無一居

空想のレンズを作ってしまう「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

「帝国光学研究所」について8

梅鉢と呼ばれて愛されたレンズ - 2014.03.14


千代田光学 ロッコール 45mm f2.8
Chiyoda Opt. Rokkor 45mm f2.8

 千代田光学、後のミノルタですが、ここが作ったロッコールというレンズ群があって、その中で45mm f2.8という中途半端なスペックのレンズがあります。フィルムに焼き付けるサイズをライカよりも少し狭くして、36枚撮りが40枚以上撮れるようにした日本サイズのカメラがあるので、そのために標準レンズを少し短くしたのではないかと言われています。ライカのフィルムサイズは芸術的に傑出しているので、日本が清貧根性でこういう変更をしたことは内心好ましく思っていませんが(一方でなかなか合理的だとも思いますが)その結果こういうレンズが出てきたのは良かったと率直に思えます。この後、フィルムサイズが戻されたのでレンズも50mmとなり元の45mmを改良しましたが、そうであれば当然50mmの方を使うべきなのです。45mmであればイメージサークルが小さいのですから50mmの方を使うのは確実に正しいのですが、それでもなぜか45mmの方が良いのです。レンズは広角に向うと味が無くなってくるし大抵良い方には行かないのですが、この場合はどういうわけか45mmの方がおいしいのです。こういうところを見るとレンズ作りは難しいと思えます。

ロッコール 45mm f2.8の光学図
ロッコール 45mm f2.8の光学図

 このレンズは正面から見た姿が家紋の梅鉢に似ていることから「梅鉢」という愛称がついています。姿が美しいことでよく知られています。奇をてらった感じのデザインではなく、基本的に従来のデザインを踏襲していますが、それらすでにある素材をバランス良くまとめた感じに独特の雰囲気があって、日本の古風な佳さが感じられます。そして写りもそんな感じで、レンズは3群5枚の珍しいものです。前群を3枚貼り合わせていますが、こういう貼り合わせの多いレンズは日本の風景や街に合うような気がします。いろんなところで従来の既成のものを見直したような、そんな感じのもののような気がします。そしてこれは日本歴代のレンズ群の中で傑作の1つではないかと思えます。

 ミノルタと言えば、かつてライカと提携していたことで有名です。ミノルタが作った同じレンズを日本国内ではロッコール、欧州ではズミクロンに変えて販売していたこともありました。そしてライカCLというものもミノルタが作ってライツに供給していました。1973年のことでした。梅鉢のような凄いものを作っていればライツから提携のオファーが来るのも何ら不思議はありません。

ライカCLの広告
 ミノルタのレンズ部門は有名な設計師・斎藤利衛という年齢不詳の仙人ような変人に率いられていました。斎藤は1941年にニコンから移籍して以降、彼の手によって多くのロッコールレンズが設計されました。1948年発売の"梅鉢"もその1つです。斎藤は伊丹の工場敷地内の竹林に東屋を建て、周囲を開墾して自給していました。麻紐をベルト代わりにして街に繰り出し、あまりの格好に伊丹市民も驚愕したと言われています。一方、数学、物理、天文に精通し、欧米の言語からサンスクリット語に至るまで理解する程の博学だったようです。退職後は隠遁生活に入り、1971年に亡くなりました。退職時期は不明ですが、戦中から戦後初期のロッコールは斎藤利衛の作品と考えて良いようです。当時はガラス材の溶解から自社で手がけていたということで、千代田光学時代のレンズに独自性が見いだせるのかも併せて見ていきたいと思います。

 その前に斎藤がなぜこういう独特の設計を採用したのかについて考えてみます。変人だからでしょうか。いやいや、むしろこういうものは普通の人の方が何の裏付けもない変なことをする傾向があるのであって、決まって天才の仕事にはどんな場合でも確固とした理由、深い洞察が伴っているものです。斎藤はもし自分の仕事に僅かでも問題があればすぐに退職すると決めてすべての仕事に臨んでいたと言われており、その緊張感の中でこういう設計を送り出したのはそれなりの、否、十二分の理由があった筈です。そしてこのレンズから背景にある何かが感じられる程の画が生成されます。相当なオーラがあります。これを見てしまったら今後、斎藤を変人と呼ぶのは罪に感じられる程です。斎藤の仕事に批評を加える資格のある人はほとんどいませんが、梅鉢のルーツを探ってみようというぐらいであれば許されるでしょう。

