無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業




花影 S1 60mm f2.2 青柳先生作品

仕様  作例   - 2022.06.24

伊達市在住の写真家・青柳陽一先生に希少な花を撮影したものを送っていただきました。撮影された順に並べています。マクロ撮影なので延長チューブを別途取り付けての撮影です。花影 S1は寄っても収差配置はほぼ影響がありません。肖像写真にも応用できそうです。

日本野生蘭、紅「富貴蘭」自家栽培種です。
背景黒は普通に撮ったもの、別カット2枚は背景色と開放値のボケ味を引き出した作品とのことです。
ストロボを3灯使用したもので、青柳陽一先生の最新作です。

先生よりコメントもいただいています。
「このLens装着し、覗いている内に堪らなくなり、周りに集まっていた花を、花の図鑑で無く、アートとして撮った。花影と名付けたレンズ、正に「輝と影」を60mm f2.2が、私の意図を汲むが如く、表現してくれた。このLens、開放値のボケ味、気に入った。」
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こちらは野生種とのことです。
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SONYα7にて。3枚目はf8、特殊微調整用機材でフォーカス合わせたとのことです。
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翌日に改めて見るとまだ咲いていたので、今度はLEICA M(T240)にて撮影で、マクロですので距離を微調整しながらで大変だったとのことです。全て開放、逆光の方が効果が出やすいとのことです。
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青柳先生は(社)青柳陽一写真学校にて、これらの作品を撮影する技術を教えておられます。次の作品は先生のお弟子さんの撮影です。
先生のご説明「石橋広育君、「蝋梅」撮影作品。私のKino Thambar 60mm F2.2を貸し出し、SONYα7IIに装着し、撮った合格作品。」
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花のマクロ撮影で、青柳先生が気に入られたレンズ群を使用して比較したものです。花影S1はf8、その他は開放です。f8なのでガラスの特徴だけを活かしたものになります。
青柳先生機材
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LEICA M(T240)にて、背景用、逆光線用、手前横斜め45度からAoyagi Lightingで、3灯のストロボ光線で撮影されています。「障子のような光」と形容されたライティングです。先生のご説明によりますと「拡散反射板は、小は30㎝位から、立ち位置の180㎝位迄、大中小使い分け、そこにストロボを反射拡散、モノに依ってはトレッシングペーパーで、更に拡散する。背景のグラディエーションが、私作品の売りのヒトツ。色付け、色出し、自由自在、多分世界で私のヒトリ舞台。」
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アオヤギ・ライティング

「今朝、椎茸ジッチから届いた、花々本格的に撮る事にしているが、昨日テストに撮った「紅白梅」「トサミヅキ」添付する。「トサミヅキ」非常に珍しい山野草との事。新しく作ったアオヤギlighting BOXで撮った。Kino Thambar60mm 開放値。ストロボ用baby三脚、1960年代独で購入、LEICA用50年以上使用中。ストロボ3灯、背景色は黄色だの、橙々色だの、黒色自由に出来る。これ等と、背景色がアオヤギlightingの特色となり、添付の様な柔らかい光線で、撮る事が出来るのが特徴。」
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アオヤギ・ライティング2


「今朝2時、深々たる夜中と言うか、早朝撮った。紅白梅を、SONYα7Ⅱ+Kino Thambar 60mm 開放値。余りに多く撮ったので、RAWからの処理に時間費やしたが、非常に面白いlensの味が表現出来たので送ります。F2.2では被写界深度浅く、フォーカスが難しく、モデリングランプの輝を借りています。※最近送った小さい方のBOX,当然黒幕で覆い、周りに光線干渉しない配慮必要、特に背景色の方角絞ります。

ストロボは、アオヤギboxに1灯(斜めやや上45度から)、背景色に1灯、スヌートで水玉にドンピシャリ当て、絞って1灯、計3灯です。メインに柔らかい輝欲しく、BOX使用。

この柔らかさ、Contaflex Pro Tessar50mm+M1:1とまた違う味わい、macroで無い玉での、渾身の「輝と影」が織り成す作品です。この味がやっと出たが、今後多用するレンズの1本と、なりますね。素晴らしいlensです。」
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比較として、Contaflex Pro Tessar 50mm M1:1にて撮影されたものです。これは古いツァイスのアタッチメント式のマクロのシリーズで、これとキルフィット マクロ・キラー 90mm、ライツ エルマー 65mmあたりがマクロでは最高とされています。
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青柳先生使用のテッサー

「lens味、ボケ味の作品、送ります」
椎茸ジッチの山から届いた花々、先にPENTAX K-1 Mark IIに、soft85mmで撮り、続いてSONYα7+Kino Thambar60m で撮った作品添付。フォーカス難しく、拡大モニター用米国製ZACTO装着し撮った。PENTAXなら、ファインダー覗き撮れるのだが、他機は難しい。
※PENTAXから、「K-1からはプリズム等の透過率を上げファインダーの明るさを 確保しつつピント合わせが可能なファインダーに仕上がっており、この辺りの取り 組みが功を奏しているのだと思います」と。
F2.2開放値,逆光線に映える水滴の妙、これが軟焦点レンズの特技。

熊谷草の左から、アオヤギBOXに入れたストロボ、反射拡散光線を取り入れ、背後上下左右からスヌートで絞った2灯に、反射光線での背景色、言葉では簡単だがまるで、輝スタンドのジャングル。花の大きさ、色合い毎に、光りを動かし、確認しながら撮るヤヤコシさ。

これ等、光線の組み立てが一番胸躍る時、楽しさと相反するのが光りの配置。夫々テストして、ドンピシャリの輝を放つ、頭で設計し描いた光りが、作品を際立たせた。今回、サイド1灯、背後2灯、背景1灯に、前からレフ。貴兄設計softレンズの、柔らかさが醸し出された作品撮れた。(小店注:右下に「二捲き草」とある作品)

