無一居

空想のレンズを作ってしまう「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

写真の中に桃源郷は見いだせるか1

人は時に現実より美しいものを見る - 2012.10.23


 古代中国に桃源郷伝説があります。ある漁師が川を遡って漁をしていると両岸が桃の木に変わったので上陸してさらに進んでいくと世間から隔絶された平和な土地が見つかり、住民から歓迎されもてなしを受けて帰るともう二度とそこへ行くことはできなくなった、というものです。興味深いのはこの物語を著した陶淵明自身や後の時代の多くの詩人たちが神話や伝説を否定していたということです。それなのに、なぜこういう題材を想像したり使ったりするのでしょうか。それは世の中があまりにも混乱していたので、幸せを見いだすための空想の世界を描き、それを基に啓発的な詩作を行うためだったとされています。そして桃源郷は自分の心の中にこそあると。

 しかし、桃源郷が空想なのは認め難いと考える人もいました。清代の支配者たちは自分たちの力で豪華な庭園を作り 、その中に桃源郷を表す絵画も掲示させています。

ソン・ベルチオ SOM Berthiot テレ-シノール Tele-Cinor 75mm f3.5 頤和園 桃花源
「桃花源」 頤和園 長廊、北京 中国

 空想を認め難いと考えるのは古代の支配者たちだけではありませんでした。何を隠そう私自身がそうであって、空想ではなく現実に、そして現実を超えた画を印画紙上に見たいと、心の中にあるだけでは無いのと同じで、結果をしっかり出さないといけない、はっきり"桃源郷を見たい"と祈念しているわけで、今日から皆さんにも同じ想いで共有させていただきたい、選挙演説みたいになってきましたが、実際のところ、写真家がこのように考えるのは当然であります。上の頤和園の絵画のように色褪せているようでは具合が悪いのです。

 レンズの設計者の中にも"桃源郷"を探していた風な人がいたのは、撮影師にとって見逃すことのできない点です。まず最初に想起されるのはライツ Leitz社のマックス・ベレク Max Berekで、彼のレンズは現実を超えている点で「桃源郷志向的」だと言えます。そして彼がライカ Leicaのためにより明るいレンズを求めた時に自身が設計することができず、当時シュナイダー Schneiderに在籍していたトロニエ(Albrecht Wilhelm Tronnier 1902~1982)によるクセノン Xenonが採用されたのはよく選定されてのことだったと思います。なぜならトロニエによって設計されたこのレンズも「桃源郷志向的」だと言えるからです。(ライツ社は後に買収などを経て現在はエルメス傘下の企業となって社名も「ライカ」となりました。ライカのレンズの高級なものは設計がシュナイダーに外注されていると言われています。両社の関係は非常に長期に亘ることになります。)

 トロニエの設計したレンズは、戦前のものとしてはこのライカのクセノンが有名とはいえ、必ずしも代表的なものとは言い難いということもあるので、まずはここでトロニエ設計の主な写真用レンズを時代ごとにリストして整理して見ていきます。



 リスト中、戦中イスコ時代の軍用レンズを省けば、おおまかに戦前と戦後に分けられますが、シュナイダー、フォクトレンダー両社の風格を代表するレンズを設計していながら、どちらも違った評価がされている点は注目できます。思うにこの個性はトロニエ自身のものではないような気がします。別の言い方をするとトロニエは設計チームの中で計算専門という位置づけだったのではないかという感じがするのです。つまり試作を作ったら最終的に意思決定する人物が別にいたということですが、その人物の影響力と実際に計算するチームの決定権のバランスがレンズ毎に違っている場合、結果も必然的に異なったものになってきます。

 そこでトロニエ氏優勢と思われるレンズを見ていくと例えば戦前ではクセノン Xenon f2のもの、戦後ではツァイス/フォクトレンダーのウルトロン Ultronですが、これらのレンズの特徴を表すとなるとたいへん難しく、単純に非常に優秀な現代的レンズとしか言い様がないような気がします。戦前のクセノンはコダック・レチナに付けられ、戦後のウルトロンはローライブランドのカメラに取り付けられたものが結構市場に出回っていますが、いずれも安価で評価は低迷しています。非常に優秀ですが愛好家の興味を引付ける要素はないからだろうと思います。これはチーフが明確に存在しなかったことでトロニエの決定自由度が増し、理詰めのみで追求可能だったからだろうと思います。

トロニエの肖像
トロニエの肖像

 どうしてこういう暴言が可能かという根拠は、シュナイダーにしろ、戦後のフォクトレンダーにしても底辺に流れる芯の部分はトロニエの存在に影響されていないということにあります。トロニエがいなくなってもシュナイダーレンズの風格は変わっておらず、ウィーン創業のフォクトレンダーは時代を経ても、ドイツに本社を移転した後も、そしてトロニエ入社後もその貴族的な輝きを失うことはありませんでした。トロニエという触媒を通してより一層洗練されたに過ぎなかったのです。トロニエ自身もおそらくこの欠点を認識していて、それゆえに共同作業が可能だった、設計能力が高いゆえにいろんな要求にフレキシブルに対応できた、他人から「もうちょっとこうして欲しい」と言われたら何でもOKだったことで、そこに自身の価値を見いだしていたのかもしれません。その一方で、トロニエという稀代の数学者の存在がなければ、シュナイダーもフォクトレンダーも大きな成功を収めることはなかったのも確かです。

 こういう環境の中でトロニエ氏の影響力が比較的小さなプロジェクトになったと思われる例として、戦前ではライカ・クセノン、戦後ではノクトン Noktonを挙げることができるかもしれません。これらは大口径レンズとして設計が難しいタイプのものですがそれゆえ、光学特性を追い込んでいった時にあちらが立てばこちらが立たず的な全体をきっちり補正するのが難しい部分が出てきます。その時に何を捨てて何を取るかは理詰めでわかる事柄ではないので、トロニエがそこでどのように適切な選択を導くのか結論を出せなければ、最終決定に及ぼす影響は限定的になります。クセノン1つを取ってもコダックへのf2とライツへのf1.5はあまりに違い過ぎるように思います。そして58年にライツへ供給されたスーパーアンギュロン SuperAngulon 21mm f4は35年にライツへ供給されたクセノンと描写の傾向が似通っていますが、トロニエはアンギュロンの元の設計者であったとはいえ、この時にはすでにシュナイダーを離れて20年以上も経っています。キーマンはトロニエ以外の人物と考えるのが自然です。同じ大口径を作るにしてもフォクトレンダー在籍時のノクトンはまた違います。時代が違いますのでトロニエ氏の変化という考え方もできないことはありませんが、彼の考えは初期のクセナーからカラーウルトロンに至るまであまり変化していないように見受けられますから大口径に関してのみ考えが変化しているのは不自然です。ノクトンもトロニエの作品というよりはフォクトレンダー固有の風格を備えていると考えるのが妥当と思われます。

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