f1.5にも達する明るいレンズは、30年代にはライツ社には製造できず、一方でツァイスとの競争もあったので、シュナイダーからクセノンの供給を受けていました。それから10年以上が経ってパテントが切れてから発売されたのが、ズマリットでした。ライツ社の設計技術はこの頃には十分な水準に達していた筈で、そのことはこの4年後にズミクロンが発売されたことからわかります。それゆえ、クセノンのガラスを変更するなどして、新たに計算し直すこともできるようになっていたと思われます。49年のことでした。それはライツの設計師マックス・ベレクが亡くなった年でした。この年に発売されたズマロン35mmと共にベレクの遺作となったレンズです。オリジナルライカレンズの最終結論として、モノクロフィルムの撮影で楽しんでみたいと思います。
奥に見えるのは钟楼です。钟楼のすぐ南には鼓楼があります。(このあたりは前稿で少し触れました)鼓楼の南には大通りがあり、真直ぐ南に向かうと景山に行き当たります。そのままさらにまっすぐ下ると故宮、そして天安門に行き着きます。このラインが北京の中心でした。景山と鼓楼を繋ぐ大通りは、北側では鼓楼に当たりますので、さらに北上する場合は、道路を逸らせる必要がありますので、その道路は上掲の写真程の距離を空けて作ってあります。これを「鼓楼大街」と呼んでいます。今回はそこを撮影していきたいと思います。
界隈は、北京の古い住宅が残っています。写真は現実が写りますので、写真を見て「現実だ」とわざわざ当たり前のことを思う人はいません。しかしズマリットで撮ると、現実を記録する行為を否が応でも気がつかせるようなところがあるような気がします。リアリティを訴えるような感じがあるのです。しかし実のところ、これはリアルでしょうか? 少し絵画のような味わいもありますので「リアルな絵画」という雰囲気を醸し出しているような気がしないでもありません。まともなレンズでこの構図を撮影すると、全くどうしようもなく面白くない写真になっていたと思います。
本来の構図感としては、扉と自転車だけを撮影するものと思います。バイクを枠内に入れることはないと思います。しかしここではそのように撮る気になれませんでした。手前の広い空間が欲しかったからでした。この空間が、扉と自転車あたりの緻密な階調表現を引き立てるような気がしたのです。それで自転車の前輪を半分にカットした構想までは良かったのですが、それでもバイクは邪魔でした。ついでに言うとバイク上の格子も良くありません。しかし時代を経るとこういうものも「古い物」として回想されるのでしょうか。
ローカルレストランがあって、兵馬庸のレプリカが入り口に立ててあります。右は暗くなっていますが、肉眼では明るさにこれほどの落差はありません。しかしこの落差がズマリットの特質であって、対象を引き立てるのに大きな影響があると思います。ポートレートを撮るとかなり味わい深いと思います。このレンズはf1.5ですから、常識的にはもっと絞ってスナップを撮る筈です。そうすると画は安定しますが、そのように使い分けると、これ一本で行く通りも撮影でき、匙加減の妙も楽しめると思います。
これも先程と同じような距離で撮影していますが、もっと明るいところを撮ったものです。ズマリットは一般にボケ玉と言われます。確かにそうかもしれません。しかしそれはどうでも良い一面をあげつらった見方という気もしないでもありません。タッチが繊細で味わい深い上品なレンズです。これほどの傑作は他には求め難いと思います。
先程から背景のボケには触れていませんが、これも大きな特徴の1つと思えます。キャンパスに描いたような潰れた感じがありますが、これがなかなか良いと思います。焦点が合った対象は立体感を伴って浮き上がりますが、一方で背景は平たい印象があります。
ライカが発売されたのは梅蘭芳が31歳の時なので、この写真はライカのいずれのレンズで撮影したものでもありません。これは有名な写真であって参考に掲載したものです。これは背景が完全に壁絵のように見えますが、植木あたりのボケを見ると違う筈です。こういう収差の取り方はかなり以前から使われていたようで、ベレクがズマリットレンズを設計する前にこういう過去のレンズを研究していたのは間違いないと思います。これは見た感じ、英国のレンズのような気がします。時代背景から考えてもそう仮定するのが妥当なように思います。
