無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

タンバールへのオマージュ
「花影」S1 60mm f2.2

小店での作例 お寄せ頂いた作品  2012.1.29

タンバールは対象を浮かび上がらせる魔法のレンズ

 中世の貴族は個人や家族の肖像を残す場合、画家を呼んで描いていました。やがて写真が発明されてからは庶民でも肖像を残すことができるようになりました。しかし機材はまだ高価だったので専門の写真館で撮影していました。このように肖像画のニーズが古くからあったので肖像用に開発されたレンズも写真の初期の頃からあって設計も既に成熟していました。それがハリウッドに応用され、そこからソフトフォーカスも有力な撮影テクニックとして確立されていました。それがまたスチールにも応用されていきました。その1つとして独エルンスト・ライツ Ernst Leitz社が90mm f2.2のソフト・フォーカスレンズ タンバール Thambarを1930年代にライカ・カメラ用に開発しました。戦前ですのでまだまだ高価で、当時日本の基準で家が一件買えるぐらいの価格水準ではありましたが、全生産数3000本余りはあったと言われています。

独ライツ社・タンバール
独ライツ社・タンバール

 ボケ方が独特だったため、後代にその設計思想を継承したレンズはほとんどありませんでした。(1980年のフォトキナで発表された高野栄一氏の設計によるタムロンSP70~150mm f2.8 SOFTは、ズームとソフト量の調節が出来るというすごいものですが、このレンズのソフト効果はタンバールと同じです。古いレンズを研究されたのかもしれません。高野氏はその後、キヨハラソフトというベス単のコピーも設計されました)。よく指摘されるのは、背景のチリチリがうるさいというものです。よく考えて後景を選ばないと見苦しい画になると言われています。多くのソフト・フォーカスのレンズは、対象から後ろへ奇麗にボケるように作っています。タンバールは逆に前に向かって奇麗にボケが出ます。

タンバールの設計図
タンバールの光学設計図

 タンバールで撮影した作品でおそらく最も有名なものは、1930年代に日本を代表する写真家・木村伊兵衛が沖縄へ旅行した時に撮影した「那覇の芸者」です。特徴としては対象が浮かび上がるということです。この効果が逆だった場合は、どちらかというと風景撮影用という感じになり、主題が背景に溶け込んで表現は平たくなります。肖像用やキノ(映画)は、どのレンズも同様の特徴です。

木村伊兵衛が撮影した「那覇の芸者」
木村伊兵衛「那覇の芸者」

 写真は19世紀においてはどれだけ明瞭に写っていたのか、今でも古い写真が残っていますので(オークションなどで購入すれば)比較できますが、明晰さという一点だけに関しても玉石混交という状態でした。ガラスを職人的感覚で磨いて幾何学計算はしない古くからの方法と、設計はきちんと行いそれに基づいて正確に製造すべきという方法があって、しだいに後者が優勢になって現代に至りましたが、その流れは高コントラストでシャープな写真が撮れるレンズを生み出しました。ボケを避けて隅々まではっきり写るレンズが優れているとされ、20世紀初期の無声映画にはこのようなレンズが使われていました。(この頃の風景撮影用のレンズで撮られたものは息を呑む程に美しいので、こういったものが評価されたのは十分に理解できます。)

 しかし1910年代からソフトスタイルが導入され、ソフトフォーカスは元はスチール写真の撮影技法でしたが、これを取り入れる形で映画でも人物のクローズアップを中心に使われるようになっていきました。照明やレンズに絹、紗など様々な素材を掛け、ドライアイスでスモークを張ったり、フィルムの現像で低コントラストに仕上げる、さらには市販され始めたソフトフィルターを買うなどあらゆる方法が試されました。そしてまもなく専用機材 ソフトフォーカス専用レンズを作って効果を得る方法を探るようになっていきました。

 専用レンズは、これまで映画撮影で行われてきたソフト効果を得るために考えられたあらゆる方法を凌ぐ特徴を備えていました。主像を明瞭に映し出せるというものです。専用レンズ以外の方法では画面全体がボケてしまうか、その問題を避けるにしてもスマートな方法ではありませんでしたが、ソフト専用レンズは、ヒロインを柔らかく包みこむけれど輪郭の繊細さも失わず、絞りを調整することによって被写界深度とボケ具合を変化させることができる、という利点がありました。人物と背景を奇麗に分離し人々の注意をスクリーンに美しく浮かび上がる表情に惹き付けるという目的がありました。これはソフト効果を利用するなら、専用レンズ以外では無理でした。

 ということは、すでに20世紀の初頭からキノ用の軟調があったということになります。しかし市場には出ていません。個人で特注だったようなことは言われているので生産数が極めて少ない、作ったのもハリウッド関係者だけだと思われますので、現代まで残っていなかったとしてもやむを得ないのでしょう。大判写真用では市販品はあったのですが、小型カメラではなく、そのためライツのマックス・ベレクが設計したタンバールは、歴史的に画期的なものだったと言えそうです。

