.9に広げています。キノ(映画)なので扱いやすい玉ではありません。マシュマロのように溶けゆく儚い描写。本物は個体差がありますが、本作は元の設計に完全に合わせていますので本来の**DE401630**を体感できます。
院落 P1 50mm f1.9 180,000円
院落 P1 50mm f1.9 清代燭台 f2.8にて ライカM9
ドイツにツァイス Zeissという光学会社があります。同社が長年に亘って成功を収めた要因は幾つもありますが、その一つは優秀な人材を抱えていたということでした。エルンスト・アッベ Ernst Abbe(「アッベ」はガラスの色分散を評価する単位)を後継したパウル・ルドルフ Paul Rudolphは現代に至るまで影響を及ぼした多くの研究を行い、世界の光学の質を向上させました。
彼はテッサー Tessar (独特許 DE142294)という名玉を開発しました。「鷹の目」の異名を持つほど優秀な設計でした。このレンズはf6.3でしたが、ツァイス社内でさらに明るく改良すべきという意見がありルドルフは反対していましたが、この案は実行されf4.5、f3.5と向上していきました。ルドルフはどうして反対したのでしょうか。口径を増すと優秀性が失われると考えたのかもしれません。事実、鋭い描写を持つ高性能というイメージは失われていきましたが、そのことによって味わい深いレンズが多数作られるようになり、土台となる基本設計が優秀ということもあって傑作の宝庫となりました。しかしそのこととテッサーがどうあるべきかということとはまた違うので、その観点から見るとルドルフがテッサーに対するコンセプトを理解して擁護しようとしていたことは注目に値します。もちろんテッサーを明るくすることができるのはわかっていたでしょうし商業的理由でも必要性があったと思われますので、これは企業としては確かに考えなくてはならないことだったかもしれませんが、ルドルフはそれよりももっと重要な概念とか理念のようなものを大切にしていたような気がします。それでもテッサーは明るくすべきでしたが。
ルドルフは、20世紀の初頭にはすでにある程度の年齢だったこともあるし、財産もあるので退職し引退生活を送っていましたが、第一次世界大戦(1914~18年)によるハイパー・インフレの影響で財産が紙くず同然となり、再び働かなければならなくなりました。まもなくツァイスに復職し、Kino **DE401630**というレンズを開発しました。これがツァイスから発売されることがなかった理由は諸説ありますが、ともかくルドルフはツァイスを出、ドレスデンのフーゴ・メイヤー Hügo Meyerという光学会社と契約し、そこから販売しました。
優秀と言ってもいろんな基準があります。ツァイスに関してはそれは性能面中心ですから、**DE401630**のような玉を製造販売するようなメーカーではありませんでした。そのような文化を作り上げた主要な人物がルドルフで、テッサーの大口径化にも反対していた程でした。ところが退職して戦争が終わって戻ってきたら**DE401630**、以前と変わってしまったルドルフをツァイスが受け入れられなかったのは止むを得ないと思います。映画用のレンズを作るにしてもいろんな考え方があり、ツァイスに近い考え方の英国系では収差がそれほど多くはない、同じ設計をスチールとキノ両方に供給していました。優秀でありながら味もあるという、そういうものが映画業界ハリウッドでも好評されていました。ツァイスも同じ方向性ですから、Kino **DE401630**のようなものを受け入れる事はなく、試作を経て即却下したと言われています。
ルドルフはツァイスを出ることになっても**DE401630**の製造に拘っていました。どうしてなのでしょうか。それは「儚さ」が撮れるからではないかと思います。写真は真実を撮るものです。光学的に何らかの問題があればボケたりします。基本的にはただそれだけです。真実を撮るものなのに、空想までもが写るというのは普通ありえないことです。もっとわかりやすく絵画的という言い方もされますが、絵画も実在感のあるものです。それですらない、現実を超越した描写が見える、そこに本作の価値があるように思います。特にアール・デコのイラスト・ポスターの影響が感じられ、決して不明瞭というわけではなく、むしろ明確な線を用いている程ですが、部分においてそれほど強いインパクトを与えるものではない、全体の印象で語るような、そんな独特の描写です。当時の欧州デザインは、日本の浮世絵などのジャポニズムの影響が少なくないとされますが、実際Kino **DE401630**での布の質感は素晴らしいものがあります。