 いきなり結論から入りますが、このレンズは1925年に特許出願されたゲルツ Goerzの設計師ロバート・リヒター Robert Richter(ハイパーゴン Hypergon US706650とトポゴン Topogon US2031792の設計師として有名。球体で広角を捉える トポゴン「古柳」R3参照)によるUS1588612のコピーだろうと思います。この特許はf3ぐらいという曖昧な数値を示していますが、実際f2.7ぐらい行けますのでちょうど合います。ゲルツのダゴール DagorDE74437 DE89458 DE107358 US528155 CH6167)も3枚重ねを向かい合わせた形、同じくハイパー Hyparはトリプレット Tripletでこの2種を合成したものかもしれません。これは確かに名案でそのヒントはアドルフ・シュタインハイル Adolph Steinheilが1881年に出願したUS241438に遡ることができます。これをシュタインハイルは肖像用として設計しておりペッツバール Petzval(DE5761)を変形したものでしたが、トリプレットもダゴールも出てきた後代に肖像用としてさらに価値を高めたUS1588612を設計したのは集大成的な意味合いがあったと思われます。ダゴールのふくよかな表現とトリプレットの美しい収差を両取りしたような新設計はどんな描写がするのだろうと思ったら日本にありました。ダゴールも日本の風景に合いそうなレンズですが、これにトリプレットのテイストを加えた梅鉢が独特の素晴らしさを持っているのは当然と思えます。しかもこれを標準画角45mmで投入というのは大胆です。75~90mmぐらいであれば明らかに肖像用であって、後代のシュタインハイルはそうしています。しかし斎藤はこれをダゴールのように標準画角で撮って貰いたいと考えたようで、この美意識の中に彼の芸術性の本質が感じられます。

 もうすでに結論が出ているのですが、関連で別の無駄話もしたいと思います。ツァイスが開発したテッサー Tessar(DE142294 US721240)は傑作でしたのであらゆる光学会社がこれを作りたいと考え、その特許を回避するために後群3枚貼り合わせにすることで製造していました。特許は20年有効ですが、まさにそれがもう少しで切れるという時にテッサーの改良を行っていたツァイスのエルンスト・ワンデルスレブ Ernst Wanderslebとウィリー・メルテ Willy Merteが、世界の光学会社をあざ笑うかのようなこのような特許を出願します(US1697670)。3枚貼り合わせは特許を回避するだけのために近い屈折率のガラスを持ってきて誤魔化すだけのやり方が横行していましたが、ワンデルスレブとメルテは3枚貼り合わせの両端に同じ屈折率のガラスを持ってきて貼り合わせを有効なものとして積極利用しています。この貼り合わせを前群と後群に持ってくる2種の方法も提示しており、前群配置はリヒターのものと同じやり方でした。もしかすると出願中だったリヒターの特許を見て着想したのかもしれません。約8ヶ月遅れで提出されています。この後しばらくして1942年にテイラー、テイラー・ボブソン Teylor,Teylor-Hobson(TTH)のアーサー・ウォーミシャム Arthur Warmishamが熱心にこの構成を研究しています(US2397714 US2419803 US2419804)。その結果、TTHがどんなレンズを発表したのかわかりませんが、世界がテッサー一色で開発している時に今更のように3枚貼合を戦中にも関わらず研究していたということはウォーミシャムが何らかの可能性をこの構成の中に見いだしていたことを示しているのかも知れません。彼は初期のズームレンズの開発者(US1947669)でもありましたので、その方面から材料を探していたのかもしれません。戦後に出てくる世界初の光学補正式ズームでズームの語源となったズーマー Zoomer(US2454686)やソン・ベルチオ SOM Berthiotのパン・シノール Pan Cinor(US2566485)の貼合の多い構成を見ているとそういう気がします。斎藤の方向性はそれとは違い、これらの過去の開発の経緯を辿った上で独自の考えでこれを採用したものと思われます。ミノルタは後に岡野幸夫が後群の3枚貼合を一枚剥がしてこれを可変型にするソフトフォーカスレンズを開発しています(US4124276)。同社が、時代が進むにつれて過去のものとなっていった貼合の多い構成を探求し続けていたのは興味深いと思います。