「花」とレンズ、余りに近く、三脚に乗せると動き極端に悪くなる。全て、手持ち撮影が一番楽だが、フォーカス合わせのシビアな事。全てがミリ単位、否macro単位と言う言葉が、当て嵌まる精緻さ必須。

Lensもさる事乍ら、フォーカス合わせはPENTAX K-1 Mark II、先の如く一番楽。これ等macro撮影には、LEICA Mは向いて居ないし、超難易度の撮影となる。このLens、恐らくこれ等の接写でこそ、ボケ味の妙が醸し出ると確信した。

世に軟焦点レンズ種々在れど、気に入った花用レンズは、PENTAXsoft85mmF2.2と、Kino Thambar 60mm F2,2、macro撮影でこそ、Lens作品価値が発揮出来た。

日本古来の野生蘭「熊谷草」(2021.5.5)
「花」作品、源平時代から愛された日本野生蘭、大和色唇(しん)弁(べん)の大さ50mm前後。玄関にスタジオ作り、ストロボ光線4灯を反射拡散絞り、背景を着色して、撮影した。この唇弁の中から、Brazil高地で香った、彼の地の野生蘭の薫りに似た、馥郁とした上品な微香芳香漂って来て、まるで薫りのとも火の如し、幻の薫りが漂う感じを味わった。
実に不思議な花で、源氏の武士、熊谷(くまがい)直(なお)実(ざね)公の背負った母衣(ほろ)に似ている様だと、熊谷草と名前が付いたとも言われている、絶滅危惧種日本野生蘭。公園に群生自家栽培されているが、無断で根っ子から採ると法律で罰せられると言う程、保護対象「蘭」。これは椎茸ジッチの山か茎上のみ採取、半田山地底2000mから汲み上げた、「金剛水」で活き返って撮った作品。

※母衣(ほろ)とは、日本の武士の道具の1つ。矢や石などから防御するための甲冑の補助武具で、兜や鎧の背に巾広の絹布をつけて風で膨らませるもので、後には旗指物の一種ともなった。一の谷で、平(たいら)敦(あつ)盛(もり)と戦った事で、勇名を馳せたのが熊谷直実公。数百年と続く、大和色とも言われる、露草色が素朴で、素晴らしいし、源平時代から日本人に愛されて来た、野生蘭を撮れたとは、感激です。
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※上はPENTAX K-1 Mark II+soft85mmF2.2、以下3点はS1での作品です。

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椎茸ジッチから届いた、「二輪草」と言う、聞いた事も無い雑草の様な小さな「花」。楚々として純白、弱々しくもあるが、その格調高い凛とした花、撮ったので添付。

撮影は、aoyagiBOXに前から1灯、背景色に1灯、後から水滴用にスヌート1灯、計3灯ストロボ使用です。余りに近接撮影故、全て手持ちで上下左右、微動撮影でした。PENTAXのファインダー、見事にfocus合わせられ、感謝です。
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伊達は、4月中旬桜の後、桃が咲き、杏と続く。余りに多く撮ったので、RAW処理に時間掛かりやっとお見せ出来るので添付します。フォーカス合っているのは、肥やし用稲束上の桃の花数点のみ、此処に合わせるコツ必須です。屋外撮影で、桜の花撮ったが、macro撮影で雄蕊に合わせるのも大変、レンズに慣れて下さい。

写真学校の2名の生徒を連れて(正規生徒で無い)、桃や桜を撮って、その場で魅せて教えた(デジタルならでは)。その時,LEICAに装着した、Kino Thambar 60mmレンズ、「撮って見なさい」と渡した。

彼等、「何処にフォーカス来て居るか、さっぱり解らない、難しい」と言う。そこで、モニター拡大鏡のZACTOを外し、レンジファインダーの使い方教えたが、やはりLEICAでは難易度高かった。

添付作品の如く、LEICAでもZACTOのモニター拡大鏡がフォーカス合わせには楽だが、レンジファインダーはソモソモ、LEICAオリジナル。然し、ボケ具合等はVF finderで無いと、解らないからモニターで見るのがbest。LEICAのVF便利だが、画面小さ過ぎ見難い。

ロア六本木時代、皆様にThambar 90mm F2,2お魅せしたら、岡安君が凄いと直ぐ購入した。女性ポートレートには素晴らしく効果出す、然し、このLens macroが大変で、花影の方が遙かに撮影が楽故、今や手放せない。コノlens、兎に角慣れる事、使い込んでコソ、価値発揮します。
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小店注:青柳先生はマクロで開放絞りにて多数撮影されていますので、マクロはかなり良好だと多数の作例から感じられます。少し距離を取ると、つまり一般的に撮影するであろう距離において、キノ系の収差が顕になりきちんとした画にはなりません。そこでライカのレンジファインダーではピントを少し前にしています。ですが、開放ではボケが強いためf2.6~2.8ぐらいが推奨です(マクロは開放でも良し)。ソフトというより少し溶けるような描写、いや、やっぱりソフト?という感じの表現になります。映像では中央にピントを置く上掲の作例のような撮影法は人物にフォーカスする時などよく使われます。それでも開放は少し強めなので少し絞ることが多くなりそうです。

小店での撮影例では、上掲のような収差が顕になった作例はほとんどありません(少しは含めていますが)。この作例は美しいですが、このように上手く使わないと単に周辺が流れてしまうのはなかなか使いにくいものです。そこを流れないように撮る、しかもレンジファインダーでの撮影で、撮影結果を見ていないのにミスしない撮影者はおられます。神業? そんなわけがない、キノ(映画)の収差はどれも大同小異なので単に慣れているだけです。要諦はピントの置き方、絞りによる収差のうねりの把握、この2点です。ですが、映像では流れる画は古い映画で結構見られます。ほとんどの鑑賞者は気づきませんが。上手に撮影される先生方は皆さん、キノには慣れているのではないでしょうか。以下の通り、作例もお寄せいただており使いこなしておられる方も少なくないと感じられます。

