無一居

空想のレンズを作ってしまう「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

古典的ドイツ光学の源流地を辿る7

ドイツレンズの"味"とはどういうものなのだろうか - 2013.03.24


ゲルツ ドッペル・アナスチグマット 120mm f4.8
Goerz Doppel-Anastigmat 120mm f4.8

 光学の歴史の中でドイツ-オーストリア系が強い影響を及ぼしたメモリアルな出来事は幾つかありましたが、まだ大判レンズを作っていた時代にはペッツバール、そしてザイデル Philipp Ludwig von Seidelの理論を取り入れてシュタインハイルによって設計されたアプラナットがありました。

アプラナット型
アプラナット型(ラピッド・レクチリニアとほぼ同じ)

 アプラナット型は傑作とされ、以降60年もの長きに亘って製造されました。欧州中の多くの光学会社によって作られていましたが、その内の1つがベルリンから東に60km郊外、ラテノウ Rathenowにあったエミール・ブッシュ Emil Busch社でした。ここで働いていたゲルツ Goerzはベルリンに移ってからしばらく別の仕事をしていましたが、やがて彼の会社も光学関係のものを扱うようになり、主力はやはりアプラナット型やその改良型でした。主任設計師だったカール・モーザー Carl Moserが亡くなるまでの4年間改良を続けてきましたが、モーザーの後任となったエミール・フォン・フーフ Emil von Horghが大きく改良された新設計を持ち込み、この3枚張り合わせとなったドッベル-アナスチグマット Doppel-Anastigmatを世に送り出すに至りました。(スイス特許 CH6167)フーフも病弱でしたので早期に退職しましたが、その後この大好評だったレンズは名前が長過ぎるという理由で短縮されました。Doppel-Anastigmat GORz 大文字の部分を取ってダゴール Dagorとしました。(Goerzは英語表記でドイツ語ではoの上にウムラウトが付くのでeがなく、Görzと表記されていました。)

ダゴール型
ダゴールの光学図

 我々現代の撮影師は、歴史がどうというよりも、とりあえずレンズの描写が重要なのであって、たいていの場合、その要点だけわかれば後はあらましだけでも特に問題はありません。あるレンズが歴史的にメモリアルであっても、それが過去の遺物以上の価値を備えていないのであれば、興味はないということなのです。そこでアプラナットからダゴールに至る流れを見ると、これらはいずれも大きなフォーマット用のレンズですから、現代のデジタルで使うには対象とはなりにくいものです。小さなセンサーで大きなイメージサークルの真ん中だけ使うわけですから、どのレンズで撮影してもあまり違いが感じられません。

