ドイツの光学の歴史にはメモリアルな出来事が多いので、ドイツで最初に光学協会が設立されたのがウェツェラーだったということは小さなことの1つかもしれません。この協会の設立の目的は主に顕微鏡のレンズの研究のためだったようです。もちろん製造もしていたのですが、経営は紆余曲折があり、この工場は後にエルンスト・ライツ一世に買収されました。彼も業務を引き続いで顕微鏡レンズを製造し、これを息子の二世に託しました。二世は好奇心の強い人だったようで、従業員のオスカー・バルナックが病弱だったため重い写真機材を担いで山に登って美しいウェツェラー市街を撮影できないから小型カメラを作りたいと言った時に支援と出資を行いました。合計3台完成させました。1台はバルナック、もう1台はライツ二世、さらに1台はライツ社に保管されました。このカメラはライツカメラを短縮して「ライカ」と命名されました。この3台は後に伝説となり、ドイツ語でゼロを意味する"ウル"を冠して「ウル・ライカ」と呼ばれるようになりました。ライカはライツ二世のお気に入りとなったようで、彼はやがて量産と販売の機会を伺うようになり、ついに1925年に市販が開始されました。付けられていたレンズには現在「エルマー」として親しまれているレンズが付けられていました。
これがおおまかな、ライカとそれに付けられていたエルマーレンズの歴史です。エルマーは古いレンズなので光学の発展と共に変化してきました。最初の主な変化はレンズコーティングで、手元にあります戦中の1942年製造の個体はノンコートで、その後戦況の悪化によって製造数を大幅に減らしていきましたから、コーティングの採用は戦後だったと思われます。もう1つの個体は1949年製でこれにはすでにコーティングが入っています。そしてやがて光学設計も見直され、デジタル時代に入ってより洗練されていったものと思います。
フィルムで撮影するのであればコーティングがない方が良いと思います。コーティング有りの後代のものではカラーフィルム対応で描写が変わってしまっていると思うのです。しかしノンコートのエルマーは1週間前には持っていませんでした。そこでネットで激安の個体を発見し、販売者に問い合わせました。彼はガラスも綺麗だし何も問題ないと言います。そしてこれまで結構な人数が連絡してきましたが誰も買わないと言って不思議がっていました。安い理由があれば買うと思うのです。無ければ買いにくいのではないでしょうか。断ろうと思ったのですが、しかしよく見るとこの販売者は店舗を持っており、しかもかなり近所です。地図を確認しますと意外な路地裏に店を構えていました。そこで早速見に行きます。レンズを確認しますがやはり問題ありません。この時にコーティング有りのエルマーも持っていたのでR-D1で比較したものが以下です。
ずいぶん違います。彼の親はプロラボの経営で、その空き部屋を借りてレンズ売りをしているようでした。上の写真は彼が使っている区画からプロラボ入口を撮影していますが、手前にライツ フォコマートIc引延機が見えます。そこでフィルムの現像とデジタル化は彼らに任せることにします。こういう経緯で本稿のモノクロフィルム画像は用意されました。
こうして2種のエルマーが入手できたので、もう少し確認のために室内で比較してみます。
傾向は最初に撮ったものと全く変わりません。しかし古いレンズでもコーティング有りであれば、デジタルで十分に使える感触があります。ノンコートは使い方によっては味のある色彩が出ますが、基本的には簡単に使えるものではありません。これをそのままソフトでモノクロに変換してみます。
これも全く同じ傾向で何も言うことがありません。コーティング有りの方が優れていると思います。カラーであれば、ノンコートはわざとらしくないナチュラルな色彩を味わえますが、モノクロであればそれも無くなりますので、どちらかというと悪くなったと見なす方が自然だと思います。それでもあまりにしっかりした写りであれば絵画的な印象が薄れるのでモノクロの方が良いという見方もあると思います。
ここからはアナログフィルムを使って撮影したものです。使ったのは富士のISO400の長尺のものを再利用可能なマガジンに自分で詰めたものを使いますが、もう10年も前のものなので、カビが生えていました。それで汚れや花柄の菌類の模様が写り込んでいますが、構わず進めていきます。尚、このフィルムはまだ余っていますので今後もしばらくは気にせず使用していきます。
撮影場所は什刹海から南锣鼓巷までの老北京風情の残る一帯です。最初にコーティング有りのレンズです。
レンガに注目しますとかなりシャープではあるものの、幾分か柔らかさも感じられます。気持ちよい感じがします。この独特の質感はデジタルでは難しいと思います。でもフィルムからデジタル化するとあまり問題ないんですね。不思議なものです。
これは光の具合が理想的だったと思います。全体的にナチュラルです。エルマーはテッサー型ですから描写が鋭利な特徴を引き継いでいますが、対象を包み込むような柔らかさも備えています。これがまず1つ特徴として挙げられると思います。
ドアの下から強い光が射していて白く飛んでいます。これは普通は覆い焼きをして調整しますが、差し込む光を表現する必要があるので難しい匙加減が求められます。この例は何もやっていません。ドアに打ち込んでいる鋲の立体感は秀逸です。
黒と白のコントラストの対象ですが、この抜けるような爽快感もデジタルでは難しいです。もちろん、ソフトでコントラスト調整スライダーを動かせば似たようなものは作れますが、その代わり全体的に潰れてしまいます。