この企画は元々、タンバールの復刻で企画から製造まで4年ぐらいかかっています。キノの収差を消せばタンバールになるので本来、これで出さないといけません。ですが、これがどうも納得いかない、良くなかったのです。ソフトレンズは飽きてすぐに使わなくなりますね。ですから、過去に所有されたことのある方であれば「普通のソフトレンズ」どんな感じか、お解りになると思います。タンバールは90mmでないと良くないのかもしれません。60mmでの企画はどれもこれもダメダメで、止めようかと思ったのですが、中でも特に「これは全く駄目」だと却下していた1つの案で結局は製造しました。

キノでは仏ベルチオあたりに濃厚な発色の美しいレンズがあります。ですが、ドリアン的なまでに強烈な仏国臭には参ってしまう、何でもベルチオが規定したかのような表現になってしまいます。ここまでヤラかせるのはキノならではで、無収差の玉には無理です。結局、キノ・プラズマートが優れているのはこの辺りで、しっかりしたパステル調に儚い表現を纏わせたから傑作とされています。こういう「ずっと使いたくなる」ような玉はなかなか作れません。ルドルフがライカのプロトタイプにキノ・プラズマートf2を付けさせていましたがライツは却下しています。そして色彩は捨て、儚さは最大限取り入れて収差をフラットにし、エルマー以降を自社で設計しました。キノ・プラズマートも経済発展以降の中国人が評価して高騰しましたが、それまで評価は比較的普通のレンズでした。中華の表現で言うところの「熱烈支持」と評価外という両極端のジャッジが下されてきたレンズです。

そこでキノ・タンバールに戻りますが、艶やかな色彩感を出すにはキノにせざるを得ない、しかし濃厚は表現の幅を規制します。ある意味、存在感のない、メーカーの方が出過ぎていない品を引き出そうと思えば、なかなかこれが簡単なことではありません。偶然性も多々あるのではないですかね。そこで失礼して、キノ・タンバール、これを提案しました。世の中にないレンズを作るのは意味がありません。ゴミが増えるだけです。何事も普通が一番、ですが、キノ・タンバールの色彩感と表現は過去になくても使える、価値があると思ってのことです。

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フォーカスを何処に合わせるかは、花夫々なので、雄蕊雌蕊に私は、合わせています。霧吹きで、ボケ効果増大。 作品数点、添付するので、参考にして下さい。

早朝太陽光線下、つきだて「花工房」で撮った作品。
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光線の面白さを演出し、まるで天から注ぐ、黄金のスポットライトを導き出し、白梅の白を際立たせ作り上げた。
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強烈なストロボ逆光線下、まるで狂気の「ボケ味」。右後ろからのflare、ギリギリで自作フレアCUTボードで切った。
※このフレアCUTを、我々は「ハレ切り」(Halation Cuter)と呼び、A4位自作の黒板を小型三脚に立て、ギリの所でハレを切っています。
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F5.6位に絞ると、こんな柔らかい作品も撮れます。
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椎茸ジッチの山から、月見草名だが花の縁が桃色の、何とも色気ある小さな「花」届いた。名前が「昼咲き月見草」だそうで、夕べに咲く月見草とは一線をかくし、昼に咲くとは。LEICA M(T240)+Kino Thambar 60mm F2,2
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F4モスコシ絞りF5位で撮った。RAW処理で、堅めに処理して唇弁の薄さ、強調した。ストロボ光線4灯使用、観た目は複雑lightingだが、実に微妙な輝と影を演出し、独特の色気を狙った作品。

花枝に噴霧した霧が、独特のボケ味出して、これは正にこれぞ、「Lensの味」。好きな、back処理出来た。
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今朝、再度「昼咲き月見草」を、複数本花瓶に入れ撮った。右後方からのスポット光線をハレ切りでCUTしたのと、ハレ切りギリギリ限度で、ハレ入れたのと、2種類お見せする。作品形成上、作者次第です。

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LEICA M(T240)+Kino Thambar60mm F2,2

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LEICA M(T240)+Kino Thambar60mm F2,2
左後方スポット入れ込み、作品にフレア掛け、右の三角「ボケ味」収差を演出した。

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PENTAX KI M2+soft85mmF2,2
F4に絞ったら、中央上に絞りの6角形光跡出た。

青柳先生作品58
PENTAX KI M2+soft85mmF2,2

青柳先生作品59
SONYα7+Contaflex Pro Tessar50mm+M1:1
ギリギリでハレ観ながら、丸形flareワザと入れ込んだ。

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SONYα7+Contaflex Pro Tessar50mm+M1:1
完璧にハレ切りで、フレアCUTした作例。flareも、入れた方が作品面白くなるなら、入れた方がbest。

「lensの味」とは、夫々のレンズがもつ個性を惹き出し、作品を昇華し、華麗に仕上げるテクニックが面白く、時のたつのを忘れる程。前後やトップLightingを、どう設計配置するか、これぞ「花」撮影の真髄です。この撮影では、左からアオヤギboxに1灯、右手前でレフ反射、後方左右から2灯のスヌート、背景色用1灯で背景色出した。ストロボ光線、4灯を反射拡散絞り、出力制御して、作品個性出して居ます。

質問が多いのは、露出とfocus。露出は、開放値で殆ど撮影故、ストロボ光線出力制御し、ISOは100。セコニック露出計(L-508 ZOOM Master)のストロボ露出計で入射光線計測し設定。Focusは、manualで合わせるが、これが一番難易度高く、全て手持ち撮影。余りのmacro撮影故、三脚に乗せると近寄れず、手持ちがbestです。