 そういう事情でダゴールを入手しても期待薄なのですが、今回入手できたゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat 120mm f4.8は、中判用で比較的小さいフォーマット用ですので、描写特性はかなり解るかもしれないと期待しています。ゲルツの歴史の中でフーフが在籍していた期間はシリアルナンバーで示すと、約30,000~83,000ぐらいであって、本レンズは11万台ですのでそれよりもう少し数年後ですが、まだ「ダゴール」と改名していない時代のものですし、中判用の安価なカメラ用ですから設計変更もないだろうということで、少なくともフーフのオリジナル設計は反映されたものと考えて見ていきたいと思います。本レンズはライカビゾフレックス用に使う方向で、長めのヘリコイドを取り付けてマウント改造いたしました。北京・西海付近を撮影いたします。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 モデル
 かなり古い100年も前のレンズですので性能は気になります。それでまずはこういう平面のものを撮ってみます。「新しい葡萄酒を古い革袋に入れる」が如きで冴えません。このレンズに現代的なシャープネスを求めるのは困難です。色彩も色褪せます。このレンズは本来、6x9サイズのフィルムで撮るためのものですから、現代のデジカメで撮ると真ん中を拡大したような感じになってしまうということも影響があると思います。これよりもっと大きなフォーマットで撮るといい感じになるのだろうと思います。あまりシャープにすると硬過ぎるのでこれぐらいで良いのでしょう。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 平房求む
 平面のものを斜めから撮ってみます。元々結構汚いものですから、ボケ味が良い方向に作用しています。印象的というと表現が抽象的ですが、そういう感じです。北京の住宅はおおまかに「高楼」と呼ばれる団地やマンションと「平房」と言う平屋の伝統的な家屋に分けられます。どちらも安価な物件から高級物件まで様々あります。この個人広告は、安価な平房を求めるものです。年老いた親の面倒を看るために部屋を求めています。借りるのではなく買い上げたいようです。しかしこれと同様の内容の広告は至る所にいろんな人が貼っています。平房は年寄りが多いので、騙して安く買い叩く業者の策謀でしょう。本当に親の面倒を看るなら必ず買わなければならない理由はないのでは? また年配者の生活を援助するためと称して米や油を利益なしで販売するとか利益は寄付するという張り紙もあります。義人であることを全面に出すのが成功の秘訣のようです。場所にもよりますが、平房が並んでいる界隈の張り紙はこんな内容ばかりです。北京の老人の中には清代から相続してきた財産を食いつぶしながら生きている人も多いと言われますし、そもそも西海周辺で不動産を代々引き継いでいるという時点で貴族の末裔であることを示しているので、世間に疎いこういう人が多い場所を狙っていくようです。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 文物保護単位のプレート
 見た感じ、青系は良いですが、赤はあまり冴えないような気がします。カラー写真の発明までまだしばらく待つ必要があった時代のものなので、しょうがないと思います。こういう紫っぽい色彩が基調になっているものは綺麗な感じがあります。これだけ柔らかいならポートレートに使うと良さそうな感じはしますが、ダゴールは本来ポートレート用というより汎用的なレンズだと思います。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 北
 描写にシャープネスが欠けるというところばかり気になっていますが、どうしてでしょうか。よくわかりませんが、このレンズを使うとどうしてもそこが気になります。おそらく120mmにも達する望遠で撮影するからピントが甘いということもあるかもしれません。しかしこういう斜めから撮ったものであればピントがずれるということはありません。それでもシャープネスが足りない感じは拭えません。望遠レンズを手持ちで撮影するからかもしれません。しかしどこかに置いて固定して撮っても描写はこんなものです。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 赤い扉
 先ほど、赤の話が出ましたので、真っ赤な扉を見てみたいと思います。真っ赤? どちらかというと朱色に見えます。だけど現物はショッキングな程に強烈なレッドなのです。太陽の当たりすぎでしょうか。関係ないような気がします。ただ光は十分なので、シャープネスは向上しています。この色彩バランスをうまく使う方法を考えた方が良さそうです。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 祠
 遠景が冴えない件については強い不満を表明しておきたいと思います。しかし開放で撮るからこうなるのであって、それは本来の使い方ではないのでしょう。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 船と照り返し
 これはおそらく10~20mぐらいの距離です。湖面が太陽の光で輝くところですが、ダゴールのボケの特徴から効果的な構図なのではないかと思い撮影してみたものです。つまりシャープネスが高いレンズであれば反射が正確に描写され、それが鋭過ぎて絵にならないと思ったのです。これぐらいであれば適度に抑えられて良いと思います。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 表札と松
 これは横から太陽の光を浴びている構図ですが、太陽の光が強いという共通点はあります。墨で輪郭をなぞったような描写になります。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 梅
ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 梅と外灯
 ダゴールの活かし方で最良の形の1つは、こういう構図かもしれません。後ボケが非常にチリチリした感じがします。あまり綺麗とは言えませんが、しかしこの効果によって主題は引き立てられていますので、全体として見た場合、考え抜かれた美意識が感じられます。設計師はデンマーク貴族の末裔ですので、かの国の芸術的感性というのはこういう描写になるのかもしれません。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 黄色い花
 もう少し引きつけて撮影した例です。たいへん古風です。古い日本の江戸時代の写真みたいです。もしかすると昔の写真の遺品は写真が経年変化したものではなく、元々こういう描写だったのだろうと思わせるものがあります。赤が弱いという要素が良い方向に作用しているように思います。これも1つの個性だと思いますのでこの特質を活かして作品作りをするのであれば、ダゴールは選択肢に入るレンズということになります。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 瓜子
 望遠だし暗いしということで、夜間に撮影するのはとんでもないと思いつつ、やはり確認はしておかなければなりません。これは強い光源を浴びたことでシャッタースピードが上がりブレがなくなりましたが、その代償として対象が暗くなってしまってはっきり写っていません。意図も明確ではなくなってしまいましたが、とりあえず撮影はできないことはないということはできます。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 北京ダックの店
 かなり明るい建物であるとはいえ、これだけ距離を置くとかなり光量不足です。何度撮影してもブレてはっきり写りませんので、電信柱にカメラをくっつけて撮影したものです。それでも光が滲んで写ってしまうので、明瞭な画にはなり得ません。撮った物が赤系であったのもマイナス材料です。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 散髪屋のポール
 ポールはそれなりのスピードで廻っていますので、そこだけブレています。とはいえ、全体的に不明瞭感が伴うのは、致し方有りません。それでも100年前のレンズということを考えると、意外と優秀とも思えます。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 屋台
 後ボケはチリチリして汚いが使い方によっては活かされるということは確認しました。前ボケはどうでしょうか。こんな感じになります。ソフトフォーカスレンズのような魅力を引き出すこういう使い方も1つのオプションになり得ると思います。