黒と白、はっきりと出て、その中間の階調の豊富さがそれを十分に引き立て活かしています。明確さと曖昧さ、その調和が万華鏡のように画面全体に展開され、それでも素材の質感を丁寧に拾っていきます。
瓶というと硬質な物体ですが、たっぷりと撫でられた後のようにツルツルしています。硬いものが何でもそのまま硬く写らないこともエルマーの特徴の1つに挙げられます。
このレンズはカラーデジタルで撮ってもパフォーマンスは素晴らしいのですが、モノクロフィルムでも十分に持ち味を発揮します。この陰の雰囲気はベレク設計のその他のレンズにもない独自の味です。
ここからはノンコートのレンズです。何の変哲もない普通の壁ですが、もしコーティング有りのレンズで撮影するともっと硬質に捉えられてしまう可能性があったところで、もう一段、曖昧さを深化させたような雰囲気があります。
しかし、シャープネスを失っているわけではありません。それどころか十分な繊細さですが、レンズから対象物までの空気中の塵まで写っているような感じがつきまといます。この不純物をカットするのがコーティングであって、その是非は難しいところです。古いレンズはコーティングを使っても、一部は使わない面も残すなど工夫が見られ、現代のレンズのようにコテコテに膜を張っていません。ユーザーがより"優秀"なものを求めるのですからそういう風に変わっていったのだろうと思います。
白から黒に至るグレーの階調も失っていません。それゆえ、このこととコーティングはおそらく無関係です。しかし、デジタルで撮るとノンコートレンズは明らかにシャープネスを失うので、シャープさとコーティングは関係があるという見方も正しいと言えます。階調だけを見るとむしろノンコートレンズの方が豊富なような気がします。
エルマーのその他の特徴ですが、それはこの遠景にあります。ボケた背景が非常に重々しく写ります。焦点から離れるに従って階調を急速に失うのかもしれません。独特のノスタルジックがありますので、これもまた良いものです。
焦点はドアに合っていますが、陰影の細やかな対象でないことと、光量が少ないため潰れ気味です。そして背景もかなり混濁しています。人の群れが真っ黒に見えます。焦点をかなり引きつけ背景は遠くに突き放していますから、潰れが酷くなったのだろうと思います。
文革ポスターデザインのパロディだろうと思いますが、文革関係グッズは熱心なファンがいて人気があります。これはポスターではなく壁画です。壁に塗料で直接描いて有り、言うまでもありませんが現物はカラーです。この画像全体の味わいはエルマー独自のもので簡単に出そうでそうでもありません。
ある画廊の1つの看板に強いスポットライトを当てています。当たったところは強い光で潰れ気味ですが、何とか持ちこたえています。その左右は逆に暗く潰れています。しかし何が写っているのかわかるぐらいには描写しています。これも簡単そうでそうでもありません。階調が豊富だから描けるのだろうと思います。
階段の奥の方は光が豊富なのできちんと写っていますが、階段はそうではありません。消え入るような描写です。これは露出の問題で、もう少しシャッタースピードを落とせばもう少しはっきり写りますが、そうすると奥の方が白く飛びます。露出不足にしてもこういう描写というのは、現代のレンズでなくても、その他のメーカーのオールドレンズでもなかなかこんな感じにはなりません。普通はもっと不明瞭になると思います。ライカのオールドレンズはエルマーでなくてもこのようになる傾向があります。
一方、コントラストが激し過ぎる画ですが、露出を抑えるとまずまず写ります。画面内に写っているいろんな素材がこれだけ強い主張を持っていれば、その描き方もどうしても強くなりがちですが、ノンコートレンズであれば光をダイレクトに受け取らないので柔らかく描写します。
人が多いので人間も撮っておきます。女性はとにかく買います。食べます。消費します。レンズ? あまり買わないでしょうね。
色を省略するから、こんなにもコントラストが強く見えるのでしょうか。もっとも、少女の着衣が真っ白だったのは確かですが。写っているのは右から父、祖母、母です。現代中国の典型的3世代家族です。この描写の味はライカでないと絶対に出ないと思います。
これは難しいコンディションでした。アナログフィルムですから、デジタルとは違い、撮影後にすぐに確認できません。だから現像を見てみないとわからないことも多いのですが、この構図はもう撮る前から無理気味だろうと思っていました。肉眼でも見えないものは幾らライカレンズが階調豊富と言っても撮れないですね。
これはまあ良いと思います。モノクロフィルム、特に富士の場合はラチチュードが広めに取ってあって、許容露出の幅がすごく大きいので、適当に露出を合わせても問題ないように作ってあります。それでも露出には神経質になっておかないと、画像が潰れます。美しいモノクロ画像を得るにはやはり露出の確認が必須です。このような構図では肉眼で見当を付けるのは難しいので、露出計が必要なところです。
露出を見るに難しいと言えばこれもそうです。この場合は暗過ぎてどれぐらいにすれば良いのかわかりません。そこで測ると1/4でした。低速なので、ライカの底を電信柱に当てて撮影しました。もう夜なのに空は明るいです。周辺のネオンが写り込んだものと思います。
最後は湖を眺めて終わります。お疲れさまでした。