無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

肖像写真の標準を確立した ニコラ・ペルシャイド
「花影」S3 75mm f2.4

2015.02.01

 映画用収差の原点がペッツバールまで辿れるとすれば、写真レンズの場合はダゴールではないでしょうか。この両方はもっと辿ると単玉にまで至りますが、こと"収差の原点"ともなりますと、後代にまで影響を与える基調となるものを確立したという意味で、ペッツバールとダゴールの影響は非常に大きなものがあります。この2種の発展に大いに関係したのはラピッド・レクチリニア(RR)でした。ダゴールはRRに対し貼り合わせを増やしたもので、これが後に剥がされて対照型の4枚編成となり、その内側がまた貼り合わせRRとなったものがガウスでした。ペッツバールはRRから後群の貼り合わせを剥がしたものでした。ペッツバールは肖像用として設計されました。しかし徐々に疑問を抱かれるようになってきました。初期の頃こそ各社ペッツバールを生産していましたが、やがてRRに変えたりトリプレットを採用するようになってきました。しかしペッツバールの概念が否定されたわけではなく映画分野に応用されて今日まで存続しています。では、肖像にはどのようなものが求められるのでしょうか。昔の状況の場合、大判で高品質な写真を求めるのでボケ玉では具合が悪い、ですが硬いのも困るわけです。あまりに鋭利に写るものは女性が嫌がるからです。実物より綺麗に撮らねばならないというミッションが写真館には課せられています。それでいて品も必要です。ペッツバールには既に疑問を抱かれていたとはいえ、それではどうしたら良いのかという回答が必要とされていました。この時点で回答はなかったかもしれませんでしたが、できる限り市場から高く評価されるものは各社求めていた筈です。最良の回答はあると考えたのが肖像写真家のニコラ・ペルシャイド Nicola Perscheidでした。

ラピッド・レクチリニア
ラピッド・レクチリニア

ダゴール
ダゴール

ペッツバール
ペッツバール

トリプレット
トリプレット

 ニコラ・ペルシャイドの名が当時の欧州でどれぐらい影響力があったかわかりませんが、本人が生涯貧乏だったのは間違いないようです。写真家としての生涯は重要な賞を幾つも勝ち取ったり、ザクセン宮廷写真家、次いで大学教授の職を得たりと、失敗だったとは言い難いものですが、晩年には治療代を支払うために機材を売り払う程まで困窮していました。ペルシャイドが使用していたレンズはゲルツ Goerzのハイパー Hyparでした。トリプレット型(3群3枚)の肖像用レンズです。ハイパーの質を考えればペルシャイドが多くの優れた作品を撮影できたことに疑問はありませんが、ペルシャイド自身は自分の理想とは違うと思っていたのかもしれません。そこでフォクトレンダー Voigtranderに連絡をとり、Zincke Sommerという設計師の助けを得て理想のレンズを完成させました。しかしフォクトレンダーはRRでは時代遅れで売れないと考えてこの企画を却下しました。この経緯は興味深い点を含んでいます。

ゲルツ・ハイパーの広告
ゲルツ・ハイパーの広告

 1つは、ペルシャイドがレンズを発注する時に「特注」という形ではなく「顧問」として話を持ちかけたようだということです。特注であれば自分が費用を負担しなければなりませんが、技術援助としてであれば、メーカーが作ったものを販売し収入が得られる上、自分の懐を痛めずにレンズも入手できるからです。ところがこの話は破談になったので、フォクトレンダーは試作のレンズをペルシャイドに渡さなかったようです。なぜならペルシャイドはこの後、エミール・ブッシュ Emil Busch社に同じ話を持ちかけて、レンズを入手する努力を継続したからです。2つ目の興味深い点は、ペルシャイドがRRで設計するという部分を譲ろうとしなかったことです。フォクトレンダーのような力のある会社ですら売れないと言うぐらいの時代遅れの構成に拘ったということです。販売となるとインパクトも必要ということでいろんな意味でフォクトレンダーの見解が間違っていたわけではなかった筈ですが、ペルシャイドとしてはRRでなければ理想的な描写は得られないと考えていたものと思います。