 あらゆる古いレンズが古典的な描写を示すとは限りませんが、ダゴールが示す"はんなり"とした描写はまさに古典的なものです。写りが古典的なので、古典的な街を撮るということで例えば京都あたりを撮るとすれば、一般的なレンズではあまりにも具体的に写り過ぎて情緒や一歩引いた時に顕れる品格は望むべくもないかもしれません。そういう時に本レンズはベストチョイスという印象があります。ただもう少し焦点距離が短いものがあれば良いと思います。


 そこでカラー対応が苦手な様子のこのレンズをこのまま使うのではなく、一手間掛けて使ってみたいと思います。Adobe Photoshopに自動で補正する機能が3つあります。どれでもいいですが「自動カラー補正」が相性が良いようなので、これを使いたいと思います。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 黄色い花(カラー補正)
 この方がだいぶん良いように思います。こういうボケは普通見苦しくなりがちですが、水墨画のような趣のこの独特の作画表現は得難い価値があると思います。色彩の調整は必須と考えた方が良さそうです。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 梅(カラー補正)
 かなりビビッドです。空が青過ぎます。こうなると手動調整に切り替えるべきかもしれませんが、この方がおもしろいのではないかということでこのままいきました。ピントが甘いと思っていたのは実はそうではなく、骨太の輪郭を得るためのものだったのかもしれません。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 船と桟橋(カラー補正)
 表現を骨太にしている代償にトーンを失っていますので、こういう暗いところが多い画は苦手になります。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 船と照り返し(カラー補正)
 これは良いかどうか微妙なところです。こういう画は、狙う表現によってどの程度調整すべきか検討が必要です。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 赤い扉(カラー補正)
 赤はだいぶん蘇りました。それでも若干弱いと思います。これもさらなる調整で何とかなるとは思います。やはりこのレンズは和風、いやそうではなく、明治大正あたりにこういうレンズを輸入していたのでしょう。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 大理石(カラー補正)
 あまり強い光を当てなければこのようにしっかりと発色します。しかし発色し過ぎであるのはこれも同様です。そもそも現代のソフトウェアは現代のより高性能なレンズを調整する前提で作っているのでこんなバランスには対応できないのだと思います。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 文物保護単位のプレート(カラー補正)
ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 平房求む(カラー補正)
 白が基調になると冴えて美しくなります。しかし持ち前の淡い表現も魅力があるので、どの程度残すかは目指す表現によって変える必要があると思います。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 祠(カラー補正)
 遠景は救いようがありません。開放では、もっと近い対象を撮るべきレンズと割り切った方が良いと思います。このダゴールは普及品の中判カメラの蛇腹に固定されていたものです。ツァイス・イコン時代に販売された安価な黒箱カメラでテンゴール Tengorというのがあって、これにゲルツブランドのフロンター Frontar色消し2枚玉(米特許 US1643865)が取り付けられていました。たいへん評判が良く有名ですが、これもやはり遠景は良くないとされていました。近いものを撮ると素晴らしいということで、その点ではこのダゴールと似ていると思います。しかしフロンターよりもダゴールの方が優れているのは間違いありません。それにダゴールは絞れるので遠景も撮影できると思います。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 北京ダックの店(カラー補正)
ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 散髪屋のポール(カラー補正)
 夜間の撮影も試してみましたが、昼間ほど顕著な差は見られません。それでも画像が締まりますので、面倒は見た方が良さそうです。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 屋台(カラー補正)
 暗い部分は潰れやすい傾向があるので、こういう暗いところでは逆効果になりそうです。

ゲルツ Goerz ドッペル・アナスチグマット Doppel-Anastigmat(Dagor) 120mm f4.8 モデル(カラー補正)
 最後に肖像画を見ておきます。非常に清々しいクリーンなイメージになりました。現物とはやはりカラーバランスが違います。ダゴールは前後のボケに特徴がありますが、このような平面であれば当然それらの特徴は出ません。線を太く、濃く描こうという特徴はこの画からも感じられます。

アールヌーボーデザインの切手
 思うにダゴールの風格は19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州を席巻したアールヌーボーの影響を反映しているような気がします。このゲルツの広告は、背景の重い描写の上からシャープさをイメージさせる肖像画を重ねていますのでわかりにくいのですが、この人物を除いた部分の風格が即ちそれです。クリックしていただきますと、もっとわかりやすい画を掲載してあります。

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