無一居

空想のレンズを作ってしまう「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

ヴィンテージレンズ相関図

レンズを地域ごとに分類してみます - 2012.06.01


 まず世界のおおまかな製造地について概略に触れた後、それから以下の地図を細かく見ていき、さらに地図外へと広げていきたいと思います。

ヨーロッパのレンズ製造地図
地図をクリックしますと別ウィンドウで開きます。

 写真レンズの発祥はパリ(地図上P)で、その後の革新は当初はロンドン(L)が主導しました。やがてドイツが大勢力となっていき、その栄光は日本の台頭まで続きました。レンズの多様性という観点からはやはりアラブ、印度、南米のレンズなども見てみたくなりますが、残念ながらなさそうです。

 ラテン系についてはイタリア(I)のものがありますが、いずれもフランスの影響を受けています。とはいえイタリアはフィルム会社フェラーニア Ferraniaを設立するなど独自の魅力を育んできました。スペインは1920年代バルセロナに、オルフェオ・シンフォニカ Orpheo Sincronic Sociedad Anónimaというプロジェクター専門のレンズ会社があったようですが、今や極めてレアで撮影用レンズはないようです。戦後にはヴェルリーザ Werlisaという会社がマドリードに設立されコンパクトカメラを販売していました。製造はバルセロナのセルティックス Certexで、この会社は今でもデジカメ用のパーツを製造しています。ヴェルリーザは現在ではトイカメラ扱いで作品はロモグラフィーなどに投稿されています。

 ギリシャにもレンズがあれば非常に興味深かったと思います。かなりグロテスクな描写が楽しめた筈です。デンマーク製がないこともオランダ(N)のレンズあたりを見ると残念だったのではないかと思います。デンマークはオルトフォン Ortofonに代表されるような風格がありますので、オランダ製同様、格調高くて渋い味が楽しめた筈です。しかしゲルツ・ベルリン Goerz Berlinの全盛期のレンズはデンマーク貴族の末裔による設計でした。印度は数学、映画大国なので自国の製品があっても不思議ではありませんが、これまで見たことはありません。しかしインド人の設計したレンズであれば存在します。言い出すとキリがありません。

 ガラバゴス諸島のレンズですか? 某島国にあるんじゃないですか。「携帯」という機械に付いてそうですが。しかも表と裏についてると。高麗の色彩感覚はたいへん美しいので、もし古い朝鮮のレンズがあったらおもしろかったと思います。北朝鮮が作っているかもしれませんので捜索していますが、いまだに見つかっていません。もし発見に至れば、描写が結構凄いんじゃないかと思っています。かつてはローライ Rolleiやフォクトレンダー Voigtranderがシンガポールで製造していた時期もありますし、現代の日本のメーカーの一部はタイの製造です。ライカはポルトガルに工場があって、おそらく今もあります。しかしこのあたりになってきますと人の感覚が光学特性に与える影響が非常に少ないと思いますので、ローカル色は期待できません。韓国のメーカーのものは韓国で作っているのかどうかわかりませんが、これも同じ理由で特色は期待できません。北朝鮮はどうでしょうか。現代のものであっても結構興味深いのではないかと思うのです。(私は北朝鮮の文科省の一部門と思われるところへメールしました。情報を掴めば私は北京在住ですので、高麗航空にて平壌へ飛ぼうと思いましたが、現状音沙汰はありません。そして帰国してまた中国に戻る時に関空のイミグレに長い注意書きが貼ってあってそれによると、経済制裁中の北朝鮮と交易する者は法律により罰せられるとあります。こういうことであれば、発見に至ったとしても自分用に1つ購入するのみに留めるしかありません。その場合は、交易に当たりませんのでコラム欄にて紹介するつもりです。)

 地図以外の地域でも製造しているところはあり、米国、ロシア、中国、そして日本ぐらいです。日本以外は大国です。しかし最も成功したのは日本です。地図上の、或いは地図圏外のどの国もドイツの影響を強く受けています。