「お米キッチン」とあります。ピントはそこに合わせました。そこから割と奥の方まで焦点が合っているような感じがします。それで、本稿の一番最初の钟楼の写真に戻ってもう一回確認いただきたいのですが、これは実は無限に合わせています。それなのに手前の建物は意外とシャープです。もしこれをエアコンの室外機あたりに焦点を持ってくれば左の方は暗くなってもっと絵画的になっていた筈です。距離によってこのように収差が変わっていくのは非常に興味深い点で、しかもそれは考え抜かれているように思います。このあたりの配慮が本レンズを傑作と位置づける所以です。傑作はたとえ偶然から生まれたとしても、その背景には多くの積み重ねがあります。大戦前後の開発が止まった時期にもベレクが積み重ねていた成果がこのレンズの中に見えるような気がします。そしてすべてが偶然の産物ではないと感じられます。
ここは暗いところだったので、撮る前から眠い画になりそうだという覚悟はありましたが、案の定、はっきりしません。しかしf1.5の効果でシャッタースピードをあまり落とさずに撮影できました。上段の瓶あたりだけ、迫って撮影するのも良かっただろうと思います。
疲れたのでここでウィスキーを一杯貰います。それにも関わらず以降の撮影でブレを来すことがなかったのもf1.5の効果だろうと思います。エルマーであれば、ウィスキーはオレンジジュースに変わっていたかもしれません。全体的に60年代の大口径ライカレンズを予見するような描写です。
かなり近い物を撮って、後方へのボケを確認します。ボケは消しゴムで中途半端に擦った感じがあります。この遠慮深い表現に品格が感じられます。
外から大量の光を供給された暗い室内です。明と暗の境目でのせめぎ合うところの硬質な描写がまた良いと思います。これはライカレンズに共通して見られる美徳ですが、ズマリットではさらに洗練されているように思います。
これも明と暗の対象ですが、光が弱く闇に飲み込まれるのに抵抗しているような印象を受けます。光量が弱ければ、光の上からも暗がりが覆います。
屋外は明るいので、申し分なく十分に写ります。しかし完全にシャープな印象はありません。表面を丁寧に撫でたような感じがします。この質感の引き出し方は、往年の名玉ニコラ・ペルシャイドを思わせます。
これは室内ですが、左上方からの光が豊かなので明瞭に写りました。このように明確なコントラストを求めたい時には、光の支援を受ける必要が他のレンズ以上にあります。
これは外に提灯があったので撮影したのですが、全く見えなくなってしまいました。光と影の境目での硬質な表現は、窓の取っ手をしっかり写していることに結実しています。こういうところは、ともすると潰れてしまいそうですが、そうならないところは素晴らしいと思えます。
入ってくる光が少ないとやはりコントラストは低下します。しかしこの画では、ノスタルジックな表現を引き出すことができたので及第点だったと思います。あまりはっきり写ると良くないこともあるだろうと思います。
ファッショナブルな焼肉店、焼肉店には見えない程、洒落た内装の店の玄関です。この入り口を見ただけで高級店ということがわかります。開店を知らせるランプは中国南方の文化を感じさせます。暗くもなってきているので、少し赤外写真みたいになってしまっています。とはいえ、この雰囲気は秀逸と思います。
小型スーパーの入り口です。強い光源のある部分の文字も違和感なく読み取れるので新しい時代のレンズという気がします。
夜は十分な光がなければ明瞭には写りませんが、これはその境目の微妙なところです。周囲にいろいろ物があり過ぎて乱雑な印象がありますから、もう少し整理できれば、つまりもう少し寄れば意図のわかりやすい画だったと思います。
暗いところで明瞭さを失うのは光量不足ですが、枠内に強い光源がなければ遠慮なくシャッタースピードを下げることができます。そうするとこういう画になります。これも大口径レンズならではの1つのオプションだろうと思います。
明るいと夜でもしっかり黒が締まって、適正露出感のある作画を完成させることができます。ズマリット独特の華やぎも伴ってボケは印象深い表現が感じられます。