 考え出すとキリがないので、というよりロッコールでこれだけ突っ込み所があるとは思っていませんでしたが、このあたりで作例に入ります。先日、上海に行って、あまり撮影する機会はありませんでしたが、ロッコールだけ持ち込んで宿の周辺を少し撮って参りました。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 紫のテーブル
 このレンズを一枚の作例で表現するとなると難しいのですが、これはどちらかというと特徴が出ている方の画だと思います。青っぽいダークな感じが得意のようです。ぼってりとした表現にレンズを数枚重ね貼り合わせた効果が出ています。貼合無しトリプレットはもっとすっきりした表現ですが、これも説得力があります。モノクロで撮れば溶けるような柔らかさがもっと感じられたと思います。だいぶん近いところを撮ったので背景のボケの特徴がよくわかります。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 中国と牛逼
 青が得意らしいということでこれですが、やはり艶やかです。このジャンパーは赤が多く、青は珍しいような気がします。愛国心関係のグッズです。元はオリンピックの代表などが来ていたユニホームだと思います。日本から見ると奇妙ですが、他民族国家ではこういうキャンペーンは必要不可欠です。「牛B」というバッジもあしらわれています。これは「牛逼」という意味で他人に称賛の意味で「凄い!」と言う場合に使う言葉です。発音はどちらもニィウビーです。これは「凄い中国」という組み合わせとなり、いささか風刺が込められている感じなのは、こういう芸術家の多い地域らしいと思います。人民によるこの組み合わせでの着用例はこれまで見たことはありません。しかし人民の人民のための組み合わせなのは間違いありません。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 龍の彫り物
 ダゴールもそうですが、貼合の多いレンズは暗いところで表現に彫りの深さが加わるような気がします。現実離れした感じがあります。これをそのまま柔らかいものを撮ると綿のような柔和さが感じられる表現になります。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 紅木家具
 やはり日本のレンズは赤から少し引いた感じがあります。元々これは発色がはっきりしていたわけではありませんでしたのでこんなものですが、それでも少し紫寄りの感じがあります。日本の艶やかな赤というと代表的なものは漆なので、そういう文化が反映していると思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 壺と赤い布
 ここでも鮮血のような赤は出ていません。中国は真っ赤がトレードマークなのである意味合っていないという味方ができないことはありません。しかし赤が強過ぎるとアジアには合わないと思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 饅頭とソフトクリーム
 赤が減らされていることによって醸し出される独特の温さもまた良いと思います。これもモノクロだともっと美しかったと思います。階調表現が秀逸です。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 黄色い壁の古宅
 こういうクリーム色っぽい黄色というのは本質が温いので、このレンズによく合います。貼合の多さによって柔らかさも伴いますので穏やかなパステル調が引き出されています。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 童涵春
 紫系を基調としたこれもパステル風の色合いの一角です。一旦滲じませてから繊細さを浮かび上がらせて取り出したような表現に儚き美が感じられます。和紙のような質感です。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 西洋鏡
 かつて西洋から入ってきた眼鏡を扱っていた店がこうして今も残っているのかもしれません。しかし店舗の意匠はアジアのものです。視力の悪い人が眼鏡をかけると物がはっきり見えるようになるので、そういうことをイメージするライティングなのだろうかと感じられます。もし赤を引かなければこれほどまで祭りのような雰囲気は出なかったと思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 ERDINGER
 元々、肖像撮影用の本設計は球面収差がオーバーコレクションですから、背景のボケにチリチリが出て、焦点が合焦した部分は浮かび上がります。背景は単調ですっきりしたものですから収差にうるささは感じられませんが、絵画的な滲みはあります。このさじ加減はちょうど良いバランスだと思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 女性像