このレンズはたいへんなボケ玉として知られていて、かつてテッサーのような優秀なレンズを作っていた人が設計したものとは思えないほどです。彼がそれぞれの光学設計に対してコンセプトを重視するということを考えれば、Kino **DE401630**に対しても明確な考えがあって、それは他の設計とは切り離して考えられていたとしても不思議はありません。これはドイツ語で「キノ」映画用ですから、基本的には動画撮影用です。しかし当時の広告を見ると「ライカにも使える」とあります。事実、ライカマウントでも販売されていました。
ブラックのアルマイトのみ製造します。ローレットはアヤメです。フィルター径は40.5mmです。
Kino **DE401630**は3種のパテントデータがあります (独特許 DE401630)。量産に採用されたのはおそらく3番目だけでしたが、収差の配置はそれぞれ似てはいても意図は異なっているので、この**DE401630**を以て"キノ(映画)"用レンズの結論を複数提示できるということを示したものと考えられます。
1番目はf2.5です。収差配置はライツ的です。色収差は多すぎる感がありますが、ニコラ・ペルシャイドよりは抑え気味です。少しソフトフォーカスです。かなり甘い写り、性能ではなく、描写が甘そうです。
2番目はf1.7と3種の中で一番明るいレンズです。貼り合わせは中央です。ソフトフォーカスレンズです。Weich Plasmat参照。
3番目のものは実際に製造販売されたものです。f値は2と指定されています。このデータが1922年12月で、0型ライカが1923年に数十台作られています。ライツのオスカー・バルナックはライカのプロトタイプ・ウルライカより前にハーフサイズカメラを試作しましたが、それにはキノ・テッサーが付けられていたとされていますので、これはルドルフが提供したのでしょう。そして一部には**DE401630**も付いていたと言われています。ライカを作るまでバルナックはツァイスに10年勤めていました。最初期にはライカはレンズの設計をルドルフに委ね、外注でメイヤーに委託するつもりだったのではないかと思います。しかしライツとしてはどちらも希望の描写ではなかったと思われます。この経緯でルドルフを見切ってべレクに託したのかもしれません。採用されなかったルドルフは、それでも量産されたKino **DE401630** f1.5をライカに供給しています。
3種類全て違いますが共通した哲学があるので、いずれも製造販売するつもりだったのではないかと想定されます。しかし間も無くソフト・フォーカスがハリウッドから求められなくなってきたことと、ハリウッドが敵国だったドイツから買い控えたため、f2もやめてf1.5をスチール向けにも販売していく戦略になったのではないかと思います。ライカも採用しませんでした。f2.5とf1.7は生産されていないと思いますので案だけで終わったのではないかと思います。
f2からf1.9にしてみます。絞りの口径とガラスの直径を少し大きくしただけです。全体が僅かに少し大きくなりますが特許データは曲率と間隔、ガラスの種類だけなのでオリジナルを変更するものではありません。しかし球面収差が多すぎるので+0.1mmまで引っ込めています。f2であれば手堅い写りになりそうですが、f1.9なので少し甘くなりそうです。
f1.8も見ておきます。球面収差が+1.0を超えてきていますがどうなのでしょうか。また像面の湾曲も結構増えてきます。無理があります。美しいと言えるのはf1.9までではないでしょうか。f1.8は限界なのでここから先は設計変更だっただろうということです。f1.5のことです。
f1.5というのも中途半端で、できればf1.4とf2から2倍の明るさにしたいところですが、これが難しくて結構50mmでf1.5というレンズは各社設計しています。ボケ玉が多いので人気があります。f1.4まで無理していないところの美というものがあります。一方、f2から少しフライングしたf1.9も魅力があり、かなり名玉が作られています。数学的には中途半端なのですがこれが結構良いのです。f2はきっちり真面目ですが、f1.9とすることで加えられた微妙な味が絶妙です。もしf1.9の**DE401630**があったら現代ではf1.5よりも人気があった可能性が高いでしょう。75mmではf1.9は作られていました。**DE401630**は近年まで人気のない玉でした。収差が盛大に出るので嫌う向きも少なくありませんでした。経済発展した中国で人気が高まり状況が一変しました。中国人はボケ玉を一定の距離を置いて冷静に評価するので、彼らが高く評価するボケ玉というのは珍しいものでした。どうして**DE401630**は評価されたのでしょうか。彼らはレンズに関しては丁寧に分析する傾向があるので、これがライカレンズの原点だったことに拘ったのではないかと思います。ベレクの設計書にはライカレンズの収差の決定について解説がありますが、それを説明するのにf2の**DE401630**について詳細に解説しています。おそらくベレクの師はルドルフだったのでしょう。こちらに本物のf2の作品が多数載せられています。