最後に「昼咲き月見草」2本残り、「金剛水」の効果よりひ弱い「花」と、認めざるを得ません。最後に、優雅さ残そうともう一度、撮影しました。

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LEICA M(T240)+Kino Thambar60mm F2,2
1/4で微かにブラシて、「lensの味」に動き加え更に、ほのかなボケ味狙った作品となった。

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LEICA M(T240)+Kino Thambar60mm F2,2
月見草には種々在る様で、あの強烈な黄色より、遙かに優雅幽邃と言える、ほのかな緋色漂う野生雑種「花」。ハイキー調と、背景色に凝った作品送ります。哀愁漂う作品を狙ったがイマイチ、レンズに助けられた。


初めて無一居ブログの、私の作品に関し質問来た。APA(㈳日本広告写真家協会 (Japan Advertising Photographer's Association)会員プロの若手と名乗り、相当レンズ好き者らしい。

露出やfocus、それにどんなストロボ使用ですかと聞く。LEDなら、可視光線で撮れるのにと、言う。私は、60年も写真家やって来て、その間永年ストロボ使用して来たので、LEDより色温度が安定しているからだと返答。大事な事は、ストロボ光線が何処にどう当たるか、止まって見える事だと言うと、驚いていた。

やたら作品を褒め捲るので、君も撮ればと申し上げた。その彼の質問に、貴兄のblogを通して答えたのが今回初で、観ているプロ写真家も居るのだと、感心した次第です。

その若手から、ソフト作品とちゃんとしたmacroの写真も宜しければ、魅せて欲しいと言うので、たまたま写真学校用に撮った作品在るので、添付します。皆様に、青柳陽一本質本髄、基本はこれが撮れないとダメ。

例の熊谷草を、PENTAX KI MII+DFAmacro100mmF16に絞った作品。もう一枚は、PENTAX soft 85mm F2,2です。多分、貴兄のblog観て、多くの方質問あるのではと、思われます。この2枚の作品、私がボケ玉だけで撮っているのではと、感じるヒト向けには、お役に立つのではと、思われます。

※PENTAX KI MIIには、Real Resolutionと言う4枚の画像を合致させる高精度な、映像が撮れる仕組みがあり、電子シャッターで撮るシステム、良く使うRR(撮影テクニック)です。加えて、DNG撮影だから、凄く精緻なのです。

これ等に比べれば、LEICA Mの使い難さ、ドイツ人ならでは。VF使用中は、ストロボ接点は下部に特装EXコード、使用です。故に私は、VFで無くモニター用拡大鏡使用して、VF用シューに、ストロボ用トリガー(リモコン)装着して撮影して、居ます。

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私は、逆光線下で多く撮るので、Kino Thambar 60mm F2,2用フード替えました。52mm径にして、ハレ切り使わずとも、このフードのママである程度、Flare CUT出来そうです。

被写体が、小さな「花」macro撮影故、蹴られもなくこれでOK。LEICA M(T240)も、ZACTOで一眼レフ並み、蹴られ被りも見えるからこの拡大鏡の役目大、動画用に作られた逸物優れモノです。

自分で言うのも変だが、こう言う姿勢、チャレンジ在れば、年に関係ない頭の体操、且つ楽しみ増えますね。今年84才です。

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「大輪トキ草」と言う日本蘭、東城歯科医が自家栽培。麒麟ラガー1ケース付きで、早朝5時半届けてくれたのを、撮った。Digitalは、紫色(magenta)出しが難しく、色温度から変換でした。※SONYα7II+Kino Thambar 60mm F2,8位 ストロボ3灯使用。

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movieカメラマン、己斐俊夫がやたらレンズに詳しく然も、彼はSONYのCM「蛸の赤ちゃん誕生」で、何かの大賞受賞。彼からも、私の作品楽しい、ドンドン撮って魅せて欲しいと、言って来て居ます。多分私が知らせた、世界に散らばる知人友人諸氏達も、レンズの難しい話しは別にして、野生の花々の可憐華麗さ堪能してくれています。

Paris在住の方から、今朝又mailで、日本蘭の素晴らしさ、可憐さ、美しさ、日本の花らしいと、堪能しているとの事でした。特に、「熊谷草」の面白い話しや母衣、源平の頃から武士達に親しマレた野生蘭だとしり驚いた様で、知的さは懐の深さでしょうねと。

※ではと、野生日本蘭「富貴蘭」作品、送りました。背景色の出し方に、大層気を使った作品、これ等全て背景用布や紙使用せず、反射光線で出しています。この花、大きさ15mm程、余りに小さい唇弁、優雅にして可愛い蘭でした。
PENTAX KI MII + Pentax soft85mmF2.2

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多分貴兄のblog、レンズの特異性等口コミで、世界の花々好きな方々に、次第に広がるのではと思われます。反対にlens愛好者の、ハイアマチュアカメラマン達からも、時々余りに説明マニアック過ぎて、良く理解出来ないとmail来ます。出来れば、もう少し分かり易く解説して上げれば、悦ばれるでしょう。これ等作品、花影レンズがより認知度増して、販促に繋がればと思います。

小店注:非常に重要な事柄なので、よろしければ考えてみてください。本Webサイトはレンズ愛好家のためのもので、これからという方もおられると思います。そのためまずはレンズというものを鑑賞できなければなりません。どれでも同じであれば携帯電話のレンズでも良いのですから。今時のは優秀ですから。よくわからないというのは例えば、花はどれも同じとか、車は中級者から高級車ぐらいのものはどれも同じに見えるとか、そういうことがあると思います。それはつまり、興味がないということなのでしょうね。レンズがよくわからない、興味がないわけです。いやいや興味はあります、という場合もあります。それは環境が良くありません。魅力をよく識った人が周りにいれば、自ずとわかってくるからです。こういうことは誰しも何がしかのことであります。あらゆる事柄に関して環境を整えるというのは不可能です。全てに共通することですが、そこでどうするかということになります。

