続いて旧式の方にあたるライツ Leitz エルマー Elmar 35mm f3.5を使って撮影していきます。
エルマー35mmレンズの光学設計図
ここで撮影する個体はかなり古いもので、コーティングが入っていません。それで、レンズ構成の違いだけでなく、コートの有り無しの違いも出てきますので、そのあたりにも注意を払いたいと思います。
この画にはノンコートのレンズでしか得られない質感の美しさがあります。淡い表現の中に人の肌や髪、布地の繊細に浮かび上がるトーンが時には肉眼で見るよりも魅力的に見えます。対象の質感を艶やかに捉えようとするズマロンとは傾向が異なることがわかります。ズマロンでこの画を撮るとより写実的ですが、エルマーでは婦人の"過去"までもが写ったような印象になります。もう少し別の写真でさらに近い対象の捉え方を見ていきます。
3枚は上から人物の肌、布、硬いものに焦点を合わせています。1枚目は中央の女性ですが、髪や肌の、人間の目で見た時の印象に対し、写真はそのままを写し取るものなので本来違ってはこない筈ですが、本来写真で写し込めると考えられている枠を超えているかもしれない感じは掴み取れると思います。2枚目は上海の風物詩ですが、こういった人工物は上海らしさに必要な感じはするものの、単体でじっくり見ると必ずしも観賞の対象として好ましいものではありません。それにも関わらず、エルマーで撮ると絵になってしまいます。3枚目は木製の椅子、背景にタイルやブロックという図です。まるで絵本の中に描かれた置物のようです。なぜこういう効果が得られるのでしょうか。
テーブルの上に2枚の皿が置いてあります。真っ白な皿ですが、ディテールは完全に失われています。2枚の皿だけがオーラを帯びているような印象の画となり、周囲の配置されたものを見ないと何が置いてあるのかすらわからないぐらいの潰れ具合です。こういう問題が発生するのはコートの有りなしと関係なく、収差によるものです。この収差はおそらく意図的に加えられています。また、レンズが古いということとも関係なく、収差の非常に少ないレンズは19世紀から製造可能だったので、20世紀30年代に至ってこういうレンズを作る場合は何らかの意図があると考えるのが自然です。ベレクは元々顕微鏡用のレンズを設計していた人ですので、能力不足ということもありません。日光が当たる白い皿という特殊な環境において本来の目的とは違った余計な効果が出てしまったものと見るべきと思います。これを見て何かを断定することはできませんが、結局反射した光を捕えるのが写真ですから、捕え方に何らかの考えがあったことは明白です。白い皿は極端な例であったということで、これをもっと抑えた時の効果を考えるとエルマー35mmが持つ個性はここに確認できると言えるのかもしれません。
手前に陰があってそこから奥の明るい方へ向かうような画ですが、いわゆる"優秀なレンズ"で撮影すると、すべてが"優秀"に捉えられてしまい、このような曖昧さはありません。光の状態や空気感まで捉えようとしなければ、このようには写りません。肉眼とは全く違うものが写っています。
設計上、空気感の捉え方について検討すると、太陽の光に弱くなります。上の例では白飛びが見られます。コーティングがないので、こういう問題を避ける術は現代ほどはありません。モノクロ撮影において、このような撮影例ではカラーフィルターを使います。カラーフィルターというのは緑や黄色のわりと濃い色のフィルターでカラーで撮ると色がついてしまいますが、モノクロなので色は付かず、コントラストが上昇するのみです。そういうフィルターを使って屋外で撮影するのが決まりだったので、レンズは多少白飛びしても構わないという考えで作っている筈です。白飛びに左右されず、階調の細やかさを稼ぐ方向で設計されています。それゆえ、オールドライカのレンズを曇りや雨の日に使うととても美しく写ります。強い光の影響を受けないからです。特に雨の日にモノクロで撮った時の幻想的な画は息を呑む程の美しさです。
さらに続けて白飛び画像ですが、かなり強い太陽光を上から浴びている上、肉眼でも見にくい暗部を中央に抱えているという難しいケースです。光が強過ぎて、中に人が立ってるのが確認しずらいぐらいの状況でした。これはだいたいで撮っておき、アナログでもデジタルでもいずれの作業においても後で覆い焼きなどで調整していくことができます。これは調整していません。調整しなくても有る程度、細やかに記録されています。コーティングが入った後代のレンズであれば無理だったと思います。
最後に夜の光を撮ったものをご覧いただきます。人工光の無機質な質感はないことが確認できます。
ここで使ったエルマーはコーティングがないので、後代のエルマーレンズであれば描写は違ってくると思います。もっと透過率が上がり、もっとコントラストが上がって、より優秀になります。コーティングがないレンズは光を多くロスしますが別の魅力があります。一長一短というところです。
コーティングのないレンズというのはまず第一義的にはカラー用のレンズではありません。それでも十分に使えるどころか、むしろ魅力的であることを確認できたと思います。問題は強い光に弱いことで、これを避ければ非常に魅力的な映像が得られます。ノンコーティングによるコントラストの低下はありますが、これはデジタル時代においてはなおさらフォローが容易ですし、一方でコーティングを施してしまうと、独特の淡い表現は取り戻せません。とりわけ、テッサー系のレンズはノンコーティングの場合のパフォーマンスは素晴らしいものがあります。色の出方は本物とは違うと言われれば確かにそうかもしれませんが、パステル調の発色は様々な理論を超えた魅力があります。