当時映画はほとんど業務用ですが、非常に裕福な人でアマチュアもいました。アマチュアが映像撮影にf2,f1.5のどちらを使っていたのかは個人の好みだったでしょうけれども、業務ではf2でした。ハリウッドではf2で良いものが求められていました。50mmレンズにおいてf2とf1.9は分岐点です。きっちりしたレンズはf2、絵画的な方向性ならf1.9が多くなります。そこでf1.9側に移るのであれば倍ぐらい(f1.5)は明るくしても良いという考え方も可能です。だけど50mmで一番バランスが良いのはf1.9です。或いは別の観点ではf2です。ズミクロンやスピード・パンクロはf2です。英クックは戦前から数ヶ月毎にガウスの新設計で特許をとるぐらいガウスの可能性を見出していましたが、明るい設計も結構あったにも関わらずパンクロは頑なにf2で通しています。ですから50mmにおいてf2を過ぎたすぐのところにある何かというのは不文律的に認識されていたように見えます。そのポイントがどこなのかというところで、プロ或いは業務用の高度な信頼性を確保するためにはf2は超えてはいけないという法則がかなり初期の頃から理解されていたのではないかということです。f2とそれより倍程明るいレンズの違いはズミクロンとズミルックスの違いに例えることができます。ズミクロンもf1.9にすると少しズミルックスのようになってしまうでしょう。それだったら倍ぐらいに明るくしても良いだろうということになります。しかしf2から少し広げただけのf1.9は名玉が多いです。無理のない理想的な口径です。ですから**DE401630**でもしf1.9が出ていたらf1.5より高評価だった可能性は低くはないと思います。英ダルメイヤーではセプタック(f1.5)よりスーパー・シックス(f1.9)の方が、仏アンジェニューではM1(f0.95)よりS5(f1.5)の方が良く、それよりS2(f1.8)の方がはっきり良いです。どこも50mm f1.9の黄金比から逃れられていません。ですから、このf2のデータをf1.9にしたいところです。一方、f1.5は戦前には凄いスペックだったので、この数値を出しただけでアマチュアには売れやすいし、高値も付けやすかったと思われます。
ネット時代ではYouTuberにならなくても撮影の必要性が多くなってきています。Zoom会議も多くなってきています。映像の質で売り上げが変わるので重視されています。しかし映画用のレンズとなると巨大なプロ用になってしまいます。
映像の場合はスチールと比較してヘリコイドのピッチが違います。写真用の倍ぐらい回転します。つまり微妙なピント合わせができる反面、遠いところから急激に合焦させるのは苦手です。写真はその逆です。中間を採ることにしました。3/4回転ぐらいで80cm近くまで寄れます。絞りもクリック無しです。動画はクリックがない方が良いためです。コーティングはなかった時代の設計なので無しで製造します。
映画用のレンズは今も昔も製造が少数です。Kino **DE401630**も製造数が少なく、そのためデータも少ないのですが、わかる範囲でリストします。
| Lunar Camera | f2.0 | 20-120mm |
| キノ | f2.0 | 0.875-5.0" |
| ライカ | f1.9 | 3"(75mm) |
| ライカ | f1.5 | 50 75mm |
| f1.5 | 0.375 0.75 0.875 1.0 1.375 1.625 2.0 3.0 3.5" | |
| 8mmキノ | f1.5 | 12.5 15 20 25 35 42 50mm |
最短撮影距離は80cmぐらいが限界です。推奨はできませんがさらに寄ることも可能です。具体的なデータを以下に示します。赤で示しているのが対照距離、その下の黄色で示しているのが無限を基準にした繰り出し量です。マクロ撮影の例もあります。