やってはならないことは、感性で理解すべきことがわからないので、得意な方、つまり知性で理解しようとすることです。可能かもしれない、ですが、それで良いのですか。OKな人もいるのだろうと思いまして、コンテンツはそういう方向でも満足できるように組んであります。ですが、いや、やはり感性で理解せねばならない、だができない、これが難しいわけです。要するにコンテンツのわかりやすさとか、そういう問題ではないのではないでしょうか。画を見てわかればそれで良し、それを言語化しているだけのものです。

知性と感性、脳というのは片方のみでは大成しないものです。両方というのはどうやって身につくのでしょうか。おそらく男性は20代ぐらいの頃までには皆、この壁を感じる筈です。これは生理的に脳がそういう構造になっているのです。つまり、理性と感性、左脳と右脳、これが20代ではリンクしないのです。まだ繋がってはいないのです。努力ではダメなのです。発育中なのです。そのためこの年代では、できる限り多くを蓄積せねばなりません。26歳ぐらいで繋がり始めます。そしてそれが花開くのは30代になってからです。蓄積が多いほどがっちりと連結します。20代で努力を怠れば生涯を無意にします。もう歳をとっていたら無理でしょうか。レンズの描写ぐらいもわからないほど酷いですか。そこまでの人はほとんどいないのではないでしょうか。努力は年齢に関係なく可能、100歳でも可能な筈です。むしろ20代ではしんどいのではないか?ということなのです。

そのため、30代になっても覚醒を感じなかった人はペナルティがあります。それに気がついて諦めている人も多いと思います。ですがペナルティがない人の方が努力を継続しています。なぜなら20代以前からやってきている習慣があるからです。やらない人は死ぬまでやりません。そこを変えないといけません。ですが、ある程度の年齢であれば、社会に出たらそれなりの人物、周囲は言うことを聞く、自分のやり方で通るような楽な環境にいます。そこから自分を変えるというのだから、なんでそんなことをやらねばならないのか、となって結構大変なのです。しかもレンズをやる、高価ですがそういうものを買う、経済的にも成功しており、それに伴う自信もある筈です。ですが、そういうところに常に身を置き続けていてはいけません。言語化しているので物凄い話ですが、普通の事柄です。レンズの話も同様の傾向があります。小店店主はいろんな人と付き合いがありますが、ある分野で初心者であるとか隅の方にいる人が実は政府の高官であったり大学教授であったりすることがままあります。この人たちは身分を隠してやってきます。ただのおじさんに見えるので、若い人に厳しいことを言われたり評価されなかったりすることがあります。その年齢でまだこんなところにいるのかと思われたり、冷たい対応を受けたりもします。そこの業界だけが世界の全てであれば確かに正しいのでしょう。本業ではあり得ない待遇です。あえて普通の人になることによって自分と向き合っている人は多いです。そのために身分を隠しているぐらいなのですから。

感性が足りないということになりますと、その分野に行くと恥をかくことも多々あることが想定されます。これをまず受け入れなければなりません。「お前のような堅物が?」と言われて嘲笑われます。普通にあることです。「お前には無理」もあります。このような状況に直面したら、自分は挑戦していると自信を持ってください。上手くいかない時は周囲に問題があると言うのではなく、全部自分が悪いと考えて下さい。他人はどうでも良い、自分のためにやっているからです。自分は1年やっているが、今日来た彼は1日目の初心者、ですが、どんな人でも自分より上だと考えて下さい。若い男性、年配の女性を軽視してはいけません。自分と向き合って下さい。爆発的に進歩する要諦はこれしかありません。才能ではありません、姿勢が重要です。成功している人は皆、こうです。手を出したらその瞬間、初心者、次々に手を出すと万年初心者です。課題と限界に挑戦して下さい。

機械マニアの男の子が大きくなっただけという頭の固い男性は多いですが、しょうがないです。ずっと働いてきたのですから。本当は20代は遊んでないといけないのですが、それは難しい、わかっていると隙間を縫ってやるのですが、教えてくれる人がいなかった場合、取り返しがつきません。彼らを救済したいという考えはあるのです。感性豊かに生きた方がいいじゃないですか。しかし、感性は努力しないといけません。知性は無為に過ごして身につきますか。感性も同じなのです。文学とか音楽とか絵画であるとか、旅行とか、そういうことが必要なので、生活の中で時間を探して取り組んでほしいですね。意義のある遊びをやってほしいのです。そこでレンズに手を出したのは非常に良かった、ですが、それだけではいけません。茶をやるとか、色々やってみて下さい。違う世界というのは、そこにだけ存在するオーラがあります。これをたくさん体験して下さい。わかりやすい例では、例えば配偶者からの評価が今ひとつ、そこでミラノに行ってイタリア人に接するとします。1週間ぐらいで帰ってきました。行く前と同じですか。そんなことはないわけです。おちょくっていると思いますか。それはない、本当のことをお話しさせていただいているのです。体験というのは重要です。門前の小僧、習わぬ経を読むという言葉もあるのです。ですから、努力努力と頑張る必要は必ずしもない、こともあります。やがて自然と描写はわかるようになると思います。徐々に、ではなく、突然覚醒することが多いと思いますが。ある人が10%だったとします。努力して体験を積み重ねて80%に成長します。ですが、それでは結果は出ません。表れるのは100%を超えたもの、110%になったら溢れた10%が表面に出ます。すぐに挫折しないようにして下さい。そしてレベルの低い自分という分野を何がしか探して下さい。100%を超えた分野だけに関わって胡座をかいていると馬鹿になります。常に自分の限界と向き合っていると見えてくるものが増える筈です。