 それでは地図を細かく見ていきます。まず図に示されているアルファベットを確認します。

 各国の光学会社は軍事と結びついていますので、異民族間の交流がそれほど強くなく、そのため民族色豊かな感性を保持しています。地図上に記載のものはすべて独自の個性を持っています。

 パリのレンズは最も古いものですが、感性の面ではその他のどの地域にもほとんど影響を及ぼすことはありませんでした。ただ戦後にソン・ベルチオ SOM Berthiotがイタリアの光学会社にガラスを供給したことで、イタリアとは密接な関係があります。しかしイタリアは戦前戦中にはゲルツ Goerz、ツァイス Zaissから援助を受けていました。

 ロンドンはパリよりも少し後発ですが、歴史上重要な革新を行い、後のドイツによる完成期への道筋をつけました。戦前の映画の黎明期には同じ英語圏だったロンドンの光学会社がハリウッドへ優れたレンズを供給し、やがてドイツも関わるようになっていきました。ドイツはナチスによる国策的な振興の良い面が戦後にまで遺産として引き継がれ、しばらく世界への強い影響力を維持しました。

 ドイツの光学は当初、ロンドン派の影響が感じられましたが、徐々に独自色を染み出すようになっていきました。この黎明期には国内の地域による大きな差異はなく、最初期には主にベルリンのゲルツ Goerzが主導しました。ダゴール Dagorは傑作とされ、このあたりにドイツ光学の原点を探ることができます。その味わいはドレスデンのエルネマン Ernemann、(地図上小さな点を右から) イエナのツァイス Zaiss、クライツナッハ Kreuznachのシュナイダー Schneider、ウェツェラーのライツ Leitzに影響を与え、ドイツ古典派を完成させました。

 しかし1926年の大規模な事業統合が大きな転換点になりました。統合で参加企業の1つだったドレスデンのエルネマン本社を引き続き統合企業の本社とし、社名はツァイス・イコン Zaiss Ikonとしました。この時にゲルツも吸収されました。巨大化したツァイスは、繊細で詩的な表現を持つ古典派から徐々に脱し、コントラストを高めることで求心力の強い画を模索する新ドイツ派を形成しました。しかし古典派の味わいは見捨てられることなく、ドイツ各地に散っていきました。

 ゲルツ-エルネマンの系譜を引き継いだのはフーゴ・メイヤー Hugo Meyerで、戦前にはツァイスのパウル・ルドルフ Paul Rudolphを迎えて新ドイツ派の一角を占めていましたが、大戦の壊滅的なショック以降、やがて古典へと回帰していきました。これを以てドレスデン派の特徴となりました。戦後の東独ツァイスが表現したノスタルジーは、その最高の結実です。

 ベルリンにはゲルツ以外に別の分野、天体観測のためのレンズから出発したアストロ・ベルリン Astro Berlin社がありました。デンマーク貴族によって味わいが確立されたゲルツとは異なり、アストロの感性にはゲルマン魂が宿っていました。ドイツ帝国の首都から空を見上げる人々によって作られたレンズは、儚き夢とロマンチックなパステル調の上品で穏やかな色彩を滲み出すようになりました。ベルリンに本社を置いていたこともあるシュナイダーがベルリン派を引き継ぎ、それは現代のライカに継承されています。

 ミュンヘンには多くの光学会社があり、それぞれ個性的で百花繚乱の様相を呈していましたが、古典派の繊細さと見る者を惹き付けてやまない色彩感を両立している点においては共通していました。ローデンシュトック、シュタインハイル2巨頭による強力な求心力を背景に、キルフィット、シャハト、エンナといったミュンヘン派の小工房が魅力を開花させました。

 ミュンヘン派がこのような色彩感を獲得した背景には、北のツァイス、国境を挟んで南側のスイスの職人たち両方の影響があったことは否定できません。しかしその影響をそのまま享受することなく、古典派の味わいをも軽視しなかったことはミュンヘン派の重要性を高めています。同様にミュンヘン派とパリ派の影響を受けつつ独自の高みに達したのは、スイスのケルン Kern社でした。精密工作の国ならではの異常な解像力と蕩けるような濃厚な色彩感は他の追随を許さないものがあります。