 店先に女性像が立っていて、そこで露出を合わせていればもっとはっきり写った筈ですが、そうしなかったので暗くなり過ぎている図です。大部分が影で潰されていますが、かすかに見える部分からは、このレンズが持つ階調表現の品格が表れているように思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 撮影師のろう人形
 中国の古代衣装を着て撮影する写真館前のろう人形です。昔の撮影は露光に時間がかかったので被写体は我慢して静止状態を保たなければなりませんでした。それで撮影師はこのように合図していました。今とは状況が違いますから、これを見てもここが写真館だとわからない場合が多いと思いますが、このろう人形を見に近づいて、それから写真館だと気がついて撮影してもらうという観光客は時々います。収差は程よく抑制されており、中庸の美が感じられるのも好ましいと思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 紅衛兵とカメラ
 紅衛兵とカメラという組み合わせはよくあります。上海老相机制造博物馆でもありました。どうしてかはわかりませんが、この時代にカメラが大量生産されたからかもしれません。でも中国カメラの大量生産時代は1980年代の筈です。紅衛兵が大挙して北京に向ったりして旅行したのは確かですが、カメラは持っていなかったと思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 朝鮮の昔の磁器の
 これはおそらく朝鮮語の方もおかしいと思います。要するに朝鮮青磁の店です。日本人で買い求める人がいるのでこういう掲示をしているのだと思います。主題がきっちり浮かび上がっていますが、この度合いは光量が関係あるようです。光の量を有る程度必要とします。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 蛇口
 光の量が豊富であれば、焦点が明瞭に浮き出します。これぐらい近いと背景の収差も幾分顕著になり、僅かなグルグルボケが出ています。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 古玩店
 こういう構図はなんとなく特徴のない画になってしまいます。温い発色のためかもしれませんが、これはフィルムで撮るとアンティーク風になって結構良いのではないかと思います。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 関愛老人
 また日陰に入ると落ち着きますが、そうすると映画用レンズのような収差が感じられるようになります。戦前のレンズのような趣があります。このレンズでムービーを撮ってもなかなか良いかもしれません。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 骨董街
 小雨が降ってきたりしましたが、これはモノクロで撮ると奇麗だったような気がします。ライツのレンズのような淡い階調が出ています。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 陶器の店
 外国の学生らは骨董街に来ているのに新品のものばかりを狙っています。もっと違うところに行った方が安いと思いますが、あまり知らなければしょうがないと思います。この骨董街は非常に高いので基本、買うところではありません。物を見つけた場合、可能であればタオバオで同じ店を見つけ、そこから価格を聞いた方が良く、そうすれば半額から数分の一になると思います。だけどそれだと始めからタオバオで探した方が良かろうと思います。さらに言えば、北京、上海は有りません。良いものは非常に高額です。地方に行かないといけません。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 ハーゲンダッツ
 焦点は手前の広告で今一つはっきりせず、背景も同様です。きつい光を浴びているのでしょうがないと思います。しかし日陰の部分は表現豊かです。貼合の多いレンズは、強い光に弱い傾向があると思います。3群3枚であれば、ここまで潰れません。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 古い上海の広告
 古い上海の広告で、聞くところによると日本の資本が多いようです。美人画がほとんどですが、おじさん3人という珍しいものもあります。これほど幸せそうにタバコを吹かしている人たちは現実社会ではなかなかお目にかかれません。説得力が半端ではありません。いずれにしても青少年への影響という観点から考慮された広告は存在しないように見えます。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 寺院
 強い光に弱いので、このように天候が傾くと結構特徴が出てきます。まさにダゴールのような写りです。牡丹のような雰囲気の写りになります。

