無一居

空想のレンズを作ってしまう「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

「良いレンズ」について

正しいレンズの購入方法 - 2012.09.01


 レンズは時代を経る毎に安価になってきたとはいえ、現代でも高価なものには変わりありません。写真愛好家としては「優れたレンズ」を購入して所有したいと思うのは自然なことなので、レンズの選択には価格との兼ね合いも考えつつ慎重さが求められてきます。そこは個人の好みもあるので、各人が好きなようにやっていけばそれで何ら問題ないのですが、価値観が多様な中で他人の選択基準に疑問を感じるということはあります。"意味(意義のことか?)不明"なレンズを作る小店の活動についてのご指摘や教授などもありますが、その一方で古いレンズを礼賛する方々が現代レンズ派を軽蔑するということもあります。これもいろんな価値観があるのでそれぞれ構わないと思いますし、ここで統一見解なるものの提案をしようとも思いませんが、特にネット等で玉石混交の情報が溢れている中で本当にわからない向きのために「良いレンズ」とは何かということについて考えてみたいと思います。

アンジェニュー Angenieux アレパー Alepar 50mm f2.9 赤い旗
 レンズを買うということは、レンズ交換式カメラを買うか持っているということなので、遊びに行って友達と軽く一緒に撮っておけば良いという状態よりだいぶん踏み込んだ意思があるということになります。それで優れた光学機器としてのレンズを選択し、自らの実力を余すところ無く表出可能な道具を買わなければならないということになってきます。一見当たり前の考えに見えますが、全く別の考えでレンズを買う人もいます。写真を撮影する時には多かれ少なかれ意思が介在します。しかし自分の意思を超越した何かを求めるためにレンズを選ぶ人がいます。優れた光学機器というものは優れた再現性が求められるので、現実の超越はご法度です。それゆえ、いわゆる"優れた"レンズは普通過ぎるので使い物にならないとすら考える人がいます。この異なる2種類の属性の人々が即ちおおまかには、現代レンズ派とヴィンテージレンズ派の違いと言えますが、ヴィンテージレンズ派にも高性能を求める人もおり、さらには個人の哲学もありますのでたいへん複雑です。

 いずれも必要性すらあることもある考え方ですし、そもそもこれまで製造されてきたレンズは新旧問わず百家繚乱なので、古い新しいで善し悪しを論じることのできるものではありません。19世紀のレンズでも驚くべきシャープネスを持ったものはありますし、21世紀のレンズにもボケ玉はあります。現代はコストの圧力がすごいので、場合によっては古いものの方が良い場合もありますし、一方で技術は進歩しているので現代の方が良い部分もあります。とはいえ、あれこれと難しいことを考えなくても有名メーカーの一眼をセットで買っておけば少なくとも最大公約数的な要求は満たしていますので「自分は他人と違う」などと気難しいことを言わない限り、不満を感じることは少ない筈です。しかもメーカー品は難しい顧客でも満足できるように作ってありますのでなおさらです。

アンジェニュー Angenieux アレパー Alepar 50mm f2.9 白い提灯
 これはこれで良いとしても、自分にはもっとこういう表現が欲しいという希望はあるかもしれません。いわゆる業界にもこういうものがあり、例えば広告業界では長らくハッセルブラッドが好まれていた時期があって、これにはツァイスのレンズが付けられていました。ドイツのレンズ製造が東洋に委託されるようになってからは技術が拡散したのか、ツァイスには必ずしも拘らなくなっていったような感じがしますが、この流れは広告が求める要求というものが明確にあったことを示しているように思えます。だけど、家族の写真を撮るのに広告のモデルさんのような写り方は勘弁して欲しいという要求は想定できます。その人はフランス製に手を出すかもしれませんが、映画用のボケ玉を買ったその人に対して、一部の用途に特化したようなほとんどのケースでまともに写らないレンズをなぜ買うのか、しかも今までのレンズをなぜ売りに出すのか意味がわからないと考える人もいます。強い拘りのある人にとっては汎用性のあるレンズは不要ということがあります。(注:これは例であって、仏製レンズが必ずしも汎用性がないということはありません。)

