無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

描写がやさしく穏やかな
キノ・エクスプレス「香箋」G1 35mm f1.9

2021.04.07

 英ロス Rossのエクスプレス Xpresはf3.5あたりがテッサー、f1.9がガウスでこれはキノ、さらに広角オルソメターもあります。すべてデータがありますが、広角に関しては第一次大戦の航空撮影に使われたぐらい無収差なのでこれは不要と思います。ガウスなのですが、これはキノ(映画用)に使われています (英特許 GB323138)。ダルメイヤー Dallmeyerにスーパー・シックス Super-Sixがありますので、これで充分とのことでキノでいったのかもしれません。

キノ・エクスプレスの光学図
キノ・エクスプレスの縦収差図
 これも公開されているスーパー・シックスと同じ35mm f1.9なので比較しやすそうです。すぐに気がつくのは、収差が全部逆張りということです。比較のため、スーパー・シックス(下)の縦収差図もご覧いただきます。
スーパー・シックス35mmの縦収差図
 目立っているのは球面収差が多いということです。スーパー・シックスのマイナス0.4はかなり多いです。かなりの突っ込みです。一方のエクスプレスもプラス0.6ぐらいで、こちらはプラスなのでまだマシでしょうね。しかも双方、35mmなのでこれが50mmとかそれ以上になるともっと増えます。50mm標準で考えると凄い量です。このエクスプレス、キノということなので横収差図もご覧いただきます。
キノ・エクスプレスの横収差図




 ロスはロンドンで最も古参の光学会社で、独ツァイス Zeissの英国代理店も務めていました。そのため、ツァイスが開発したレンズはライセンス提供され自社で製造して英国国内で販売していました。1903年に発表されたテッサー Tessar (独特許 DE142294)もそうで、ツァイスのライセンスを明記した上でロスが製造販売していました。そうであれば、そのまま作っていれば良かろうと思うのですが、ライセンス料に不満があったのか、それとも自分たちでも開発したくなったのか理由は定かではありませんが、ともかく1913年にロスの2人の設計師 ジョン・スチュアート John Stuartとジョン・ウィリアム・ハッセルカス John William Hasselkusがテッサーを改良したエクスプレス (英特許 GB29637)を作りました。

 特許は20年有効と決まっていましたので、この時点ではまだ先10年はツァイスのライセンスが有効でした。そのためこの特許を回避するために、後群の貼り合わせを2枚から3枚に増やすことが多くの光学会社で試みられていました。ロスもこの方法を使ってエクスプレスを開発したようです。そしてツァイスの特許が切れてから各社は貼り合わせを2枚に変更しました。エクスプレスも2枚になりました。

 特許データはf4.5とかなり暗いもので、オリジナルのテッサー(f6.3)に比べれば2倍になっているとは言え、現代の基準では相当低いスペックです。テッサーはそのさらに倍のf3.5まで明るくされて、しばらくはこれぐらいが常識でした。新種ガラスを投入するようになってf2.8まで上げられました。エクスプレスの光学図と収差を確認します。

エクスプレス 光学図
 画像周辺の光量が減りそうですが、指定通りなのでとりあえずこのままいきます。

エクスプレス 縦収差図
 画角は60度ありますが、そのままで焦点距離は50mmで出しました。特徴は3枚重ねの部分で屈折率が順に上がってくるというところでダゴール的なガラスの使い方です。特許を回避する目的の場合は3枚の内、2枚にほぼ同じ屈折率のガラスを使う例が多くあります。また3枚重ねの積極利用としては同じガラスで中央の異種ガラスを挟むというものがありますが (米特許 US1697670)それとも違います。それでも後代の2枚になったエクスプレスを見て劣る要素は見当たりません。

 球面収差はマイナスです。エクスプレスはテッサーの特許失効以降、仕様が2枚に戻されてから中判カメラ用に供給されました(絵画のような描写のレンズ2~3)。フィルムサイズに応じて3種、供給されていました。特許と比較して明るさが向上していますが、開放からシャープなのは変わりません。当時の中判カメラには前玉を回転させることで距離を合わせる簡単な方法が主に使われていて、エクスプレスもそういう構造になっていました。この方法は収差移動があるので、全群移動に比べて性能が劣るとされています。事実、理論上はそうなのですが、これを逆手にとったようなロスの方法は興味深く、距離によって移動する収差が様々な表情の移り変わりを見せるようで非常に魅力があります。エクスプレスは収差の少ないレンズですが、その中に癖となる特徴は含んでいて、それがより近いものを撮った時に表面化して味わい深い作画になるようです。エクスプレス以外の前玉回転のレンズも無限遠では開放でも非常にシャープに撮れるように作っておいて、近いものを撮った時にあまり収差の影響に悩まされないように配慮しているのですが、それでもあまり良くないものが多いのは確かです。しかしエクスプレスは土台が良いのか、収差が出てきた時の方が良いし、無限遠であまり収差を出したくない場合では優秀なので、絞り調整を考えることなく全部開放で撮影できるというのは考えようによっては便利だと思うのです。開放で何でも撮って良しなので、考えないといけないことが減ります。距離による収差の変化は以下です。

エクスプレスの収差図10m
エクスプレスの収差図5m
エクスプレスの収差図3m
エクスプレスの収差図1m
エクスプレスの収差図0.7m
エクスプレスの収差図0.5m

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