ニコラ・ペルシャイド Nicola Perscheidの肖像
ニコラ・ペルシャイドレンズで撮影した本人の肖像

 エミール・ブッシュ社はニコラ・ペルシャイドレンズの特許を取得しています (独特許 DE372059)。そこにレンズのデータはなく、収差の条件のみ記されています。そしてこれがペッツバールの問題点を克服するものであるとも書かれています。このレンズはかなり成功したらしく、後にトリプレットでも製造されています。レンズ構成は関係なしに当てはめられるということですが、しかしやはりRRが最良だったらしく最終的に戻されています。このレンズにそっくりなのは仏エルマジ Hermagis社のエドスコープ Eidoscopeです。当時フランスは特殊なガラスをドイツに輸出していた関係で何かと特許の効力が除外されることがあったようで、しかし技術援助は受けられなかったのか、ペルシャイドの特許にも明確なデータが載っていないということで、おそらく自社開発したものと思います。少し収差が強い傾向ですが描写はほぼ変わりません。3つほどバージョンがありますので、かなり人気があったようです。エルマジは1934年にSOM Berthiot ベルチオにおそらく吸収されて消滅し、それに伴いエルマジ製品も段階終了しましたが、エドスコープに関しては継続されました。そのため一部ベルチオ銘のエドスコープも市場で見つかります。これらは現代でも焦点距離の短いものは市場になかなか出ないなど高く評価されています。

Nicola Perscheid ガラス配置図

 以前にペルシャイドを復刻した人がいました。欧州の方で、顧客から依頼を受けてのコピーの製造でした。1921年製造の現物からデータを採り、それに基づいて少数製造しました。やがてそのウェブサイトは無くなったのですが、データは公開していたので小店の方で保管しておりました。それは画角が30度、焦点距離は80mmでした。そこを32度に僅かに広げれば75mmにできます。これ以上は難しいと思います。ペルシャイド、エドスコープ共に口径はf4.5ですが、本データはf4.0です。昔は大判だったのでf4.5だったのでしょう。それに対して80mmというのはかなり短くなるのでf4.0と広げたのだと思いますが、もっと広げたいところです。そこで調べるとf2.4まで大丈夫です。色収差は反転しています。

Nicola Perscheid 縦収差図

 ペルシャイドの収差の説明はこのようになっています。球面収差は口径がf5の時に焦点距離の0.25~0.5%を加えるとあります。本設計は0.416%でした。球面収差と色収差は平衡。そして下 横収差図の丸の部分ですが、比較して2~4倍の比率です。こういう収差の設定の仕方自体は独特なものではなかったのですが、どれぐらいの値というところをまとめてこれがペッツバールよりもふさわしい肖像レンズのあり方だと定義したところに深い意義があったと思います。そしてこの計算方法を明文化してそれによって特許を取得、その上で旧式のレンズ構成を批判する顧客には特許を示して新しい発明ということを提示するということだったのかもしれません。そのためにパテントナンバーを胴体に打ったということは考えられます。このレンズがセールスにならないとフォクトレンダーが気がついたのであれば同じぐらい歴史のあるブッシュも同じように考える筈です。そこでペルシャイドがこの "奥の手" を提案し、ブッシュを納得させたのだろうと思います。推測の域を出ませんが、これぐらいしか相応しい説明が思いつきません。こういう販売上の工夫があったことで、レンズが世に出たこと、そしてペルシャイドが妥協せずに済んだことは良かったと思います。

Nicola Perscheid 横収差図

 このレンズがかなり入手し難いということは、しかもオリジナルは大判ですから、必要としているところは現代でもだいたい商業写真館です。ペッツバールは安値で買えるのですが、ペルシャイドは買われてしまって特に短いものは見つけるのがかなり困難です。それに、ライカ判で撮れる方が良いです。既に100年経っていますけれども、ペルシャイド、エドスコープのようなレンズを超えるものは出てきそうにないので「写真館的な最良の肖像レンズ」として復刻の意義はありそうです。

ニコラ・ペルシャイドの撮影例
ニコラ・ペルシャイドの撮影例

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