無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

ドイツ光学の指標
シネゴール「醉墨」E3 50mm f2

2015.11.22

 ゲルツ Goerzの名設計師 ルバート・リヒター Robert Richter(トポゴンの設計で有名)は、エミール・フォン・フーフ Emil von Hörgh、フランツ・アーバン Franz Urbanと引き継がれてきた伝統とは異なる設計を1925年2月13日に2つの特許として出願しました。

 フーフはダゴール、それをアーバンはセロール、ドグマーという形で昇華させ、スチール撮影用だけでなく、キノ(映画)用も販売していました。これらは長年ゲルツの主力でした。対してリヒターはトリプレットとエルノスターの2つの選択肢を用意しました。ハイパー、もう1つは幻のエルノスター、おそらくシネゴール Cinegor(独特許 DE428825)と思われるものでした。翌1926年にゲルツは改組されツァイス・イコンとなりますが、リヒターはツァイスにそのまま在職して幻のエルノスターから貼り合わせを無くした設計で特許を取っています(独特許 DE724605)。しかしツァイスはおそらく製造せず何らかの形でドイツの別の光学会社 フーゴ・メイヤー Hugo Meyerに譲りました。おそらくリヒターが移籍したものと思います。そしてメイヤーはそれにプリモプラン Primoplanと名付けました。50mm f1.9でした。

 アーバンはドグマー以外にもダゴール (米特許 US1641402)、おそらくリンカイオスコープ (仏特許 FR597670)も改良するなど主に旧来の設計を維持する作業を続けていましたが、1923年にフォクトレンダー Foigtlanderより移籍加入したベルリン人のリヒターには新しいものを取り入れることが求められていたように思います。1926年のツァイス・イコンへの合併・リストラの3年前ですが、リヒターは合併を回避しようとするゲルツの期待を背負っての獲得であった筈で、それはこのプリモプランやハイパーゴンなどの高度な設計を見ると、会社としての結果はともかくリヒターの獲得自体は正しかったように思います。同じくツァイス・イコンに合併するエルネマン Ernemannは1920年にほとんど教育を受けていない20歳のベルテレ Ludwig Jakob Berteleを雇用抜擢し1922年エルノスターの完成に至りますが、それでも合併消滅に遭っています。そのまま1929年の世界大恐慌に至りますが、光学資産の発展という意味では実り多い時期だったように思います。

 幻のエルノスターがシネゴールであるという根拠はなく、そもそもシネゴール自体の個体数がどれぐらいあるのかもわかりません。かなり少数と思われ、レンズ構成も含めてよくわかっていません。vademecumによると25mmのキノとプロジェクター用レンズで、f1.2とf1.5が見つかっている他、50~100mm f2.0~2.5が存在するとあります。50mmはf2です。ゲルツでこんなに明るい玉はドグマーぐらいしかありません。当時1920年代にf2と制限しているということは50mmもプロ仕様のキノだった、名称がシネゴールですから当然キノだったことになります。米ハリウッドへの販売のためシネ(シネマ)と英語にしたのでしょう。キノ・ダゴールを短縮して英語化したものと思われます。その後、1940年にゲルツ・アメリカが改良型のアポゴール Apogor(米特許 US2260368)を出しました。アポ、つまりアポクロマート(色収差補正)仕様に進化したシネゴールと考えられます。エルノスター型の原形とされるウルトラスチグマットも米国の設計でしたし、米人はエルノスター系が好きなのかもしれません。ゲルツはこの後も色消しに拘り、ダゴール型の最終形アーター Artarもアポを示すドットが入れられていました。

 シネゴール Cinegor(独特許 DE428825)。50mm f1.9。特許の記載ではf2ではありません。しかしf1.9では製造できそうにありませんので、これをf2で製造したものと思います。記載されている推奨の画角が40度なのですが、焦点距離50mmで44度で出しています。
シネゴール ガラス配置図
シネゴール 縦収差図


 シネゴールは、1つにアポゴール、もう一つはプリモプランへと枝分かれしました。この両方を参考のために見ておきます。「・・プラン」という名称もゲルツ発祥です。

 ゲルツ・アメリカのアポゴール Apogor(米特許 US2260368)は、2つ載せられていてf2.2とf1.8があり、レンズ構成はほぼ同じです。f2.2の方ですが製造困難、これをf2.3で生産していたのではないでしょうか。画角はもう少し狭いので映画フィルム用ですが、無理でもなさそうです。
アポゴール f2.2 ガラス配置図
アポゴール f2.2 縦収差図


 次にf1.8です。この2つのアポゴールは「アポクロマート」であるにも関わらず、いずれもシネゴールと比べて色収差量が変わりません。ゲルツはスチール用のダゴールで最終的にアポクロマートのアーター、キノでは同様にアポゴールで完成し、そしてシュナイダーに買収されて消えていきました。アポゴールは用途はキノなのですが、しかしこれもダゴール的です。画角を絞ったらほとんど無収差なのでキノというより普通の玉、均整の取れた描写ですが、端に行くに従い光量が減るように設計されているように見えます。光線も捻ってあります。シネゴール以上にガラスを厚くしています。
アポゴール f1.8 ガラス配置図
アポゴール f1.8 縦収差図


 比較のためプリモプランの方も確認します。戦前と戦後で設計が異なります。先に戦前の1936年設計(独特許 DE1387593)ですが、これはf1.5で画角も36度ぐらいですが、45度で出しています。メイヤーでは球面収差をオーバーにするようになったようです。
プリモプラン戦前 ガラス配置図
プリモプラン戦前 縦収差図


 戦後(独特許 DE724605)も確認いたします。設計は戦前にツァイスで行われたものですが、これをメイヤーで戦後に作ったようです。2種類記載されています。どちらもf1.9です。画角が40度なのでスチール用には58mmで生産されていました。しかし足りない画角を少し足して58mmで収差図を出しています。
プリモプラン戦後1 ガラス配置図
プリモプラン戦後1 縦収差図

プリモプラン戦後2 ガラス配置図
プリモプラン戦後2 縦収差図

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