古典的超広角レンズ・トポゴン
レンズを作るのに広い画角を得るのはとてもたいへんですから綿密な計算は必要不可欠ですが、最初にこのように計算されて作られたレンズに有名なペッツバール Petzvalがあります。ペッツバールというと肖像用レンズですが、この時にこの肖像用とは別にもう一つ風景用の広角も設計していました。これは現代の基準では広角ではありません。フルサイズに換算すると55mmぐらいになります。それぐらい広い画角を得るのは大変でした。
そう考えると、ゲルツ Goerz(ベルリン)のロバート・リヒター Robert Richterによって開発されたハイパーゴン Hypergonは、非常に画期的でした。
ハイパーゴン ガラス配置図
1900年に申請された特許 (米特許 US706650)にこのような図が描かれており、レンズの固定方法を示しているようにみえます。そうでなければ、ガラス配置図だけでは本当に固定できるのか、疑念が生じます。このレンズは実に140°もの画角を持っていますが、それを実現するために球体に近くなっています。そして周辺光量を大きく失います。
ハイパーゴンの構造
そのため中央に歯車が被せられるようになっており、これを被せて脇からチューブを差し込み(写真左端)、空気を送り込んで歯車を回転させ、適度に中央の露出を落として周辺光量の減少を相対的に補っていました。歯車の使用は露出時間の5/6で、これを外してさらに1/6露光しシャッターを閉めていました。とても面倒ですが、これだけコンパクトだと悪くなかったと思います。焦点距離は28mmで出してみました。
ハイパーゴンはこれだけの画角を持っていながら歪みがなく、所謂魚眼レンズではなかった点が特徴でした。これ以降、100°を超える画角のものはたいてい魚眼レンズでした。魚眼レンズで最も初期のものはケンブリッジのロビン・ヒル Robin Hillが1924年に設計したもので (英特許 GB225398)、続いて総合家電メーカーのAEG(アーエーゲー)が1935年に発表したもの (独特許 DE620538)などがあります。これらは主に天体で全天を撮影するために使われたものだったので、大きな歪曲があっても問題ありませんでした。AEGはベルリンの会社ですが、ベルリンには天体好きが多かったようで、当地の天体サークルからアストロ・ベルリン Astro Berlinが創業(1922年)されたことと関連して見ると興味深いものがあります。また、魚眼レンズとは違う考えで製造されたハイパーゴンもベルリンで作られましたので、ベルリン人には広角好きが多かったのかもしれません。
ハイパーゴンの開発者リヒターは1926年に所属していたゲルツの合併消滅に直面し、それ以降ツァイス・イコン Zeiss Ikonの社員になりました。伝えられている話ではゲルツの設計師でツァイスに移籍できたのはリヒターだけだったと言われています。彼はツァイスに移籍してからもハイパーゴンの改良の余地を探っていたようで、ついに1933年にトポゴン Topogon (米特許 US2031792)の開発に至ります。これまで2枚だったメニスカスをさらに2枚増やして二重に強化しましたが、画角は犠牲になり100°ぐらいしかありませんでした。それでも新しいレンズは歯車が不要でした。口径もはるかに明るくなりました。
リヒターはこの後、写真部長を経てさらに昇進し、在職中に亡くなりました。トポゴンは製造の難しいレンズですが、それでも歪曲が少なくコンパクトなレンズなので、他社でも製造されました。日本ではニッコール Nikkor 25mm f4がありますがデータは見つかっていません。ツァイスの特許 (米特許 US2031792)には、3つのデータがあります。口径はf6.3、画角は100°です。焦点距離は50mmに変えています。1つ目はものすごいボケ玉で実用的ではありません。そのため、2つ目では対象形を崩しています。これなら少し絞れば結構しっかりした画が得られそうです。3つ目では豆腐のようなガラスの塊で固めていますが、これによって特性が劇的に改善された印象はありません。
ロシアのオリオン15もトポゴン型です。28mm f4、収差はほとんどありません。実際、このレンズは非常に硬い写りなので収差図を見て納得です。
上海製トポゴンです。共産圏はこういうのが好きなのでしょうか。28mm f4で、ロシア製より優秀です。
1937年頃に申請されたトポゴン系の設計で英ダルメイヤー Dallmeyer カメラ・オプスキュラ Camera Obscura用のレンズ (英特許 GB487453)もあります。特許を取得しているのはスーパー・シックス Super Sixで有名なバートラム・ラングトン Bertram Langtonです。
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