 ドイツ古典派、そして後のナチス(欧州と世界の文化の発展に壊滅的な打撃を与えた反面、ある部分では大きな発展に寄与するなど功罪いずれの面でも大きな影響があった)の影響を受けた光学会社はドイツ国内だけではありませんでした。なぜならナチス・ドイツは一時期欧州の大半を支配していたからです。その頃に設立された光学会社は、オランダ チェコ ハンガリーにもあり、これらは戦後ローカル色を強く滲み出したレンズを製造していました。デルフト Delftやメオプタ Meopta、MOM(Magyar Optikai Művek)の3社です。いずれも暗い過去を引きずったような趣がありますが、そのいずれの所在地も美しい旧市街を残しているという特徴があります。古典に回帰したドレスデン派も中心地に旧市街を残している点で共通しています。戦後設立されたと思われるユーゴスラビアの光学会社が製造したレンズも同様の特色があります。ザグレブ Zagrebにはゲタルドゥス Ghetaldusというメーカーがあり、リュブリャーニャ Ljubljanaにはベガ Vegaというプロジェクター専門の会社がありました。これらのオランダや東欧圏のレンズが持つ光と影の対称を感じさせるシリアスな表現は何を撮っても隠れ家的な雰囲気が漂います。静かに世間の喧騒から身を引いたような味わいがみせる影の描写には色気すらも感じさせます。

 ウィーンで創業したフォクトレンダー Voigtranderは、これら全体の流れからは少し異質な感じがします。まだ光学をパリが主導していた時代に最先端の光学設計を完成させたのが、このハプスブルグ帝国の首都であって、その特徴は宮廷の煌びやかな黄金の輝きを感じさせるものでした。しかしドイツが光学の主流になっていくより前に本社をドイツに移したので、もはやオーストリアの光学会社とは言えなくなりましたが、意外なことに個性は損なわれる事なく保たれ続けました。かつての栄光を忘れたくないウィーン人の独特のプライドがそうさせたのかもしれません。

 地図の外にも目を向けていきましょう。旧ソ連は共産主義体制のもと、大戦後に接収したツァイスの技術をほぼ丸のみするような形でレンズを製造していました。しかしドイツ人とロシア人では気質が違いますから、長年の生産活動の中で徐々にロシア色が出てくるようになっていったことが1つの魅力になっています。安価であることも市場で好評され、現在でも多数のレンズが市場に出回っています。中国も東ドイツから技術を取り入れて製造したり、ライカコピーを生産したりしていました。中国のライカコピーは非常に数が少ないのが残念です。日本も同様に、戦前にドイツから技術者を招聘したのが始まりでした。山崎光七が日本で最初にレンズを作った時もガラスを提供したのはツァイスだったようです。日本では枠にはまらず、様々な個性のレンズが作られていました。米国も似たようなところがあり、お互いの国で盟主だったニコン Nikonとコダック Kodakのレンズは重厚感のある写りで相通じるものがあります。

 地域別生産地の区分という観点から、おそらく最も興味深いのは「Empire Made」と刻印されたものです。これは「大英帝国製」という意味です。この印が入ったカメラはおそらく香港製だけです。返還後の製造品は香港製ですが、返還前は大英帝国製です。香港は60年代にハリナ Halinaという会社がPaulette Electricというコンパクトカメラを製造していました。Halinar Anastigmat 45mm f2.8を付けていました。これはトイカメラの部類に入ると思います。

 これが主な世界のレンズの全体像です。多くの人は古典レンズの多くの欠点が修正された現代レンズを選ぶ選択をします。しかしある特徴は写真家の個性を引立てることもあるので、自分に合うものを探す人もいます。見つかるまでの時間や諸々の浪費を抑さえるのにレンズ相関図が役に立てば幸いです。作例はネット上にたくさん見つかるので図を参照しながら比べてみてください。

コラム

無一居Creative Commons License
 Since 2012 空想のレンズを作ってしまう「無一居」 is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.