 30年代にタンバールが発売されて以降、ソフトフォーカスの分野はほとんど省みられなくなりました。映画撮影ではいろんなものが進歩してソフト専用レンズが使われなくなっていき、スチール撮影用にはソフトだけに専用のレンズを買うのは経済的に大変だったという事情があったと思います。やがて安価な日本製品が出てきてからソフトレンズも復活しましたが、それらは人物撮影用として意識されたものではなく、どちらかというと風景用だと思います。ベス単など日本にはソフトというと風景を撮影する伝統があるのでそういう方向のものが作られていったのかもしれません。

花影S1 光学設計図
花影 S1の光学設計図

花影 S1 60mm f2.2 125,000円


 ソフト・フォーカスレンズの効果の出し方は、主に球面収差を利用します。これに色収差も足すことがあります。タンバールは、色収差はほとんど補正しています。おそらくこの頃にカラーフィルムが広まってきたからだと思います。球面収差のみ利用して効果を得ています。タンバールはプラス3に過剰補正を掛けています。おそらくその量は絞りを一段絞ったあたりで決めています。周辺の光の状態など環境でソフト量も変わるので、常にベストな位置はありませんが、一段絞った付近の前後で程よい効果が得られるように配慮しています。もしこれを開放で大きなソフト効果を得る方向で撮影する場合、非常に多くの収差を以て効果を得ているのですから焦点移動があります。下に掲載してありますのは球面収差図ですが、絞り開放の場合左図のようにずれます。このズレは撮影するものの距離を近づけるとより露になります。使うのは主にf2.8以下ですから0.75ぐらいの高度の部分になりますけれども、それでも一定量ずれています。これはどうしようもないので本物のタンバールもこの問題はあります。それで光学部全体を1mm前に出したのが中央の図で、f2.8付近でピントはしっかり合います。しかしf4以上絞り込んでいくとピントは合いません。ただタンバールの場合は90mmなのでもう少し穏やかです。光学部をさらに1mm前進させると右図になりあまり使わないであろう開放付近でピントが来ます。花影S1は図中央にしてあります。ですからピンが若干前になります。それでもライカの場合は距離計を信用して撮って欲しいと思います。そうでないと画全体にソフトがかからないからです。液晶で確認しながら撮る場合もそのあたりを参考にしていただいて匙加減を調整して下さい。こちらでも説明しています。
しかしこのピントが前に来るのが嫌だという人も少なからずいらっしゃいます。この問題はライカの距離計を使わない場合は関係ありません。どうしても左図に合わせたい場合を参照してください。

花影S1 球面収差図
花影 S1の球面収差図

 最初にソフト・フォーカスレンズが作られたのは大判用でしたが、英ダルメイヤー Dallmeyer社によるもので、1893年(Tripretが発明された同じ年) ダルメイヤーはベルグハイム Bergheimという写真家を顧問として彼の助言を受け入れる形で、1896年 世界初めてのソフトフォーカスレンズを作りました。このレンズはソフト効果を調節することが可能でした。すでにこの世界最初のもので、レンズの間隔を動かして効果を調整できるレンズを作っていたようです。ところが、この簡単で便利な機構を他のメーカーが採用したがらず、以降作られたものはソフト調整を省いたものでした。これはソフト効果の"品質"ゆえだと思います。収差配置が変化してしまうので、他社を上回る美しい効果を売りにしたいメーカーには容認し難かったのだろうと思います。この拘りはプロ機材だったからだと思います。時代が大きく下って、安価な日本製中心になった時には大部分の購入者が一般の消費者になったので、性能や汎用性重視になって調整機構が復活したのだろうと思います。

 古典の方法論ということで、タンバールについて触れておかなければならない別の重要な点は、特殊フィルターに関するものです。タンバールは絞ってゆくとソフト効果が減衰します。つまり主にレンズの外周部の収差を使って効果を得ていますが、そうであれば真ん中の性能の良い部分を隠せば、さらなる効果が期待できるということで、光が中央を透過しないようにするフィルターが付属しています。その分、入光が減りますのでf値を変更する必要があり、フィルターを使わない時と使う場合で2種類の目盛りが記載してあります。