「花影」ともう2本、私の好きなレンズがPENTAX Soft 85mm F2,2と言う、軟焦点レンズと、約60年前のContaflex Pro Tessar50mm+M1:1を、SONYα7IIに装着使用。超macroレンズ、花はほぼ開放値で撮る。

写真学校のstudioでPENTAX softレンズで撮ったのを、添付しますがF8です。双子のスタジオ作品、昨日父親の福島市の割烹「ますふじ」若旦那が、フレームに入れた作品受け取りに来て、又々 感謝されました。母親が、私の長女と中高短大と同期で、其処から頼まれ、撮る様になった双子です。

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同レンズF5,6で撮影、シャッター1秒でストロボ発光し、ワザとブラして撮った作品で、オシメの頃から撮って居る、2卵性双生児です。
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日本蘭野生種「大輪トキ草」、「花影」開放値で撮ると、後の水滴が被写界深度の距離により、変化します。このbackボケが、Lensの味、距離と光線により凄い違いが出る。私はどのレンズも、開放値でfocusドンピシャリに、眼を訓練しているが、兎も角軟焦点レンズは慣れが一番です。
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「春蘭」、60年前の前玉交換式cameraのLens。Contaflex Pro Tessar50mm+M1:1、Berlinでボディーからレンズ外して貰い、NEXマウント装着で撮った。macro一本やりのレンズで、focus合わせ一番難易度高い。
青柳先生作品74

日本野生種蘭「春蘭」、私の曾祖父も大好きだったと言う、みちのくのほぼ何処の山中にも自生する、日本古来の野生蘭。絶滅危惧種故、根っ子は残し、茎上花のみ採取するが、当地半田山地下2000mから汲み出す、ミネラル水で早朝撮れた。

「金剛水」、市販され身体にも良いと言う、凄い水です。この香村「金剛水」のお蔭で、椎茸ジッチの花も活き返る。PENTAX新宿フォーラムでの写真展用に、この水紹介する為、チラシ作って居たので、添付する。夕方届く「花」、早朝撮影する時は、ピンシャラとして活き活きする程、効果在る水です。
金剛水

御子が両手を広げた様な「春蘭」。大きさ、15mm位。レンズ前玉と、「春蘭」が接触する程の接写で、光線もストロボ3灯を、back2灯とトップから、精密精緻と言う言葉がピタリの光線組立、撮った作品です。

こうなると、フードは自製ハレ切りで、凌ぎます。ハレ切りの効果は、抜けが良く、切れのある作品となる。

貴兄blog(注:本頁のこと)を何時も観ている方から、「春蘭」は知って居たが、作品として撮られたのを観たのは、初めてだが可愛いとの評価。「出来れば、全体がどんな姿か観てみたい」との要望が、来た。

「春蘭」も野生種日本蘭で、15mmの筒(つつ)に入る程、小さい花。更に、日本蘭は茎で切り取ると生命力が弱く、直ぐ萎れるので、「金剛水」の力を借りて、午前2時頃撮影。「春蘭」の、一番華麗な時を切り撮った作品。PENTAX KI MII+DFAmacro100mmF2.8 & soft85mmF2.2
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SONYα7II+LEICA macro ELMAR-M 90mm F4
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この水、当地の医師会長から紹介され、妻が腎不全で、水が普通に飲めなくて、飲ませられる水として、購入。

その冷水で、シングルモルトを割ると、別次元の味となり、私専用水割り用必須水となってしまった。試しに、「花」を活けたら書いておいた様に、山から夕べに持ち込まれ、萎れて息絶え絶えだった花が、早朝活き活きと頭モタゲた。驚き感激して、こうして野生の花を早朝撮ってこれたのが、この水のお蔭でした。特に華奢な日本蘭には、効きましたね。

炭酸水素イオン水が、効くそうで、独でこの水を岩塩鉱山迄飲みに来ていた日本のツアーgroupに、遭遇した事もある。福島県桑折町で同じ水素イオン水が、汲み出されていたのです。

隣町に、1189年頼朝と藤原泰衡が戦った、「阿津樫山の戦い」と言う、古戦場跡があり、頼朝勝利し昭和の藤原泰衡遺骨調査で、平泉中尊寺の棺に数粒の蓮の種発見。それを、育て古戦場の縁で有志が戴き育てた、古代蓮の花。これも、スタジオ光線で撮る時、「金剛水」に活けたら、11時間掛けて漆黒のstudioで、開花した。多分、開花は蓮沼以外撮れないでしょうと言い、関係者が驚く程、水の活性力、水の威力ソノモノだった。

何れにせよ、野生の花達、特に蓮開花をスタジオで撮るのは至難。それが、蓮田の関係者の協力で、早朝2時頃受け取り、撮った。日本蘭と違い、花がとてつもなく巨大、大変な撮影でした。昨年写真学校preオープン時、この花をポスターとカードに使用した。
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色違いの蓮も撮って居たので、添付。紫蓮は、後に私の写真展用ポスターと葉書の為、デザイナーChoiceで作ったが、格調ある作品となり、評判上々だった。
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青柳先生作品ポスター


これ等作品、色々愉快な、想い出と共に、心に残ります。
青柳先生作品アグネス・ラム

ワイキキビーチの作品は、Hawaii観光局が噛んでくれて、ビーチから写真に入る背景の方々に、少し動いて貰い撮った。あの混雑したビーチから、人払いしてくれたアルバイトが、Hawaii大学写真部学生。

彼等、私の助手を遣りたいと、集まってくれた程。当時平凡パンチも、Hawaiiで読まれて居たからでしょう。然し、日本から連れて行った、優秀な助手の動き観ていて、プロ助手の日本男子凄いと大絶賛でしたね。