 最も多いスタイルは、あらゆるレンズを使ってみたくなる病気に取り憑かれることで、これは「レンズ沼にハマる」と言われます。よく勘違いされるのは、あるメーカーのレンズを焦点距離別に一通り買いたくなって「沼にはまりそうだ」という人がいますが、これはコレクターだと思います。沼というのは描写に掛け合わせた言葉だから。沼にはまった紳士は多くのメーカーに手を出しますし、売り払ったりもする上、揃えない、汚いレンズも買いますのでコレクターとも違います。脳が描写という名のウィルスに幸せにやられている状況を指します。コレクターはコレクターで撮影する人とは別の部分を研究したりするので、彼らの情報は有益なことが多々ありますが、ここでは「良いレンズについて」考えますので少し趣旨が違います。一方、沼に嵌った人に良いレンズを語るのはすでに無意味です。彼はすでにたくさんの"良い"レンズに頭が侵されているからです。

 多くのレンズを実際に持っている人がいますが、これが本当に幸せかは個別のケースによります。アラブのハーレムを見てうらやましいという人がいますが、実際には中はドラマ以上にドロドロということがある訳で、残念ながらたくさんあっても愛がないということはレンズの購入遍歴を重ねていけばあり得ることです。あるレンズを持っていることに理由が見いだせなければすぐに売るという習慣を励行していれば、自分のラインナップを有意義に維持できますが、この繰り返しは経済的に無駄なので、より効率を求めたいところです。

アンジェニュー Angenieux アレパー Alepar 50mm f2.9 黄色の提灯
 現在ではネットで作例を豊富に確認できますので、買わなくてもどのレンズがどんな描写なのか前もってわかります。しかしその前に自分自身が何を求めているのか知っている必要性は絶対的にあります。それまでは携帯のカメラや安いデジカメで撮影していき、やがて感性が固定されてくるのを待つことになりますが、その時にできれば単焦点のレンズを使いたいものです。標準の単焦点を買うという場合の多くのポジティブな理由は、軽いとか開放値の明るさとそれに伴うボケ味というものですが、それ以上に自分の頭の中で構図が固定されるというメリットは大きなものがあります。撮影した後に残っている画もすべて同一焦点距離となり、撮影中には見えてこない、全体に亘って共通するものも浮かび上がってくることがあります。そうすれば、次に何を買うべきかよく見えてくるかもしれません。

 この時に、一般的な評価に左右されないようにすることは重要です。例えば中望遠あたりを人物撮影に使いたいという場合、ある人はアンジェニューが優れていると言います。この評価は一般論として昔から現代に至るまで揺らいでいません。そこで巨匠・木村伊兵衛はこのレンズを購入して実際に撮影に使いましたが、結局合わずに売り払ったようです。こういうミスマッチはある程度はあり得るので完全に避けるのは難しいですが、作例をあらかじめ確認できる現代では極力避けられる問題です。地に足を付け健全さとを以て吟味するなら、他人の価値基準が気になることはありませんし、自分自身も十分に撮影が楽しめるようになるに違いありません。買ったレンズにも十分満足できますし、使いもしない焦点距離のレンズを集めてしまうということもないと思います。これこそがまさにその人個人にとっての「良いレンズ」だろうと思います。

 ある人は購入するレンズに"最高"を求めて、キャノンが優れた特性のものを販売したらニコンに上回って貰いたいと願い、その逆もあります。ここで言う"最高"というのは要するにフィギュアスケートの得点と順位付けみたいなもので、様々なルールによって得点化し、権威あるジャッジを下しますが、一般から疑問も出るというそういう感じに似ていると思います。一方、順位に興味を示さず、もっと違った基準で見る人もおり、そういう人たちから非常に人気があるのが10位ぐらいの選手だったりすることもあります。競技よりもエキシビジョンの方を好む人もいます。これらの見方は相反するものですが、どちらも補完し合う関係で、どちらも存在することで技術と芸術性がいずれも高まっていくものと思います。ピカソが最高だと言われるからそれを買う人もいれば、好みがあって別のものを買う人もおり、そもそも優劣を付けず、多くのものを愛する人もいます。多くのものの価値を知っている人は"最高"のものがたくさんあると思っていて、そのすべてが"唯一"の価値を有していると考えます。こういう考えになってくると、非常に個性的なビンテージレンズの魔力を認められるようになりますし、そうでなければ最高の技術を投入しているという最新レンズを使うことになるだろうと思います。しかしいずれにしても、完全なものはあれど完璧なレンズはないということは理解しておく必要があります。

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