タンバールに刻印された2種のf値
タンバールに刻印された2種のf値

 しかしこれは実際にはソフト効果を高めるというよりも背景のボケの騒がしさに対する対策と思われます。フィルターは使わなくてもソフト効果は十分だからです。一方フィルターを使った場合は、背景のボケの乱れがフィルター中央の形状を反映して、丸々と綺麗に整います。静止画撮影で背景が汚いと作品作りが難しくなるのでこれに対応したものと考えるのが自然です。大判写真ではこのような方法を使わず、球面収差は僅かにアンダーとし、色収差を混ぜていくことによって背景の乱れを回避しています(独特許 DE372059参照。この特許はタンバール販売開始より約10年前にすでに発表されていました)。べレクは同じ肖像用でヘクトールではアンダー、あるいはマイナス方向にしています。しかしソフトフォーカスとなると球面収差は大きくプラスになります。この時の背景の汚れの対策に苦労したと思われ、そのためにフィルターを付属したのかもしれません。ところが、このフィルターというのが曲者でボケが整うのはわかるのですが、いかにも恣意的でナチュラルさに欠けます。効果がチープです。木村伊兵衛はタンバールを多用して肖像写真を撮り、先程の作品もその1つですが、彼はこのフィルターが嫌いだったようで全く使用していませんでした。フィルターは多くの人がミラーレンズを嫌うのと似たような理由と言えばわかりやすいかもしれません。

 タンバールのレンズ構成は独特で、ベレクは従来の大判肖像写真の表現を避け、さらにペッツバール構成、RR型までも避けています。ペッツバールのオリジナル設計についてはベレク自身よく研究しており評価もしていますが、それでも少なくとも彼自身の設計は残っていないようです。この考え方はアストロ・ベルリンのビーリケによく似ています。ビーリケは見習い時代に申請した特許にペッツバールがあり、特許を取るぐらいなのでかなり可能性を研究していた筈ですが、ベルリン時代以降はこの構成に手をつけていません。ベレクと同様、トリプレットの派生型とガウスを重んじています。エルノスター ~ ゾナー型に対する扱いも似通っています。

木村伊兵衛が撮影した「那覇の市場」
木村伊兵衛「那覇の市場」
木村は那覇の市場を見て「映画のように撮りたかった」といってこの作品を撮影したと言われています。もし彼がライカのレンズを持っていなければ、こう思わなかったかもしれません。


 下図の緑で示している部分はフードですが取り外し可能です。特にデジタルではフードを外して撮影するのはお勧めできません。必ず必要と思います。径は40.5mmです。

花影S1 鏡胴設計図
花影 S1の鏡胴設計図

 鏡胴は金属を使いますが、使われるのは2種でジュラルミン(航空用アルミ)とブラス(真鍮)です。ブラスは重いので極力ジェラルミンで軽量化するのが一般的で、最近のライカは以下のようになっています。

近代ライカレンズの断面図
近代ライカレンズの断面図

 白い部分がジェラルミンで、黄色がブラスです。摩耗を避けたい強度が必要な部分にブラスを投入し、それ以外は極力ジェラルミンで構成しています。そうでないと重くなって疲れます。ライカはたたでさえ重いガラスを使ったりしているので尚更です。ロシア物は明らかに安いアルミを全面的に使っており、ヘリコイドにガタが来たりしますが、そのような事態は容認しがたいこのような高級レンズの場合は適材適所でブラスを投入します。材料代としてはブラスはジェラルミンの3倍です。ジェラルミンも決して安い材料ではないので、ブラスを多用するとコストがかかります。ライカレンズともなると結構ブラスを使っていることがわかります。

ズマレックス Summarex 85mm f1.5レンズの断面図
ズマレックス Summarex 85mm f1.5レンズの断面図

 次に戦前の1943年に発売されたライツ・ズマレックス Summarex 85mm f1.5の断面図です。先ほどの近代ライカレンズとは反対です。ほとんどブラスで埋め尽くされています。どうしてでしょうか。質の高いジェラルミンがなかったからかもしれません。ここに見えている白い金属はそもそもジェラルミンでなかった可能性もあります。この金属がブラスより高価だったのであれば、こういう構成になるのは理解できます。しかしこの頃のこういったレンズはコストを考えていないと思うので、何か別の理由があった可能性もあります。ともかく現代には現代の基準で組むのが相応しいですが、復刻となるとやはり外側全面ブラスとしたいところです。技術的な理由はありませんが、塗装が剥がれた時に裏地が露出する感じに高級感があるからです。肖像用なので、古くからある真鍮の大きな筒型のレンズをイメージさせるデザインにし、面取りも極力減らし、工場から出てきたそのままの武骨な感じで演出しました。

 コーティング有りのモデルは第3面のみコーティングしていません。タンバールもライツに戻してコートを入れてもらう特注を受け付けていましたがそうなっていますし、50年代ぐらいまでのレンズの多くがそうなっています。コートは多かれ少なかれ色を付けるので不自然なものです。理想は真っ黒か白のコートですが、そういうものはありません。白というとノーコートになりますし。コートは非常に進歩していて有用なものですが、異物には違いありません。ノンコートの素晴らしさも知っていた時代の設計師が一面抜きを多用していたのは示唆に富んでいると思います。コートは単層です。マルチは今後も使用しません。

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