この作品、アグネス・ラムの写真集に使う予定が、Hawaii観光局の広告に使われた、作品です。背景ビーチに、観光局ロゴで、Hawaiiと一語入った。

1976年平凡パンチ別冊と謳い、アグネス・ラム以外のHawaiian girlsも、初代Miss Hawaiiの、ローズマリー・アルバロが、モデル集めしてくれた。観光局全面バックアップの写真集、「アグネス・ラム」と「Hawaiian Girls」となり、発売1週間で60万部完売。

タヒティ作品も、タヒティ観光局から依頼され撮った。モデルが何と、中国系女性で、Chainese BonBonと言う仇名の子、ポリネシア系で無かったから、夕陽のシルエットで撮った。当時相当有名なダンサーで、観光局推薦モデルだが、中国系ではタヒティの印象も良く無いと考えて、シルエットで撮ったと言うワケ。
青柳先生作品タヒチ観光局

開高健のキングサーモン、salmonを抱いた作品と、こちらも有名になり、開高健の釣り関連で良く使われる。もう一人が、スタジオで撮った麻田奈美、私のポートレートは、アイキャッチを入れる事が特徴。アオヤギlightingで、柔らかく撮った作品です。
青柳先生作品開高健キングサーモン
青柳先生作品麻田真美


60年間撮って来たが、依頼されて撮影するのが、私の職業。一番難しかったのが、彫刻家・三澤憲司から依頼された、彼の膨大な作品群を写真集にする仕事だった。物言わぬ石像、鉄剥き出しの塑像、彫り込んだ木彫等々。ピカピカのステンレスに、黒い石を噛ませた作品、ストロボ光線が反射し、露出比の違い、撮る事を考えて作れよと言った程、難易度高く悩んだ。然も大会社の、ロビー窓越しのど真ん中に鎮座。

彫刻家が、貧乏な頃石をかじって耐えたと言わしめた、海岸のオムスビ大の石コロ彫刻を観た時、撮った時、全てその後の撮影が閃いた。彫像、彫刻にも、作家の心が秘められて居た、それを惹き出そうと・・・。

次の難易度が、子供達で言う事聞かない、動き回る、怒ると泣くと言う子供の特権があり、こうして撮りたいと思うけれど、撮れない。スナップ写真なら問題無いが、演出して撮る難しさ、「花」より至難。伊達に「ワサビ」と言うイタリア料理の店があり、オーナーシェフ末永俊一郎が、徹ベルリンのコーディネートで、フィレンツェで結婚式上げた。子供を授かり、当然の如く撮って上げ様と企画した。

我々の年代は、戦後のモノの無い頃で、海水浴の水着すら無かった。そうだ、褌(フンドシ)で撮ろうと決めた。両親が居たので、楽だった。これ等作品出来上がったら、今度はこれは使えるとなり、添付の如し。プロの悪しき点、使えるなら直ぐ、デザイナーに渡し、指示してしまう。それ等と、双子子供の頃の写真、少しお見せします。
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子供の写真撮れ無くて、悩んでいるヒトには褌姿、好いヒントになった筈、プロは兎に角観て貰わないと、仕事が達成出来ないから、あれこれ面白さ考えるのです。小さな日本蘭も、光線を組み立てる時、難しさが、無類の撮る意欲となる程、楽しいひと時なのです。
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プロとして生きて来て、撮って来て、難易度高ければ高い程、撮りたい意欲は増す。然し、カメラマン成りたての頃20代前半、ファッション誌からオーダーが来た。だが、1年間撮って見て、私には面白く無かった、興味も湧かなくなった、誰でも撮れるのではないかと、結局以後お断りした。商品撮影も面白く無いから(写真家の意図と違い、制約多過ぎ、クライアントが絶大な権限持つ)一切お断りして来たが、「花」は別モノだった。クレームもナシ、時経れば、自然の条理で枯れ行く運命、そこに儚さ感じる。

「花」は、『枯れても、薫香を残した』と、心に言い聞かせ華麗さ、可憐さ、薫り高い、小さな花の姿を残すのが、私の役目となり、楽しみ増えた。

Mad Pappyは、次女(多摩美)親父が、「雷親父」だと、私のワッペン作り学校の、応募展で入賞した作品です。
madpappy

私の宝物、動く玩具、JIMNY JL-20 1972年製(50才)は、長く奥鬼怒温泉郷「加仁湯」に置いていた。現在、oneオーナーで、これ程綺麗なジムニーは、世界にも無いし、唯一のジムニーだと、JIMNY誌取材の時驚かれました。20数年前、伊達に持って来て以来、長い滅茶苦茶使ったお詫びに、今は車庫に入れ、雨の日、雪の日は乗らないと決めた。次回御出での時、天気晴朗ならばドライブに、御招待します。(小店注:達人列伝もご覧ください)。寛仁親王殿下も、奥鬼怒にお成りの時、御乗車となった。
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JIMNYを写真学校で撮ったのは、何時か何処かに展示する事になった時の為用、元小学校の玄関の大広間に置いて見た。又は、私が逝った時の為にも、何処かに展示出来れば、格好の記念にもなる。これで、前窓倒して置けば、面白い車昔こんな車在ったのだと。
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昨年春に、JIMNY誌が取材に来て、この雑誌オーナーが詳しく、私の車は世界で唯一oneオーナーだと認定。鈴木修元会長(スズキ自動車)も、JIMNYと麻田奈美作品贈呈したら、会長室に掲額してくれました。
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岩魚が呼んだ」電子版に、詳しく書きましたので、どうぞ。
青柳先生作品開高健1
青柳先生作品開高健2
青柳先生作品開高健3
青柳先生作品開高健4
青柳先生作品開高健5
青柳先生作品開高健6
青柳先生作品開高健7
青柳先生作品開高健8
青柳先生作品開高健9
青柳先生作品開高健10
青柳先生作品開高健11
青柳先生作品開高健12
青柳先生作品開高健13
青柳先生作品開高健14
青柳先生作品開高健15