千代田光学 Chiyoda Opt. ロッコール Rokkor 45mm f2.8 パステルカラーの家
 雨が少し降っている関係で若干明瞭さを失っているようですが、こうなるとゲルツやエルネマン時代のレンズを彷彿とさせる写りになります。しかしこちらはコーティングが入っていますので、描写は安定しています。

 このレンズからミノルタ独自の個性を見いだせたどうかわかりませんが、ゲルツの個性だったらあると思います。1920年代当時、ドイツにはショット Schottによるツァイスのイエナ工場と、ベルリンのゲルツの工場があって、1926年の合併時にゲルツの工場は閉鎖したので、ベルリンとイエナのガラスがどう違うか比較が難しくなっています。もちろん当時のレンズを比較すればいいのですが、ツァイスのレンズとゲルツのレンズでは個性が違い過ぎますのでよくわかりません。ミノルタがどこから材料を買っていたのか知りませんが、少なくとも年代からゲルツでないのは明らかで、ゲルツ製でなくてもゲルツの味は出ることがこの例でわかります。この関連で気になるのは、戦前のフーゴ・メイヤー Hugo Meyerでコーティングは全く入っていないのに、非常に艶麗な発色とずば抜けたコントラストで有名なことです。これはガラスが違うから、と一般に言われていますが本当でしょうか。確かに戦後のものと比較すればその通りですが、戦後のメイヤーは明らかにコスト削減を考えて作っているので比較の対象がおかしく、そうではなくて戦前当時の他社とどう違うかを見ないと結論が出せません。フーゴ・メイヤーも少なくとも1920年代半ば以降はショットのガラスを使っていた筈で他社と差はなかった筈です。だから一般に言われているガラスの優秀性に着目するのはおかしいと思います。それでも他社とは異なっていたのでその理由を探らないといけませんが、それはガラスの質ではなく選択だったと思います。組み合わせ方です。というよりそれしかありません。組み合わせにメイヤー独自の方法論があって、ゲルツも同様のものがあったと考えられます。ダゴールとハイパーは構成がぜんぜん違うのに描写に共通点があるからです。そして梅鉢とも共通点が似通っています。梅鉢のデータがないのではっきりしたことは言えませんが、描写を見る限りそう言えると思います。ゲルツは牡丹の花を思わせる表現を宿していますから、斎藤がこれに敬意を払い、梅鉢をあのようなデザインにしたのかもしれません。後代のメーカーによる隠れた復刻物を探すのもおもしろいと思います。

 ここまでご覧いただいて「復刻か? さぞ簡単だっただろうな」と思われる方はおられると思います。それでは梅鉢は完全にゲルツを再現しているでしょうか。していないと思います。同じものは無理だがより良いものは作れたようだ、このようになら感じられます。梅鉢の基調を成すものがゲルツをルーツにしているというだけです。全く簡単ではありません。そもそもこういうレンズを設計している人というのは世界でもほとんどいません。ニコンやキヤノン、コシナや他のデジカメメーカー、ツァイスやシュナイダーぐらいに在籍している人材でほとんど100%です。もちろん、産業用であれば結構な人数が日本と中国にいますが、芸術写真用となると見習いも含めてせいぜい世界で数十人だろうと思います。今やあのライカですらシュナイダーに外注と言われており、確かにライカ社内にも設計師はいて、彼らが発注と最終決定を行うのですが、実際に手がけるとなるともうそれは普通ではないのです。それで「復刻物」を見る時は見る方にもある一定の素養が要求されてきます。復刻するぐらいだったら新作を作った方がはるかに簡単なので、復刻をやっているところはほとんどないですし、作ったレンズが実際には復刻であってもそれを言わないことが多いものです。日本の各メーカーが実際には過去の設計をほぼ模倣していて、それを公開していないが、後の研究で明らかになってきてルーツが見えてきた時にそれをどう見るかというのは一定の見識が必要ということです。なぜならそれは伝統の蓄積であって、人類の英知が結実したものの1つだからです。単に「何々の復刻」で軽く片づければ簡単ですが、それは無教養だということです。見るだけで難しかったら作るのはもっとなのです。無一居ははっきり復刻と言っているのでまたちょっと違いますが、復刻らしいものを発見した時にどう見るかという時にこういうことを考えてみてください。

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