特に右目を輝らせた(超小型ストロボでアイキャッチ入れた)作品、開高さん一番好きだと言い、「コレ、宜しいな、お主やりますナ」と、おっしゃった肖像写真です。
青柳先生作品開高健16

小学館から「誰も見たことのない開高健」の、私の頁掲載分。
青柳先生作品開高健17

私は寛仁親王殿下25才の時から、写真撮って差し上げ、良く殿下の宮邸に出向き、一献傾け信子妃殿下とも飲んだ。彼女が伊達に来てくれて、私と話しして帰京すると、とても元気になって、掛かり付けの慶大医学部教授から、「伊達に名医アリ」と言わしめたが、仲良く飲んだだけ。

そんな事から、マガジンハウスに話し、「思い出のさきにいつも家庭料理」を、プチホテル貸切、スタジオ作り撮影。上梓したが、葉書先に送っているので、是非母上に魅せて上げて下さい。
青柳先生作品料理本

太平洋に浮かぶ、蝶々島を多分私ノミ撮っていたので、これも楽しんで下さい。後刻、VISAのカレンダーにもなりました。
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私の飼っていた猫「ハナ」、これも写真展用に使い、皆さん青柳が猫を撮ったと驚いた。それ等作品を、「ターナー誌」に纏めて掲載、読者も喜んでくれました。2018年4月亡くなり、現在は猫「フジ」を飼っているが、坐らせてカメラ目線の猫「ハナ」好いでしょう。
青柳先生作品96

今は廃刊となった飛鳥新社の編集長が、青柳陽一の部屋を読者に魅せたいとなり、撮りに来てくれた。私の趣味は、岩魚→キャンプ→料理→ナイフ→MINOXとなり、結局プロの仕事に回帰、MINOXの現像引き伸ばしはこれも難易度高く、故に面白いカメラです。

私の周りは、結局これ等夫々プロも集い、侃侃諤諤と、次なるモノが産み出される。ナイフは、御徒町のナイフプロ岡安一男が居て、開高健用ナイフを私がデザインし、創り上げた。釣りは銀座東作(現在店を畳んだ)が、全てフォローしてくれた。


30年弱前、伊達市から依頼され観光用広報誌に、原稿連載していた。その後2004年東京三田のstudio機能他、全て伊達に移動した。その少し前、担当者がカメラ好き故、普通の人に分からなくとも、残したいと言うので、書いた。見開き全て、LEICAとソフトlensの事、然しクレーム一切ナシ、市役所側も私の事理解してくれたと、思われる。その後、この作品をプリントして掲額したいと市役所、softレンズ作品も、これで認知されたと思われます。
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パジェロがパリダカラリーで、全戦全勝の1980年後半今迄の広告広報と一味違う、パジェロの広告表現を模索した。

広告媒体用撮影を、縛りなく自由に世界の道を走らせ、連載で撮って見たい。

三菱自工宣伝部を口説き、サンデー毎日編集長を口説き、艱難辛苦の後OKでた。「世界の道から」とテーマ決定、一つの国を、2週間取材し8週分を撮ると言う基本も決まった。以後、アトランダムに、世界を走った作品紹介します。

1995年から、1997年後半に、三菱自工クレーム隠ぺい事故で、全て頓挫した。

当然銀塩の世界、富士フィルムがベルビア等、KODAKを凌ぐポジ生産した。カメラは、PENTAX 645をメーンに、35㎜を補助、レンズは広角から望遠迄持ち込んだし、三脚も必須アイテム、機材は相当の重量オーバー。JAL協賛を御願いしたからこの問題解決、車は各国の三菱自工支店が新車用意してくれた。

南ア取材で、ケープタウンに向かう前、地図にレソト王国なる国家が、南アのヘソ部分に存在した。では、ビール飲む為寄り道しようと、入国。この国は、アフリカに在りながら、高地故冬はスキーも可能、登山でも有名。ビールは南ア製で、空気がやや高地の国、車も少なく、透き通っていた。
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旧東ドイツ、カールツアイスに向かう路、私にとってTESSARはプロになってからの付き合い、一際親しさを感じ撮るその時、自転車集団が通り抜け手を振って走り去った。まるで、仕込んだ様な作品となった。
青柳先生作品105

ニュージーランド富士と言われる、タラナキ火山2518mと富士山より低い。NZは、日本と同じ右側通行、車も少なく、治安も良く、人間より羊の方が多い島国。人々、大変親切だが、田舎の方恥ずかしがりやだった。
青柳先生作品106

オーストラリアの文化都市、アドレードからシドニーに向かう路。両サイドは、砂漠地帯でカンガルーが走り回っていた。早朝、雨の少ないこの地、道路に結露した水滴求め、アチコチでカンガルーを観た。そこへ、パースに向かう大型トラック走り抜け、カンガルーは轢死。然し、猛禽類や、食肉獣が出現、アッと言う間に道路は何事も無かった如し。凄さ垣間見た。
青柳先生作品107

SPAIN・Toledo、「トレドを語らずして、SPAINを語るな」と、この撮影したパラドール・レストランオーナー。それ程、彼等自慢の古都。画家グレコが、愛した街としても有名。雲間からの、スポット光線が街を照らす迄、ほぼ4時間余、悠々として時過ぎるのを待って、撮った作品。
※パラドールとは、修道院、古城、貴族の館等をホテルや、レストランに改築し国営管理とした建物の総称。古い建造物。非常に味のある、建物が多い。
青柳先生作品108

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